食糧事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 07:10 UTC 版)
明治42年頃よりちゃんこが広まったがそれまでは回向院前の広場で日本相撲協会主催の炊出しが行われており、経済事情が良くない部屋に無償で提供していた。一部両国周辺の住民にも提供されていた。明治42年の両国国技館開館を機に規約上廃止となったが、その後も大正期まで炊き出しが続いた。 春日山部屋所属だった緑島(のち年寄立浪)は現役中米にありつくことは炊出し以外ほとんどなく、すいとんや目刺しばかりだったという。 琴欧洲の新弟子時代当時は新弟子が食べる順番の時までちゃんこのおかずが残っているかどうかも日によってまちまちでちゃんこ鍋の中身まで無い日もあった。一部報道によると汁すらない日もあったようであり、米に水をかけて食べた日もあったという。 食料事情が良くなかった昭和30年代頃までの角界においては、下位の力士たちは大抵、関取たちが食べ終えたちゃんこの残り汁と漬物だけをおかずに米の飯を掻き込んでいたという。時津風部屋出身の元関脇蔵間竜也によると、彼の新弟子時代には、関取たちの食事が終わった後には米の飯すら残らない有様で、彼が煎餅を食べて空腹を紛らわせていたところ、兄弟子から「煎餅を食べるならチャンコを食べろ」と注意されたといい、当時はいかにちゃんこが重要視されていたかがうかがえる。番付社会の悲哀の象徴として、「若い衆が鍋に残っている具を箸で取ろうとしたら、汁に映った自分の目だった」という古い逸話がある。大鵬は若い頃、鍋が煮立つのを待つ間にどんぶり飯を2杯食べたというが、これは鍋が煮えるまで待っていては米すらも残らなくなるという意味である。 なお、現在では食糧事情の充実や「新弟子の頃は寧ろ食べて身体を作るべき」という意識の変化もあり、最下位の新弟子であっても十分なちゃんこを口にすることができ、寧ろ稽古不足による栄養過多のリスクが指摘される。
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「食糧事情」の例文・使い方・用例・文例
- その国の食糧事情は深刻だという噂(うわさ)だ.
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