Jean-Georges Noverreとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > Jean-Georges Noverreの意味・解説 

ノベール【Jean Georges Noverre】

読み方:のべーる

[1727〜1810]フランス舞踊家振付師仮面排しパントマイム技法バレエ導入するなど改革努めた


ジャン=ジョルジュ・ノヴェール

(Jean-Georges Noverre から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 08:47 UTC 版)

ジャン=ジョルジュ・ノヴェール

ジャン=ジョルジュ・ノヴェールJean-Georges Noverre, 1727年4月29日 - 1810年10月19日[1])はフランスの舞踊家・バレエマスター。19世紀の物語バレエ作品としてのバレエ・ダクシオン[2]創造の先駆者に位置づけられている。また、その誕生日に因んで1982年にユネスコは国際ダンスデーを創設した。

生涯

彼は1743年フォンテーヌブローオペラ・コミック座で初めて踊り、1745年フリードリヒ大王の宮廷バレエ団に招聘され2年間その庇護を受けた。1747年オペラ・コミックのために初のバレエ作品を手がけ、振付師として最初の成功をおさめた。1748年、彼はプロシアの王子ヘンリによりベルリンに招かれたが、ストラスブールへ赴き1750年までそこに滞在した。

1757年から1760年にかけて、彼はいくつかのバレエ作品をリヨンで振付け、『舞踊とバレエについての手紙』(Lettres sur la danse et les ballets)を刊行した。 これを境に、ノヴェールが着手したバレエ芸術の改革が始まったと言えよう。

彼はヴュルテンブルク公爵カール=オイゲンの庇護を受けてシュトゥットガルトに滞在し、1760年から1766年の間、宮廷のメートル・ド・バレエを務め、その後ウィーンでオーストリア女帝マリア・テレジア1774年まで契約した(その間、皇女たちの舞踊教師なども勤めている)。

1775年、彼はフランス王妃マリー・アントワネットの要請でパリ・オペラ座のメートル・ド・バレエに就任した。

ノヴェールは1776年の春、バレエを上演するためにウィーンに赴いたが、同年6月に再びパリに戻り、 フランス革命によって貧困に陥るまでそのままオペラ座の地位に留まった。1781年にオペラ座を退いた後、イギリスに亡命したが長い放浪生活の末フランスに戻り、1810年11月19日サン=ジェルマン=アン=レーで亡くなった。

ノヴェールの友人にはヴォルテールモーツァルトフリードリヒ大王、彼を「舞踊界のシェイクスピア」と呼んだ俳優デイヴィッド・ガリックがいる。

彼のバレエ作品のうち最も輝かしい事績を残しているのは『ウェヌスの化粧室』(La Toilette de Venus)、『後宮の嫉妬』(Les Jalousies du sérail)、『頑固な海賊』(La dour corsaire)、『ライバルのない嫉妬』(Le Jaloux sans rival)などである。

書簡としては『新しいオペラ空間構築に関する所見』 (1781年)、『ヴォルテールに宛てたガリックに関する手紙』(1801年)、『広告チラシに関する芸術家に宛てた手紙』(1801年)などを著わした。

ノヴェールの主な作品

参考文献

  • 小倉重夫 編『バレエ音楽百科』 音楽之友社、1997年

脚注

  1. ^ Jean-Georges Noverre French choreographer and dancer Encyclopædia Britannica
  2. ^ 起承転結を持つ演劇的な筋立てに沿って上演される舞踊劇。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Jean-Georges Noverre」の関連用語

Jean-Georges Noverreのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Jean-Georges Noverreのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャン=ジョルジュ・ノヴェール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS