Battle of Dan-no-uraとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Battle of Dan-no-uraの意味・解説 

壇ノ浦の戦い

(Battle of Dan-no-ura から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 10:12 UTC 版)

壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。


注釈

  1. ^ 従来はこの出陣は、『吾妻鏡』元暦2年(1185年)4月21日条、5月5日条の記載に基づき、頼朝の命令によって行われたとみなされていた。しかし、下記のことからこれに疑義を示す見解が強まっている。
    『吾妻鏡』元暦2年正月6日条には、範頼に宛てた同日付の頼朝書状が記載されている。その内容は、性急な攻撃を控え、天皇・神器の安全な確保を最優先にするよう念を押したものだった。一方、義経が出陣したのは頼朝書状が作成された4日後であり(『吉記』『百錬抄』正月10日条)、屋島攻撃による早期決着も頼朝書状に記された長期戦構想と明らかに矛盾する。
    吉田経房が「郎従(土肥実平・梶原景時)が追討に向かっても成果が挙がらず、範頼を投入しても情勢が変わっていない」と追討の長期化に懸念を抱き「義経を派遣して雌雄を決するべきだ」と主張していることから考えると、屋島攻撃は義経の「自専」であり、平氏の反撃を恐れた院周辺が後押しした可能性が高い。『平家物語』でも、義経は自らを「一院の御使」と名乗り、伊勢義盛も「院宣をうけ給はって」と述べている。
    これらのことから、頼朝の命令で義経が出陣したとするのは、平氏滅亡後に生み出された虚構であるとする見解もある[1]
  2. ^ 安田元久は、「このとき義経は、当時としては破天荒の戦術をとった。すなわち彼は部下に命じて、敵の戦闘員には目もくれず、兵船をあやつる水手・梶取のみを目標に矢を射かけさせたのである」[2]という見解を示している。根拠が不明であり、仮説・推測の域を出ていないが、非戦闘員を射殺する義経の卑怯な戦法という解釈はここから生まれたと思われる。
  3. ^ つまり、源氏の兵に凌辱される前に自害せよと婉曲的に示唆した。
  4. ^ 壇ノ浦の戦いで深傷を負った平家の武将が水溜まりを見つけ、飲んでみると真水だった。もう一口飲もうとしたら塩水になっていたという伝説が残る。
  5. ^ 『吾妻鏡』によると、義経は腰越から鎌倉に入れてもらえないとされている。一方、延慶本『平家物語』では、義経は一旦鎌倉蔵に入り頼朝と対面するが、鎌倉のはずれに止め置かれた後義経は都に戻ったとある。
  6. ^ 鎌倉幕府の成立年には、頼朝が東国支配権を樹立した治承4年(1180年)、寿永二年十月宣旨により東国支配権が事実上公認された寿永2年(1183年)、公文所及び問注所を開設した元暦元年(1184年)、文治の勅許により守護・地頭職の設置・任免が許可された文治元年(1185年)、日本国総守護地頭に任じられた建久元年(1190年)、征夷大将軍に任じられた建久3年(1192年)などの諸説がある。
  7. ^ ドラマでは二位尼が安徳天皇と弟の守貞親王をひそかに入れ替えさせ、海に没したのは実は守貞親王だったという設定になっている。

出典

  1. ^ 宮田敬三「元暦西海合戦試論-「範頼苦戦と義経出陣」論の再検討-」『立命館文学』554、1998年
  2. ^ 安田元久『日本の武将7 源義経』人物往来社、1966年
  3. ^ 上杉和彦『日本の戦争史 6 源平の争乱』p.224
  4. ^ 実証 壇の浦の合戦「NHK歴史への招待 6巻 義経騎馬軍団 壇ノ浦合戦」(日本放送出版協会)
  5. ^ 石井謙治『和船 II』(法政大学出版局、1995年) ISBN 4-588-20762-8 V 海と船のこぼれ話 2 壇の浦合戦と潮流 pp.233-237



「Battle of Dan-no-ura」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Battle of Dan-no-uraのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Battle of Dan-no-uraのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの壇ノ浦の戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS