四夷とは? わかりやすく解説

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し‐い【四×夷】

読み方:しい

古代中国で、自国中華というのに対し四方異民族をさしていう語。東夷西戎(せいじゅう)・南蛮北狄(ほくてき)の総称

四方服従しない民。

「武を以ては—の乱を定(しづ)む」〈平治・上〉


四夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/23 06:53 UTC 版)

四夷(しい)あるいは夷狄(いてき)は、古代中国中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称(蔑称)である。四夷は漢民族(漢人)側から周辺の他民族への呼び名(蔑称)とするのが一般的だが、近年の研究(謝小東の遺伝子調査を含める)の結果、これまで考えられてきた漢民族の定義自体が名目上(中国的正統主義による考え)であった可能性が出てきている。


  1. ^ a b 岡田英弘 『誰も知らなかった皇帝たちの中国』〈WAC BUNKO〉ワック、2006年9月21日。ISBN 4898315534 
  2. ^
    孟子曰:「舜生於諸馮,遷於負夏,卒於鳴條,東夷之人也。文王生於岐周,卒於畢郢,西夷之人也。地之相去也,千有餘里;世之相後也,千有餘歲。得志行乎中國,若合符節。先聖後聖,其揆一也。」 — 孟子、離婁下
  3. ^ 杉山清彦. “第8回 「中華」の世界観と「正統」の歴史” (PDF). 「正統」の歴史と「王統」の歴史 (東京大学教養学部): p. 6. オリジナルの2016年9月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160910050756/https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/11348/8/notes/ja/08sugiyama20121203final.pdf 
  4. ^ a b 王徳威 (2020年3月16日). “基調講演記録 華夷の変 ―華語語系研究の新しいビジョン―”. 愛知大学国際問題研究所紀要 = JOURNAL OF INTERNATIONAL AFFAIRS (155) (愛知大学国際問題研究所): p. 10-11. http://id.nii.ac.jp/1082/00010030/ 
  5. ^ 韓東育 (2018年9月). “清朝の「非漢民族世界」における「大中華」の表現 : 『大義覚迷録』から『清帝遜位詔書』まで”. 北東アジア研究 = Shimane journal of North East Asian research (別冊4) (島根県立大学北東アジア地域研究センター): p. 17. http://id.nii.ac.jp/1377/00001920/ 


「四夷」の続きの解説一覧

四夷(しい)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:02 UTC 版)

紀伝体」の記事における「四夷(しい)」の解説

列伝から異民族出身の人物に関する記述独立させたもの(『晋書』)。『新五代史』では契丹(遼)がこれに含まれる

※この「四夷(しい)」の解説は、「紀伝体」の解説の一部です。
「四夷(しい)」を含む「紀伝体」の記事については、「紀伝体」の概要を参照ください。


四夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 12:39 UTC 版)

中華思想」の記事における「四夷」の解説

詳細は「四夷」を参照 中国人考え中華思想では、「自分たちが世界中心であり、離れたところの人間愚かで服も着用しなかったりの皮だったりし、秩序もない」ということから、四方異民族について四夷という蔑称付けた東夷(とうい) - 古代漠然と中国大陸沿岸部、後には日本朝鮮などの東方諸国西戎せいじゅう) - 所謂西域呼ばれた諸国など。 北狄ほくてき) - 匈奴鮮卑契丹韃靼蒙古などの北方諸国南蛮なんばん) - ベトナム・カンボジアなど東南アジア諸国南方から渡航してきた西洋人など。 中華世界では四夷は辺鄙な場所に住んでいるために中華文明影響恩恵受けていない「化外の民」であり、いずれ中華文明教化されることによってやがて文明化されていくとされ、中華世界ではこの「化外の民」を教化し中華文明世界へ導くことが中華世界責務であるとされた。特に中華文明代表する天子としての皇帝は自らの徳をもって周辺諸民族教化し文明へと導くと考えられた。「民」が教育によって「士」となりうるように、「四夷」の概念固定的なものではなく文化の発展とともに移動する変動的概念であり、孟子はこれを「夏をもって夷を変ずる」と述べている。 そのため、この範囲時代により異なる上、これらが蔑称かどうか議論がある。例えば「東夷」については孟子古代聖王舜は東夷の人であるという説があり、また人の同類とされ習俗が仁で君子不老の国とされており、蔑称かどうか議論がある。蔑称ではないという主張存在し外国宛の文書相手国を「東夷」と記して蔑称であるか、そうでない問題になったこともあるという。 夷狄とする国家民族人物に対して良い意味では無い漢字をあてる場合もあり、例として「蒙古」の「蒙」(無知蒙昧)、ヌルハチ対し明王朝が「奴児哈赤」と「奴」の字をあてたものがあげられる現代中国台湾日本などでは、これらの言葉鴨南蛮カレー南蛮等で名前を残す以外、ほとんど死語となっているが、学術的に使われ続けている。

※この「四夷」の解説は、「中華思想」の解説の一部です。
「四夷」を含む「中華思想」の記事については、「中華思想」の概要を参照ください。

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