カタリナ・ルターとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カタリナ・ルターの意味・解説 

カタリナ・ルター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 15:50 UTC 版)

カタリナ・ルター
生誕カタリナ・フォン・ボラ
1499年1月29日
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領
リッペンドルフドイツ語版
死没1552年12月20日(1552-12-20)(53歳)
ドイツ国民の神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領
トルガウ
職業牧師夫人、元修道女
宗派カトリック教会 のちに ルーテル教会
配偶者マルティン・ルター

カタリナ・ルター(Katharina (Katherine) Luther, 旧姓カタリナ・フォン・ボラ/Katharina von Bora, 1499年1月29日[1] - 1552年12月20日)は、修道女宗教改革者のマルティン・ルターの妻。

生涯

小さな貴族の家柄に生まれたカタリーナは、幼少期に親を失い女子修道院に預けられ、ヴィッテンベルクから100キロほど離れたニンブシェンという街でシトー会修道女となった[2]

当時の修道院ではカトリックの修道制度を批判するマルティン・ルターの著作が密かに読まれており、ルターが語る信仰に感銘を受けたカタリナを含む9人の修道女たちは、1523年復活祭の直前に、ルターと交流のあった出入り商人の手を借りニシンの塩漬けの空樽に身を潜めて脱出した。その時カタリナは26歳であった[2][3]

復活祭の直後に脱出した修道女たちはヴィッテンベルクのルターを訪れ、彼の世話もあって一般民衆として結婚し家庭に入っていった。そこで一人残されたカタリナは1525年6月に当時41歳であったルターと結婚した。なお、一生涯の独身を請願したはずである修道士や修道女の結婚はカトリック教会において大罪である[2][3]

夫との間には三男三女(ヨハネス、エリーザベト〈生後8か月で死去〉、マグダレーナ〈13歳で死去〉、マルティン、パウル、マルガレーテ)をもうけた。家庭は円満で、一家は以前ルターが暮らしており1524年に贈与されたアウグスチノ修道院の建物に住んだ。修道院の空き部屋を学生や客に貸したり、ビールを醸造したりすることで家計を支えていた[4]

夫の死後、ペストの流行から逃れるためにトルガウへと馬車で向かっている途中に事故に遭い、骨盤を骨折し、それが元で1552年12月20日にトルガウで死去。

カタリナは結婚し夫の助け手としてルターに従った夫人であり、宗教改革の家庭観において重要な人物である。プロテスタント聖書に根拠がないとして聖職者独身制を否定し、そのため教役者は結婚するようになったが、カトリック教会側はこれを非難した。ルターは教皇の神学者らに対し、結婚して満ち足り、子供が与えられて幸せだと反論した[5]

参考文献

  • 徳善義和『マルチン・ルター——信仰と生涯』教文館、2007年。 
  • 徳善義和『マルティン・ルター——ことばに生きた改革者』岩波新書、2012年。 
  • 中村敏『著名人クリスチャンの結婚生活―ルターから三浦光世・綾子夫妻まで』ファミリー・フォーラム・ジャパン、2009年。 
  • マルテ・リノ 著・寺園喜基 訳「ルターの宗教改革精神と心の回復」『福岡女学院大学大学院人文科学研究科紀要「臨床心理学」』第15巻、福岡女学院大学大学院人文科学研究科、2018年3月31日。 

脚注

  1. ^ あくまで推定であり、正確な出生日を示す証拠は発見されていない。
  2. ^ a b c 徳善 2007, pp. 186–187.
  3. ^ a b 徳善 2012, pp. 148–149.
  4. ^ リノ 2018, pp. 48–49.
  5. ^ 中村 2009.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カタリナ・ルター」の関連用語

カタリナ・ルターのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カタリナ・ルターのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカタリナ・ルター (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS