ビー‐エス‐ディー【BSD】
BSD
正式名称:Berkeley Software Distribution
カルフォルニア大学バークレー校で開発が行われ、配布されたUNIX系OSやソフトウェアの名称。単にBSD系UNIXを指す場合もある。
BSDは、当時バークレー校に在籍していたBill JoyがPascalコンパイラなどを配布したのが始まり。その後、バークレーで改良されたUNIX(1BSD)とともに配布が行われたため、OSの名称として使われることになった。
その後、DEC社(現Hewlett-Packard社)のVAX11でUNIXを動かす必要から、AT&TのUNIX/32Vをベースに仮想記憶を実装した版が作られた。これが3BSDである(1979年)。同校は、その後、DARPA(米国防省高等研究計画局)からTCP/IPの実装などのプロジェクトを請け負い、この契約で作られたのが4.0BSDである(1980年)。このときに作られた組織がCSRG(Computer Systems Research Group)で、以後BSDはCSRGがリリースを行った。
4.xBSDが広く使われたのは、AT&TがUNIXを商用化したため、32V以後はソースコードが公開されなくなったからである。この4.x系列で最も著名なのは4.3BSDで、これは4.2BSDの効率を上げ、バグフィックスを行ったもの。各社のUNIXワークステーションやサーバーなどのOSとして採用され、広く使われることになった。
当初、BSD UNIXは、AT&Tのライセンスが必要だったが、CSRGで大部分を開発した4.3BSD Net/1を、AT&Tのライセンスが不要なフリーソフトとして公開した。その後、4.3BSD Net/2がリリースされるが、これに対してUSLから訴訟を起こされた。その結果、4.3BSD Net/2は、AT&Tのライセンスが必要とされたが、代わりに4.4BSD-Liteはライセンス不要にすることができた。CSRGは、1995年に4.4BSD-Lite Rel.2をリリースし解散した。
関連見出し
FreeBSD
NetBSD
OpenBSD
386BSD
BSD
BSD (曖昧さ回避)
BSD
略語
- Berkeley Software Distributionの略 - カリフォルニア大学バークレー校で開発されたソフトウェア群およびオペレーティングシステム (OS)
- BSデジタル放送の略 - 日本における衛星放送を参照
- バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想 (Birch and Swinnerton-Dyer Conjecture) の略
- 文豪ストレイドッグス (Bungō Stray Dogs)の略
Berkeley Software Distribution
(BSD から転送)
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Berkeley Software Distributionは、1977年から1995年までカリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley, UCB) の Computer Systems Research Group (CSRG) が開発・配布したソフトウェア群、およびUNIXオペレーティングシステム (OS) を言う。略称はBSD(ビーエスディー)。なお、今日「BSD」という名称は同OSを元に開発されたBSDの子孫の総称として使われることもあるが、この項では主に前述のUCBによるソフトウェア群およびOSについて述べる。
- ^ Peter H. Salus, A Quarter Century of UNIX (Addison Wesley, June 1, 1994; ISBN 978-0-201-54777-1), p. 142
- ^ Toomey, Warren. “Details of the PUPS archives”. tuhs.org. The Unix Heritage Society. 2010年10月6日閲覧。
- ^ Mueller, Walter (2009年1月4日). “2.11BSD Patch 446+447; fixes for ulrem,umount,tar,tcsh,ps,vmstat,apropos,pstat,rk”. www.classiccmp.org. 2009年1月20日閲覧。
- ^ M.K. McKusick in Open Sources, O'Reilly.
- ^ a b M.K. McKusick, M.J. Karels, Keith Sklower, Kevin Fall, Marc Teitelbaum and Keith Bostic (1989). Current Research by The Computer Systems Research Group of Berkeley. Proc. European Unix Users Group.
