Eiichi Fukuiとは? わかりやすく解説

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福井英一

(Eiichi Fukui から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 12:40 UTC 版)

福井 英一(ふくい えいいち、1921年(大正10年)3月3日 - 1954年(昭和29年)6月26日)は、日本漫画家・アニメーター。東京都出身。


注釈

  1. ^ うしおそうじは、阿久津信道および高野よしてるからの伝聞として、「開成中学校出」と記している[3]
  2. ^ ただし、後述する『漫画少年』追悼特集号の「思い出のアルバム さようなら福井英一先生」には、陸軍上等兵の軍装姿で撮影された写真が掲載されており[5]、従軍経験自体はあったとみられる。
  3. ^ 後のワニマガジン社元社長
  4. ^ 本書の元になった内容は、雑誌『Sports Graphic Number』(文藝春秋)に1988年から1991年まで連載されたものであるため[16]、初出はもう少し早い。
  5. ^ 漫画家時代に手塚とともによく「カンヅメ」をしたうしおそうじは、手塚の執筆スタイルについて、鉛筆でラフな下書きを入れた後に、事務用ペン一本のみを使用して直にペンを入れ、猛烈な速度で原稿を仕上げていったことを書き残している[24]
  6. ^ 本文にもある通り、うしおは生前の福井とは一度しか対面しておらず、「東京児童漫画会」に加入したのも福井の通夜の席で誘われた結果であった[26]。したがって、うしおの著書にあるエピソードは明言はないものの伝聞によるものとみなすのが妥当である。
  7. ^ うしおそうじは伝聞として、ほぼ同じ内容を著書に記している[13]。ただし、うしおの記述では手塚が「大阪人」とした最後の箇所が「贅六」という関西人を拝金主義者と罵倒する軽蔑語になっている[13]。うしおの伝聞では、手塚は飲み会の払いを頼まれる際にも「贅六さん、毎度ごちそうさま」といった言い方を他の漫画家にされていたという[13]
  8. ^ この事件の経緯については、手塚治虫、馬場のぼるからしばらくたって聞いたといううしおそうじ[28]、少年画報社の手塚担当編集者として福井と馬場の来社に遭遇した福元一義の著書で、内容の細部に相違がある。手塚は打ち合わせ中に福井が「荒れ模様」で来社して謝罪を要求し、居合わせた「記者」から飲み屋に行くことを提言されたところに馬場が「フラリと」現れて3人で飲みに行ったと記している[29]。うしおは、福井が先に馬場の自宅を訪れて事情を話した上で「介添人」として同行を依頼し(その際「手塚の居場所はつきとめてある」と述べたという)、夕刻に少年画報社に着いて編集者と打ち合わせ中の手塚に謝罪を要求、馬場の取りなしと編集者の仲裁で「4人で」居酒屋に行ったとする[28]。一方福元は、当日手塚を「カンヅメ」にしているところに福井から手塚への面会を希望する電話を取り、漫画についての話だと考えて許可したという[30]。福元が電話を取ったのは「夜遅く」で、「午後一一時を過ぎた頃」に福井と馬場が来訪、福井は福元とは別の部屋で手塚と馬場を含めた3人で話をし、手塚が「やあやあ」と応じるような当初の会話の調子が次第に「ヒソヒソ話になった」あと、手塚から「これから福井くんたちと池袋に飲み屋に行ってくる」と言われて3人を送り出したとしている[30]
  9. ^ 手塚は訃報を聞いたのは、福井に謝って「一カ月ほどたって」からと記す一方で福井の来訪は「綿のような雪の降る日だった」とも書いており[19]、福井が6月下旬に死去した事実とは食い違っている。
  10. ^ 単行本全10集のうち、福井の筆になるのは第4集半ばまで。
  11. ^ 保護期間が超過した2005年時点。2018年施行の現行著作権法は、保護期間を著作権者の死去から70年間に延長している。

出典

  1. ^ a b 手塚治虫、1979年、pp.53 - 55
  2. ^ 福井英一 - 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社、2015年(コトバンク
  3. ^ a b c d e f g うしおそうじ、2007年、pp.124 - 125。注釈にも記した通り、本書において福井の経歴が伝聞である点には注意を要する。
  4. ^ a b 『漫画少年』1954年9月号、pp.136 - 137
  5. ^ 『漫画少年』1954年9月号、p.12
  6. ^ a b c うしおそうじ、2007年、p.222
  7. ^ 清水勲『漫画の歴史』岩波書店<岩波新書>、1991年、索引 p.16。 ISBN 4004301726
  8. ^ バット君 - マンガ図書館Z(外部リンク)
  9. ^ 河合隼雄他『昭和マンガのヒーローたち』 講談社、1987年、p.119 ISBN 4-06-202014-9
  10. ^ a b c うしおそうじ、2007年、p.122
  11. ^ a b c うしおそうじ、2007年、p.113
  12. ^ a b 福元一義、2009年、pp.34 - 35
  13. ^ a b c d e うしおそうじ、2007年、pp.128 - 129
  14. ^ a b うしおそうじ、2007年、p.114
  15. ^ うしおそうじ、2007年、pp.73 - 74
  16. ^ 夏目房之介、1991年、巻末の注記による。
  17. ^ a b c 夏目房之介、1991年、pp.154 - 157
  18. ^ a b c 手塚治虫、1979年、pp.133 - 134
  19. ^ a b c d 手塚治虫、1979年、pp.136 - 137
  20. ^ うしそうじ、2007年、p.120
  21. ^ a b c d うしおそうじ、2007年、p.119、123 - 124
  22. ^ 『漫画少年』1954年9月号、pp.13 - 14
  23. ^ a b c d 福元一義、2009年、pp.29 - 31。本書によると、この同室での執筆は福井の提案で、福井の自宅で行われたという。
  24. ^ うしおそうじ、2007年、pp.71 - 73
  25. ^ 岩上安身「仕事部屋から見つめた超人・手塚治虫」『エスクァイア日本版』No.136、1989年[1][リンク切れ]
  26. ^ うしおそうじ、2007年、pp.118 - 119
  27. ^ a b c 手塚治虫、1979年、pp.131 - 133
  28. ^ a b c d e うしおそうじ、2007年、pp.130 - 133
  29. ^ a b c d e 手塚治虫、1979年、pp.134 - 136
  30. ^ a b 福元一義、2009年、pp.24 - 25
  31. ^ 『石ノ森章太郎のマンガ家入門』秋田書店<秋田文庫>、1998年[要ページ番号]
  32. ^ 伴俊男・手塚プロダクション『手塚治虫物語―漫画の夢1945~1959』金の星社、2009年、p.183


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