1000形・とは? わかりやすく解説

1000形

昭和54年48年ぶりの完全新造車として登場、旧形車両ばかりだった江ノ電新風吹き込みました。沿線の方ばかりでなく全国的に人気者となり、翌55年には鉄道友の会会員投票により決定するブルーリボン賞」を受賞する栄誉輝きました平成16年登場25周年迎えたのを機に20形同様の塗色変更開始されました。
在籍・・・1001+1051号車、1002+1052号車、1101+1151号車
     1201+1251号車1501+1551号車、1502+1552号車 6編成12

1000形

1000形(120) 3000形(300・315・325・335) 5000形(500)

1000形ー120
1000形
大正15年製造
ことでん弊社車両
3000形315
1000形
大正15年製造
ことでん弊社車両
5000形500
1000形
昭和3年製造
ことでん弊社車両

高松琴平電気鉄道開業時から走り続けている車両で、1000形と3000形大正15年に、その増備型である5000形昭和3年デビューしましたいずれも半室運転台3扉車です。1000形は汽車車で5両が製造され当時戸袋窓が楕円形になっていましたまた、車内ニス塗りから水色ペンキ塗装変更されています。
3000形日本車輌で5両が製造され外観は1000形とほぼ同様であるが、相違点窓枠が1000形にはRがついているに対して3000形角張っているほか、ウインドヘッダー取り付けられています。また、パンダグラフ当初から琴電琴平寄り設けられています。
5000形加藤車両で3両が製造され当時付属車で片運転台でした。1000形・3000形との相違点テールライト正面窓上部移動され前面貫通扉横引きになったほか、戸袋窓は当初から原型のままです。その後昭和28年からは電動車改善され同時に両運転台化されました。
昭和42年から1000形・3000形更新改造工事始まり戸袋窓・貫通扉乗降扉の更新がされたほか、1000形はパンダグラフ高松築港寄りから琴平寄り変更されました。一方3000形では315号が運転台拡張工事行いました。さらに335345号は昭和58年に860号や890形などの単独Tc車と組むために主電動機パワーアップおこないました。
琴平線大型車導入に伴い長尾線志度線への転出平成2年完成しましたこの間に、昭和51年志度線にて1000形同士110号・140号)が正面衝突事故廃車となりました
また、5000形520号は琴平線1070形投入に伴い昭和59年平成10年からの長尾線志度線600形投入に伴い、1000形100号・130号3000形345号及び5000形510号それぞれ廃車となりました

3000形325号車平成18年9月6日引退


1000系

(1000形・ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 02:44 UTC 版)

1000系(1000けい)とは、1000の数値を使用するないしは4桁の数値の内上1桁目が「1」を使用する体系を持つものを指す。




「1000系」の続きの解説一覧

1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 11:44 UTC 版)