- ^ Babcock, Charles (2006年8月14日). “What's The Greatest Software Ever Written?”. InformationWeek. 2009年1月20日閲覧。
- ^ Linksvayer, Mike (1993年). “The Choice of a GNU Generation - An Interview With Linus Torvalds”. Meta magazine. 2009年1月20日閲覧。
- ^ L. Torvalds (29 January 1992). "Re: LINUX is obsolete". Newsgroup: comp.os.minix. Usenet: 1992Jan29.231426.20469@klaava.Helsinki.FI. 2006年5月11日閲覧。
- ^ “BSD Code in Windows”. everything2.com (2001年3月20日). 2009年1月20日閲覧。
- ^ “BSD Usage Survey”. BSD Certification Group (2005年10月31日). 2009年1月20日閲覧。
- 1 Berkeley Software Distributionとは
- 2 Berkeley Software Distributionの概要
- 3 BSDの主な子孫
- 4 参考文献
- 5 関連項目
BSD
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/26 02:00 UTC 版)
「IEEE 802.11s」の記事における「BSD」の解説
FreeBSDでは、FreeBSD 8.0から802.11sドラフトに対応している。
※この「BSD」の解説は、「IEEE 802.11s」の解説の一部です。
「BSD」を含む「IEEE 802.11s」の記事については、「IEEE 802.11s」の概要を参照ください。
BSD
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「Macintoshのオペレーティングシステム」の記事における「BSD」の解説
FreeBSD、NetBSD、OpenBSD、Darwin等が存在する。
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「BSD」を含む「Macintoshのオペレーティングシステム」の記事については、「Macintoshのオペレーティングシステム」の概要を参照ください。
BSD
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/25 15:47 UTC 版)
ShannonとStettnerはUNIX/32VのCPU周りやドライバサポートに当初取り組んだが、間もなくカリフォルニア大学バークレー校の4BSD開発グループと共に働くことに集中するようになった。バークレーのビル・ジョイはニューハンプシャー州に乗り込んで Shannon や Stettner と合流し、UEGによるCPU周りとドライバを含めてBSDリリースをまとめ、最終的な開発とテストをDECの様々なシステム構成で行った。また、3人はVMS開発グループの使用しているメインのVAXでの最終評価も行った。翌朝、端末にUNIXのプロンプトが表示されてもVMS開発者からは何のコメントもなかったという。UEGのマシンで最初の新しいUNIXが動作し、4.5BSDとラベルを貼ったテープをビル・ジョイが持っていった。次のバージョンは5BSDになると考えられていたが、大学の弁護士は4.1BSDという名称にすることを勧めた。4.1BSDが完成すると、ビル・ジョイはバークレーを辞めてサン・マイクロシステムズ設立に関わることになる。Bill Shannon も後にニューハンプシャーを後にしてサンに合流した。 ちなみにUEGのメインのVAX (decvax) は UUCP と Usenetネットワークの主要ノードのひとつであった。米国西海岸のUCバークレー (ucbvax) と東海岸のデューク大学 (duke) の電子メールとネットニュースを初めてリアルタイムで接続した。後にネットニュースに圧縮機能が追加されると、decvaxはヨーロッパ(アムステルダムのVrije Universiteit)やオーストラリア(メルボルン大学)にも接続され、少なくとも1日に2回通信を行った。 Armando StettnerはBill Dollとの立ち話で、そろそろDECが自身の製品としてVAX用UNIXを顧客にリリースすべきであると提案した。Bill Munsonへの提案書が作られ、彼はそれをケン・オルセンに提案した。オルセンはUNIXのライセンスプレートをつかみ、誰かの胸をそれで叩きながら「やろう」と言ったといわれている。Ultrixの始まりである。 UNIXのライセンスプレートとは、Stettnerが作った自動車のナンバープレート状のプレートである。ニューハンプシャー州には "Live Free or Die" というモットーがあり、ナンバープレートにはそれが書かれていた。その言葉とUNIXの精神の類似を感じて、Stettnerはそのようなプレートを作ったといわれている。彼はこれをUsenixで配っていた。
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BSD
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:25 UTC 版)
詳細は「Berkeley Software Distribution」を参照 1970年代後半から1980年代にかけて、カリフォルニア大学バークレー校のCSRGは派生版UnixであるBerkeley Software Distribution (BSD) を開発していたが、1984年にUnixがプロプライエタリに移行したため、これを自由に公開することができなくなっていた。以前のBSDからAT&Tからのライセンスが必要な部分を削り、必要な部分を書き直したものが4.3BSD Net/2である。さらに、これをベースに386で動かすために必要なコードを補って1992年にウィリアム・ジョリッツらがリリースしたのが386BSDであり、これがNetBSDやFreeBSDの祖先である。市場において、マルチプロセスやメモリ保護など、近代的なOSの実装が可能となる機能を搭載した安価な32ビットパーソナルコンピュータが普及しはじめ、Unixがパーソナルコンピュータで動くものとなる可能性があったことが、こうした広義のPC-UNIXの移植や開発をスタートさせた大きな要因であり、Linuxもまたそれらの現象のうちのひとつだった。リーナス・トーバルズは、当時386BSDが入手可能であったならば、自分はLinuxを作っていなかっただろうと発言している。
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BSD
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「マーシャル・カーク・マキュージック」の記事における「BSD」の解説
カークがBSDに関わるようになったのは、BSD開発の先頭に立ったビル・ジョイとバークレーで同じオフィスだったためである。 マキュージックのBSDへの最大の貢献はファイルシステムである。彼は最初の Berkeley Fast File System (FFS) の設計に関わった。その後 UFSの改訂版 "UFS2" も実装した。 2002年ごろには、Soft updates、スナップショット機能、バックグラウンドで動作するfsckも実装した。スナップショット機能により、電源異常発生後の再立ち上げでファイルシステムを即座に使用可能となり、fsckをバックグランドで実行できるようになった。 BSD系システムの内部構造について書かれた「設計と実装」シリーズの著作は非常に質が高く、BSDから派生したOSの開発に強く影響を与えているが、それらの統一感と熟考された性質に寄与している。また、本の愛称「デーモン本」の由来である表紙イラストの、マスコット等として親しまれているBSDデーモンはイラスト等の主なものについてマキュージックが権利関係を管理している。
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