竹林院 (真田信繁正室)とは? わかりやすく解説

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竹林院 (真田信繁正室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/20 07:44 UTC 版)

竹林院(ちくりんいん)は、日本安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性大谷吉継の娘[1]真田信繁正室[注釈 1]


  1. ^ 当代記』『左衛門佐君伝記稿』[1]
  2. ^ 宮本義己は、大谷吉継が文禄2年9月に大宰府天満宮に寄進した鶴亀文懸鏡の銘の「東・小石・徳・小屋」から、東は吉継の母親、小石は妻、徳と小屋が娘であるとし、竹林院の実名は小屋のいずれかであるとしている[2][3]外岡慎一郎も小石と徳のいずれかが信繁に嫁いだ可能性が高いとしているが[4]、小石・徳・小屋の人物比定には諸説あり、『華頂要略』門主伝第二十四の「天正二十年六月十三日大谷刑部少輔妹コヤ美濃紙五十帖進上」の記述から、「小屋」は吉継の妹ではないかとする指摘もあり[5]、実名に関しての定説はない。
  3. ^ 『真田系譜稿』『先公実録』。
  4. ^ 『浅野家旧記』『駿府記[6]
  5. ^ 『当信寺過去帳』[1]
  6. ^ 蒲生郷成の子。ただし、郷喜の室は内藤政長の娘であるため、その息子に嫁いだとする説もある。
  7. ^ 田村宗顕の子
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 丸島和洋『真田一族と家臣団のすべて』KADOKAWA、2016年1月、233-240頁。ISBN 978-4-04-601099-5 
  2. ^ a b c 花ヶ前 2000, p. 79, 宮本義己「大谷刑部と豊臣秀吉」
  3. ^ 宮本義己「五つの謎から解き明かす智将の素顔」『歴史街道』227号、2007年。 /所収:歴史街道編集部 編『歴史街道セレクト 大谷吉継 友情に殉じた関ヶ原の仁将』PHP研究所、2009年。 
  4. ^ 外岡慎一郎『大谷吉継』戎光祥出版、2016年、60頁。 
  5. ^ 大谷幹伸「太宰府天満宮の鶴亀文懸鏡の願主の考察」『歴史研究』51巻10号、2009年。 
  6. ^ a b c 花ヶ前 2000, pp. 65–67, 奥村徹也「大谷刑部の家族・一族」


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