DDRオーバーリーガ発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 08:14 UTC 版)
「DDRオーバーリーガ」の記事における「DDRオーバーリーガ発足」の解説
1949年、第1回のDDRオーバーリーガが開催された。結果は以下の図のように、ZSGホルヒ・ツヴィッカウ(ZSG Horch Zwickau)が、SGフリードリヒシュタット(SG Friedlichstadt)をおさえて優勝を手にした。 DDRオーバーリーガ結果表1949年/1950年 順位クラブ名試合数勝分負得失点差勝点1. ZSG Horch Zwickau 26 20 1 5 69:27 +42 41-11 2. SG Friedrichstadt 26 18 3 5 87:29 +58 39-13 3. BSG Waggonbau Dessau 26 17 3 6 67:36 +31 37-15 4. BSG Turbine Erfurt 26 15 5 6 58:30 +28 35-17 5. ZSG Union Halle 26 13 5 8 56:38 +18 31-21 6. BSG Franz Mehring Marga 26 13 5 8 49:48 +1 31-21 7. BSG Märkische Volksstimme Babelsberg 26 10 4 12 42:66 -24 24-28 8. ZSG Industrie Leipzig 26 8 6 12 38:45 -7 22-30 9. Einheit Meerane 26 9 3 14 38:56 -18 21-31 10. BSG Hans Wendler Stendal 26 7 5 14 31:45 -14 19-33 11. SG Gera Süd 26 6 7 13 34:54 -20 19-33 12. ZSG Altenburg 26 6 5 15 34:50 -16 17-35 13. ZSG Anker Wismar 26 6 5 15 35:60 -25 17-35 14. BSG Vorwärts Schwerin 26 4 3 19 30:84 -54 11-41 DDRオーバーリーガの各クラブは、ドイツ社会主義統一党 (SED) 独裁政権の影響下におかれている。そのため、たびたび政府によってチーム名が改称されることがあった。初代優勝チームが本拠地とするツヴィッカウは、トラバント(旧東独で盛んに生産された自動車)の生産地であったこともあり、BSGモーター・ツヴィッカウ(BSG Motor Zwickau)と改称した。また、場合によっては政府の決定でクラブ全体が他の都市のメンバーと入れ替えられることもあった。その代表的な例としては、1954年には、SCエンポール・ラウターとSCエンポール・ロストック(のちのハンザ・ロストック)のメンバーが急遽入れ替えられたことなどが挙げられる。1971年にはFCフォルヴェルツ・ベルリンとFCフォルヴェルツ・フランクフルト(・アン・デア・オーダー)も同様の交替がなされている。 1950年代には、アウエを本拠地とするSCヴィスムート・カール=マルクス=シュタット(SC Wismut Karl-Marx-Stadt、現在のエルツゲビルゲ・アウエ)が3連覇を含む4度の優勝を果たした。ハンガリーの反ソ自由化運動に対してソ連軍が侵攻した1956年、ソ連のリーグ戦にあわせて新年から秋までを1シーズンとすることが定められた。(1961年より、再び従来の日程進行に戻された。)
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