岡晴夫
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岡 晴夫(おか はるお、1916年〈大正5年〉1月12日 - 1970年〈昭和45年〉5月19日)は戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。本名は佐々木 辰夫(ささき たつお)。愛称は「オカッパル」「オカッパレ」
- ^ 上原は翌年(1939年)、キングレコードの専属となる。なお、この前にポリドールのオーディションを受けたが、落ちた[2]。
- ^ 岡と共に地方巡業をしたことがあるコロムビア・トップによれば山形県鶴岡市での出来事で、会場からあぶれた客が「もう一回公演をやれ」と騒ぎ出したため、興行師が岡に泣きついて夜10時から始めたという[5]。
- ^ 岡の専属司会だった西村小楽天によると、常用の副作用から声がかすれ、周囲と口をきかなくなり、楽屋の隅に新聞紙で小屋を作って閉じこもるというような奇行も見られたという[8]。
- ^ 1951年(昭和26年)にコロムビアへ移籍していた[2]。
- ^ この前に、ビクターから専属のオファーがあったが、断っている[2]。
- ^ a b 桑原宏「タレント風土記 千葉県 (5)」読売新聞1984年7月1日付朝刊(東京本社版)、27面。
- ^ a b c d e 「岡晴夫“フリー歌手”に終止符 上原げんとの友情に コロムビア専属で再出発」、読売新聞1955年7月6日付夕刊(東京本社版)、2面。
- ^ 斎藤茂 & 2000年, p. 237.
- ^ a b 斎藤茂 & 1996年, p. 44.
- ^ 鳥山輝「この歌に 憧れのハワイ航路(2) 若さぶつけた明るい詞」、読売新聞1990年10月28日付朝刊(東京本社版)、日曜版、4面。
- ^ 西村小楽天 & 1978年, p. 197-198.
- ^ 「変わった社長さんお顔拝見 岡晴夫さん」『富士』第4巻第3号、世界社、1951年3月、口絵。
- ^ 西村小楽天 & 1978年, p. 199-200.
- ^ 「0993 “無心に歌います” 岡晴夫の再出発」、読売新聞1962年4月24日付朝刊(東京本社版)、10面。
- ^ 「岡晴夫の歌碑除幕式」、毎日新聞1977年3月28日付夕刊(東京本社版)、4面
- ^ 「この日この時 1970・5・19 歌手・岡晴夫没」、毎日新聞1992年5月19日付夕刊(東京本社版)、9面。
- ^ 奥山弘「この歌に お富さん(2) ツキにも曲にも乗った」、読売新聞1990年2月4日付朝刊(東京本社版)、日曜版、4面。
- ^ 斎藤茂 & 1996年, p. 78.
- ^ 斎藤茂 & 2000年, p. 197.
- ^ 林るみ「サザエさんをさがして のど自慢 「番組中止」に応募者が殺到」、朝日新聞2015年11月14日付朝刊(東京本社版)、be on Saturday、e3面。
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