Giuseppe Verdiとは? わかりやすく解説

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ベルディ【Giuseppe Verdi】

読み方:べるでぃ

18131901イタリア作曲家イタリア近代オペラ完成者。作品に「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」「オテロ」など。


ジュゼッペ・ヴェルディ

(Giuseppe Verdi から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 15:16 UTC 版)

ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi、1813年10月10日 - 1901年1月27日)は、イタリア作曲家。19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家であり、主にオペラを制作した。「オペラ王」の異名を持つ。


注釈

  1. ^ このスピネットは「憩いの家」に展示されている(加藤 (2002)、p.52)。ヴェルディが夢中になって弾くせいで一度壊れたが、カヴァレッティという職人が修理をした。この際に彼はヴェルディの腕前に感動して費用を請求せず、スピネットの蓋の裏に「少年の優れた音楽の資質が、私への代金だ」と書き残した(加藤 (2002)、pp.10-15、生誕)。
  2. ^ ヴェルディの伝記には必ず登場する場面。台本が落ちた場所には、「机」(油井宏隆)、「テーブル」(加藤 (2002)、p.44)、「ベッド」(石戸ら (1998)、p.17)、「落とした」(オペラの発見 (1995)、p.167)など様々に言われる。
  3. ^ メレッリがヴェルディに押し付けた台本『ナブッコ』は、ドイツ出身のオットー・ニコライが断ったものだった。メレッリは代わりにヴェルディが拒否した『追放者』を渡した。いわばネレッリはニコライとヴェルディの間で2つの台本を交換していた。ヴェルディの『ナブッコ』は成功を収めたが、1841年にスカラ座で初演されたニコライの『追放者』は駄作の烙印を押され、1公演で打ち切られた。これはニコライにとって大変な屈辱で、彼は後年になってもヴェルディの実力を認めなかった。(石戸ら (1998)、pp.17-18
  4. ^ 異説あり。後述。詳細はナブッコ#初演時の評判――伝説とその検証を参照
  5. ^ ガレー船を漕ぐ奴隷のように休み無く働き続ける様に喩えている。「オペラの歓び」月例会(第28回)2006年4月8日
  6. ^ 代わって起用されたマリアンナ・バルビエリー=ニーニは資料に「非常に醜い」とまで書かれる人物だった。しかし強さと声域の広さを兼ね備え、アジリタの技法に優れる彼女の才能をヴェルディは高く認め、他の作品でも起用して彼女の世間的な評価を高めた。(石戸ら (1998)、p.41
  7. ^ 1857年に『リゴレット』のパリ公演が決まった時、ユーゴーは差し止めの裁判を起こした。結果は敗訴し、さらに招待に嫌々ながら応じた。しかしオペラの出来映えに感激し、ヴェルディの熱心なファンになった。(石戸ら (1998)、p.55
  8. ^ "Sad, sad, sad! ... a name that will leave a most powerful impression on the history of art." (The Lives of the Great Composers
  9. ^ "He invariably chooses, unnecessarily, the untrodden path, attempting to fly where a rational person would walk with better results"「彼(ワーグナー)は判で押したような、無駄だらけで、勝手気ままなやり方ばかりを選び、理性的な人物ならばより良い結果を求めて着実に歩みを進めるところなのに、まるで跳びはねるような真似をするのが好きなようだ」(The Lives of the Great Composers
  10. ^ Phillips-Matz (1993)、p.764では、20万人が集まったという。2010年放送のヴェルディのオペラを特集したBBC4シリーズ第二部「Opera Italia」では、ロイヤル・オペラ・ハウス編曲家で司会者のアントニオ・パッパーノはその数を30万人だったと述べた。