国鉄6200形蒸気機関車」の記事における「1000形」の解説

1000形(2代1000 - 1035)は、6350形を小運転や入換適するよう、従軸を1軸追加して、側水槽および炭庫背水増設し4-4-2 (2B1) 型タンク機関車改造したもので、4形式の「ネルソン」中、最も早く改造されたものである。全36両が1924年から1926年にかけて大宮工場浜松工場および小倉工場改造され改造終了により6350形消滅した。側水槽左右とも前半上面傾斜のついた五角形である。ボイラー火室部に設置されていたドラモンド水管は、改造の際に撤去されている。また、6300形特徴である前端部の乙字型に屈曲したランボードシリンダから前の部分撤去してしまった車も存在する改造年および施行工場新旧番号対照は、次のとおりである。 1924年改造11両)大宮工場 6373, 6368, 6367, 6354 → 1000 - 1003 浜松工場 6356, 6353, 6381, 6380 → 1013 - 1016 小倉工場 6353, 6355, 6359 → 1026 - 1028 1925年改造24両)大宮工場 6364, 6369, 6375, 6365, 6366, 6372, 6376, 6370 → 1004 - 1011 浜松工場 6374, 6377, 6379, 6382, 6378, 6385, 6383, 6384, 6362 → 1017 - 1025 小倉工場 6357, 6360, 6350, 6351, 6352, 6358, 6361 → 1029 - 1035 1926年改造(1両)大宮工場 6371 → 1012 改造落成後は各工場管内配属されたが、後にかなり移動している。1933年6月現在の配置は、東京鉄道局に7両(品川八王子真岡水戸)、名古屋鉄道局に13両(美濃太田名古屋福井高岡)、大阪鉄道局に12両(松山高松)、仙台鉄道局に4両(小牛田)で、全車健在であったが、1945年3月末には35両に減少しており、1952年3月末には1両となり、間もなく全廃された。 民間への譲渡は6両で、その状況次のとおりである。 1006194?年) → 大日本炭礦勿来1006 1017(1950年) → 名古屋鉄道 1017 10201948年) → 山形交通尾花沢線) 1020 1021(1950年) → 昭和電工 1021 10231948年) → 北陸鉄道能登線1023 → B301 10241950年) → 名古屋鉄道 1024 山形交通移った1020尾花沢線で混合列車牽引使用された。1952年ディーゼル機関車導入され以後除雪用として残ったが、ディーゼル機関車が2両揃った1954年11月使用停止され翌年2月廃車された。 北陸鉄道移った1023能登線使用され1949年B30形 (B301) と改番されたが、現車ナンバープレートそのままであったようである。1955年2月廃車となった名古屋鉄道の2両は1950年9月入線。1017は新那加駅配備され進駐軍三柿野キャンプへの輸送用として使用された。1024新鵜沼駅-豊山駅-小牧飛行場豊山駅-小牧飛行場貨物支線)の輸送用として使用された。1957年には1017、1024は共に築港線移り貨物列車牽引用に使用された。1017は1958年6月10241959年7月廃車となった

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1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 15:39 UTC 版)

高松琴平電気鉄道1000形電車」の記事における「1000形」の解説

1926年汽車会社製。両運転台制御電動客車で、琴平電鉄開業にあたり100・110・120130・140の5両が製造された。 形式より一桁少なく10番刻み特異な付番方法については、新製当時資料残存しておらず、現在に至るまで不明とされている。 15 m 級の半鋼製車で窓配置はC3´-1D6D6D1で前面は丸妻の貫通式。ノーヘッダ、段なしウィンドウシルで、窓の上隅が大きな曲線になっていること、前面裾も隅が曲線になっている点が特徴である。製造時は両端客用ドア戸袋窓は楕円屋上ベンチレータ水雷形床下にはトラス棒を装備していた。また、当時米国英国製またはそのライセンス契約による国内製が多かった電装品に、ドイツAEG製のものを使用していることも特筆される製造当初パンタグラフ琴平寄り設けられていたが、昭和20年代高松寄り改められている。その後、1966〜1967年実施され大規模な更新工事により、客用窓はアルミサッシ化、戸袋窓は全てHゴム支持矩形改められた。前面尾灯移設の上2灯に増設されている。この時までに床下トラス棒は撤去されている。屋上水雷ベンチレータ小さな筒型のものになり、パンタグラフ再度琴平寄り変更された。 その後琴平線1020形などの18 m 級大型車増備されたことにより、1972年100120・140が、1976年には110・130志度線転属その後1976年架線電圧昇圧された長尾線でも使用されている。しかし、1976年8月1日今橋駅 - 松島二丁目駅間で発生した列車同士正面衝突事故で、110・140が廃車となった現在に至るまでことでん史上唯一の有責事故による廃車である。 残る3両は、前面貫通扉および客用扉の変更前照灯シールドビーム化などが実施された。1994年志度線分断以降は、全車長尾線所属となったこの間1988年鉄道友の会よりエバーグリーン賞受賞した600形700形導入で、1998年1301999年100廃車され、残った120は主に朝ラッシュ時増結となった100運用離脱は、琴電オリジナル形式のトップナンバー車(100 + 300 + 500)で編成組まれさよなら列車運転され多くファン地元住民乗車撮影楽しんだ。そのさよなら運転終盤100ドアが開かなくなる故障起こし、まさに「力尽きる」形で仏生山工場へと回送された。ただしこれに関する苦情一件あがってこなかったという。 1202007年7月31日午後に実行され長尾線大型化車両全面冷房化以降動態保存となった動態保存となって以降3形式ともサボ受けが撤去され過去に使用されていた引掛式の行先標使用している。なお、台車主電動機に関して動態保存開始直後オリジナル汽車会社ボールドウィン78系(弓形イコライザー)とアルゲマイネ社製USL-323B(48.5 kW)の組み合わせだったが、2007年11月65廃車となった後に同車が履いていた阪神電気鉄道881形由来川崎車両ボールドウィン系(U形イコライザー)と東洋電機製TDK-596FR(80 kW)に履き替えている。 2019年発表された旧形車の廃車計画では、1202021年5月イベントをもって営業運転終了し保存先決まらない限り解体されることが明らかにされた。しかし、新型コロナウイルス感染症の影響引退イベント日程変更となり、2021年11月3日イベントをもって引退した引退後事業用車として、仏生山工場にて可動状態維持したまま現存している。

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1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/14 18:48 UTC 版)

国鉄1000形蒸気機関車」の記事における「1000形」の解説

浪速鉄道現在の西日本旅客鉄道片町線前身)が、1894年明治27年)から1896年明治29年)にかけて4両を輸入したもので、そのうち1894年製の2両は、建設用に使用された後、開業後の営業用に使用された。番号1 - 4で、導入の状況次のとおりである。 1894年(2両)製造番号14068 : 1 製造番号14070 : 2 1895年(1両)製造番号14552 : 3 1896年(1両)製造番号14961 : 4 浪速鉄道では、1 - 3開業用として使用しその後4を増備している。浪速鉄道1897年明治30年2月9日付け関西鉄道営業譲渡し、本形式同社17形望月もちづき)」17 - 20改称された。 関西鉄道1907年明治40年)に国有化され、4両とも国有鉄道となった1909年明治42年)に実施され鉄道院車両形式称号規程制定にともなう改番では、1000形(1000 - 1003)に改称された。形式数字小型のものから若い番号付与するという原則があり、動軸3軸を持つ蒸気機関車の中で最も小さ形式数字付与された本形式小ささが、このようなからもうかがうことができる。 国有化後は、小型少数形式であることから早期淘汰対象とされ、1913年大正2年6月に2両(1002, 1003)が、1914年大正3年5月に1両(1001)が、同年8月には最後の1両(1000)が除籍されいずれも民間払い下げられた。これらは譲渡重ねたものも多く再国有化されたものもある。特に1001は長命保ち昭和30年代まで使用されていた。 その状況次のとおりである。 1000尾西鉄道 31(已形) → 丸子鉄道 1(1917年譲受1926年廃車) 1001 → 宮崎県営鉄道 1001 → 鉄道院 1001(1917年買収) → 大和鉄道 1001(1919年5月譲受) → 和歌山鉄道 1001(1939年譲受1951年廃車解体) 1002 → 宇部鉄道 2(1937年廃車1003宇部鉄道 1 → 国東鉄道 1(1922年4月譲受形式A) → 明治鉱業平山 1(1937年7月譲受1956年8月廃車解体

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1000形(1001)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 23:45 UTC 版)

シルバーライン (サンディエゴ・トロリー)」の記事における「1000形(1001)」の解説

サンディエゴ・トロリー開業時導入したU2形電車のトップナンバー。新型車両導入により2015年一時引退したが、2019年6月からシルバーライン営業運転復帰している。 「サンディエゴ・トロリー1000形電車」も参照

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1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 19:27 UTC 版)

南海和歌山軌道線」の記事における「1000形」の解説

戦後初め新造された半鋼製低床ボギー車。窓配置は1D10D11で、同軌道線中央車掌台方式(片側2扉非対称型)とドアエンジン初め導入した車両。窓の開閉上段ゴム支持下段上昇式。1000-1003は屋根帆布張りなのに対して後期生産の1004-1006は鋼板張り上げ屋根構造だったため外観印象異なっていた。 車両番号構造車両定員座席全長(mm)全幅(mm)全高(mm)自重(t)車輪径(mm)主電動機ギア比駆動制御定格速度定格引張力台車製造所製造年備考1001-1006 半鋼 66(28) 11,000 2,210 3,690 15.5 660 37.3kW×2 63:14 釣掛式 直接 22.7 1,212 住友KS-40--J 東洋工機 1954

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1000形(カウンティ級)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 16:15 UTC 版)

フレデリック・ホークスワース」の記事における「1000形(カウンティ級)」の解説

第二次世界大戦後、さらに4種類新設計があり、ほとんどは以前の型の改良型であった。1000形(カウンティ級)は、グレート・ウェスタン鉄道の2シリンダー車軸配置4-6-0機関車として、最後最強機関車であり、42年前の2900形セイント級)に始まる一連の機関車最高峰である。台枠は改ホール級に似ているが、ボイラー新し設計のもので、ホール級の標準1型ボイラーよりも直径大きく、4073形(キャッスル級)のボイラーよりは直径小さくかなり短いものとなっている。このボイラーは、第二次世界大戦中鉄道政府管理にあった当時スウィンドン工場ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道LMS)の8F形(英語版)を製造した際に導入した工作機械用いて製作しており、これ以前GWRのどの機関車よりも高い、280 psi(約19気圧)の圧力使用している。チャーチウォードの設計した3800形英語版)(同じくカウンティ級)に使われていたのと同じ名前を採用したものがある。

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1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:10 UTC 版)

小田急ロマンスカー」の記事における「1000形」の解説

2016年12月12日、本来運予定車両故障原因で、1051編成+1251編成10両が「えのしま74号」に充当された。

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1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 01:08 UTC 版)

西鉄特急」の記事における「1000形」の解説

1957年製造製造当初急行使用され1959年特急運転開始時に初代特急用車両となった座席向かい合わせ固定クロスシートであった当初上半クリーム色下半マルーン色の西鉄標準であったが、1961年コバルトブルー黄色の帯の特急専用色に改められた。1973年2000形登場により急行用に格下げされた。

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1000形

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小田急電鉄の鉄道車両」の記事における「1000形」の解説

1988年運用開始した小田急では初のオールステンレス車両かつVVVFインバータ制御方式車両1989年以降地下鉄直通にも使用されていたが、4000形(II)導入により2012年直通終了し、現在は地上線で運用している。2014年以降制御装置SiCモジュール素子への交換2画LCD設置をはじめとしたリニューアル工事順次行われている。

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1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:14 UTC 版)

千葉都市モノレール」の記事における「1000形」の解説

開業当初からの車両製造年次によって行先表示器や座席などに違いがある。1988年から1999年の間に合計20編成40両が製造された。2022年2月現在、8編成16両(第13 - 20編成)が在籍する

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1000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 09:55 UTC 版)

東京都交通局1000形電車」の記事における「1000形」の解説

1932年昭和7年)から1936年昭和11年)にかけて130両が製造された、全長10メートル小型ボギー車車体新造だが、台車電装品老朽化した木造の旧1000形のものを流用している。製造時期により、下記の通り外観などに若干差異があった。 1933年までに登場した1001~1040の40両は客扉のステップが1段で、客扉の上辺が側窓より高い位置にある。 1934年1935年登場した1041~1085の45両は客扉のステップ2段で、客扉の上辺と側窓の高さが揃っている1935年1936年登場した1086~1130の45両は1041~1085と同様だが、前面雨樋曲線になり、前面には傾斜付いている。 戦時中1942年1932年製のもののうち7両が満州国新京市電に譲渡された。その後戦災によって43両(1001~1040の中の1両、1041~1085の中の20両、1086~1130の中の22両)が焼失そのうち元1001~1085から5両、元1086~1130から5両の計10両が戦後更生復旧果たした1948年昭和23年)の改番により、旧1001~1040の残存車32両が1001~1032、旧1041~1085の残存車25両が1033~1057、旧1001~1085の戦災復旧車5両が1058~1062に改番され、最終的に62両の体制となった。なお、この時旧1086~1130のものは形状の違いから1100形として区分されている。当初錦糸堀、目黒神明町の各車庫所属していたが、錦糸所属車のうち1段ステップの物は荒川へ、2段ステップの物は目黒神明町転属となった1954年昭和29年)に9両が7000形7021・7023~7030(初代)更新改造され、また1955年昭和30年)には1016車体延長改造を受け下述の1300形1301となっている。 1956年昭和31年以降更新修繕進められこの中で10071008試験的に前面方向幕拡幅がされている。また、1007空気バネ台車試験車となっていた。 1964年昭和39年以降廃車進み1967年昭和42年)の第一次都電撤去時に全車廃車された。この中で1両が西武所沢車両工場客車改造を受け、羽後交通譲渡され、横荘線で使用された。

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