ボストン (競走馬)
ボストン | |
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エドワード・トロイによるボストンの肖像画。1840年ごろ。 | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1833年 |
死没 | 1850年1月31日 |
父 | ティモレオン |
母 | シスタートゥータカホ |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | John Wickham |
馬主 | Nathaniel Rives |
調教師 | John Belcher →Arthur Taylor |
競走成績 | |
生涯成績 | 45戦40勝 |
獲得賞金 | 51,700ドル |
ボストン(Boston、1833年 - 1850年)はアメリカ合衆国の競走馬・種牡馬。45戦して40勝の戦績を残したアメリカ初期の名馬であり、死の105年後の1955年にはアメリカ殿堂馬に選ばれている。これは殿堂馬の中でも1814年生まれのアメリカンエクリプスに次いで時代が古い。レキシントンの父としても知られる。
1833年リッチモンドで生まれる。その後1835年に生産者であるウィッカムがナザニエルと行ったカードゲームに負け、その負け分800ドルの返済に代わりボストンを譲ったという。ボストンという名前もボストンではなくカードゲームの名前より名付けられたとされている。
このあとジョン・ベルチャーのもとで訓練を受けることになったボストンだが、あまりに凶暴な気性のため調教師は非常に手を焼いた。一時は去勢も検討されたほどで、跳んだりはねたりして騎手を振り落とそうとしたり、レースに出れば自分から止まり、はてはほかの馬に噛みつく有様だった。しかしその後アーサー・テイラーのもとに移ると連勝を重ね、3歳から10歳時に引退するまでの8年間に40もの勝利を積み重ねた。
その後は種牡馬としてケンタッキー州などで供用されたが、晩年も凶暴な気性は直らず、さらには若いころの傷がもとで失明してしまい1850年に死亡した。その年に生まれたレキシントンと、そのライバル・ルコント、1846年生まれのレッドアイなどの産駒を送り出し、1841年から1843年までの3年間アメリカリーディングサイアーを獲得している。
血統表
Bostonの血統(ヘロド系/Diomed 3×3=25.00%/Eclipse 4×5×5=12.50%/Syme's Wildair4×5=9.38%/Marske 5×5=6.25% | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父 Timoleon 1814 栗 | 父の父 Sir Archy1805 鹿 | Diomed 1777 栗 | Florizel | |
Spectator Mare | ||||
Castianira 1796 黒鹿 | Rockingham | |||
Tabitha | ||||
父の母 Saltram Mare1801 栗 | Saltram 1780 黒鹿 | Eclipse | ||
virago | ||||
Symme's Wildair Mare | Syme's Wildair | |||
Driver Mare | ||||
母 Sister to Tuckahoe 1814 栗 | Ball's Florizel 1801 栗 | Diomed 1777 栗 | Frorizel | |
Spectator Mare | ||||
Shark Mare 1785 | Shark | |||
Eclipse Mare | ||||
母の母 Alderman Mare1799 鹿 | Alderman 1787 黒鹿 | Pot-8-Os | ||
Lady bolingbroke | ||||
Clockfast Mare | Clockfast | |||
Wildair Mare | ||||
母系(F-No.) | F-No.40(FN:ファミリーナンバー) | |||
出典 |
外部リンク
「Boston (horse)」の例文・使い方・用例・文例
- Boston Dynamicsのロボット「RHex」は、いろんな地形を走れるすごいやつです。
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