出典

  1. ^ a b c d e 石戸ら (1998)、pp.2-3、イントロダクション
  2. ^ a b c 加藤 (2002)、pp.10-15、生誕
  3. ^ a b 加藤 (2002)、pp.16-21、少年の夢
  4. ^ a b c 油井宏隆. “ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「ナブッコ」がイタリア統一運動に与えた音楽的影響の考察”. Ci-Nii Article、大阪城南女子短期大学. 2011年2月25日閲覧。
  5. ^ a b c 加藤 (2002)、pp.22-27、烙印
  6. ^ a b c d e 水谷 (2006)、p.190-192、初期のヴェルディ作品
  7. ^ a b c 加藤 (2002)、pp.28-34、焦燥
  8. ^ a b c d e f 石戸ら (1998)、pp.2-3、イントロダクション
  9. ^ a b c d 石戸ら (1998)、pp.16-21、ナブッコ、ヒストリー&エピソード
  10. ^ a b 加藤 (2002)、pp.67-76、囚われの時代 その1
  11. ^ a b 加藤 (2002)、pp.77-87、囚われの時代 その2
  12. ^ a b 加藤 (2002)、pp.88-93、改革者への道
  13. ^ a b c d 石戸ら (1998)、pp.35-40、マクベス、ヒストリー&エピソード
  14. ^ 加藤 (2002)、pp.95-99、ドーヴァー
  15. ^ 加藤 (2002)、pp.101-105、恋と革命
  16. ^ 加藤 (2002)、pp.107-110、市民たちの戦争
  17. ^ 加藤 (2002)、pp.111-115、宴のあと
  18. ^ 加藤 (2002)、pp.116-120、孤独な帰郷
  19. ^ a b c 石戸ら (1998)、pp.54-62、リゴレット、ヒストリー&エピソード
  20. ^ a b 加藤 (2002)、pp.139-147、瘤を背負った道化師、あるいは愛しすぎた父
  21. ^ 石戸ら (1998)、pp.76-81、トロヴァトーレ、ヒストリー&エピソード
  22. ^ 加藤 (2002)、pp.149-157、歌を極める
  23. ^ a b 石戸ら (1998)、pp.95-106、トラヴィアータ、ヒストリー&エピソード
  24. ^ 加藤 (2002)、pp.158-166、道を踏み外した女、あるいはお伽噺
  25. ^ a b 加藤 (2002)、pp.168-174、平原と大都会の間で
  26. ^ 石戸ら (1998)、pp.118-124、シモン・ボッカネグラ、ヒストリー&エピソード
  27. ^ 加藤 (2002)、pp.175-183、転機
  28. ^ a b c 石戸ら (1998)、pp.138-143、仮面舞踏会、ヒストリー&エピソード
  29. ^ a b c 加藤 (2002)、pp.184-193、イタリア、あるいは「ヴェルディ万歳」
  30. ^ Roger Parker (2001)
  31. ^ Budden,Volume 3、p.80
  32. ^ Phillips-Matz (1993)、pp.394-395
  33. ^ a b c d 加藤 (2002)、pp.195-203、再婚
  34. ^ "Giuseppe Verdi politico e deputato, Cavour, il Risorgimento" on liberalsocialisti.org (In Italian) Retrieved 2 January 2010
  35. ^ a b c 水谷 (2006)、pp.195-197、円熟期のヴェルディ、メルカダンテとパチーニの後期作品
  36. ^ a b c 加藤 (2002)、pp.205-211、再び音楽へ
  37. ^ a b c d e 加藤 (2002)、pp.212-222、権力者の孤独、あるいはパリとの決別
  38. ^ a b c d e 加藤 (2002)、pp.224-239、集大成<アイーダ>
  39. ^ Giuseppe Verdi: un mito italiano
  40. ^ a b c 石戸ら (1998)、pp.200-207、アイーダ、ヒストリー&エピソード
  41. ^ Budden,Volume 3
  42. ^ サクサクFAQ”. ヤマハ. 2011年2月25日閲覧。
  43. ^ a b 加藤 (2002)、pp.259-264、咆哮する死
  44. ^ a b c d e f g h i j k l 加藤 (2002)、pp.266-284、復活、そして原点
  45. ^ Schonberg, Harold C. (1997). The Lives of the Great Composers. W. W. Norton & Company. p. 260. ISBN 0393038572. https://books.google.co.jp/books?id=VawrK1CRFJgC&pg=PA260&lpg=PA260&dq=wagner%27s+death+verdi&redir_esc=y&hl=ja 2011年2月20日閲覧。. 
  46. ^ a b c d 加藤 (2002)、pp.286-297、微笑みの花園
  47. ^ Verdi aux répétitions de "Falstaff" / Michelet, sc. ; croquis d'après nature de M. ; Maurice Feuillet
  48. ^ a b c d e f 加藤 (2002)、pp.299-307、死
  49. ^ グランドホテル・エ・デ・ミランのホームページには、当時の写真および短い顛末が記されている。
  50. ^ a b c Phillips-Matz (1993)、p.765
  51. ^ 水谷 (2006)、p.189
  52. ^ a b 水谷 (2006)、p.190、ヴェルディの創作区分
  53. ^ a b c d e f g h i j k l オペラの発見 (1995)、pp.76-79、音楽史 ヴェルディのオペラ
  54. ^ 水谷 (2006)、pp.192-195、≪マクベス≫における作劇の転換から中期の三大名作へ
  55. ^ a b 水谷 (2006)、pp.206-207、レパートリー・システムの確立と専業指揮者の台頭
  56. ^ 水谷 (2006)、pp.207-209、ヴェルディ時代の重要オペラ指揮者
  57. ^ a b 石戸ら (1998)、pp.222-228、オテッロ、ヒストリー&エピソード
  58. ^ 石戸ら (1998)、pp.244-249、ファルスタッフ、ヒストリー&エピソード
  59. ^ a b Casini, Claudio, Verdi, Milan: Rusconi, 1982
  60. ^ Phillips-Matz (1993)、p.116
  61. ^ Phillips-Matz (1993)、pp.188-191
  62. ^ 石戸ら (1998)、pp.159-163、運命の力、ヒストリー&エピソード
  63. ^ Kerman, Joseph and Hussey, Dyneley. "Giuseppe Verdi". Encyclopedia Britannica, 23 Jan. 2021
  64. ^ "Casa Barezzi: where Verdi was discovered". Italian Ways. 2019-01-23
  65. ^ Villa Verdi official website https://en.villaverdi.info/
  66. ^ https://www.museodelpianofortestoricoedelsuono.it/museo-del-pianoforte-storico-e-del-suono/; Il pianoforte di Verdi suona all'Accademia dei Musici, Cronache Ancona, 2017-10-28.


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