4-8歳(2009-13年)
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「オウケンブルースリ」の記事における「4-8歳(2009-13年)」の解説
古馬となった2009年は、3月22日の阪神大賞典(GII)で始動し、7着。それから天皇賞(春)を予定したが、腰や脚の不安から回避し、放牧に出された。夏を越して秋は、10月11日の京都大賞典(GII)で7か月ぶりの復帰。3番人気で出走し、後方待機から最終コーナーは大外を周回した。直線では先行勢を差し切り、後方に4分の3馬身差をつけて先頭で入線。1年ぶりの勝利となり、重賞2勝目となった。 天皇賞(秋)(GI)では4着。ジャパンカップは、獲得賞金順位では除外対象であったが、レーティング上位となったために出走が実現した。2番人気に支持されて発走、最後方待機から直線では大外を回って追い上げた。1番人気ウオッカが残り200メートルで後方に3馬身差をつける独走状態だったが、その外から末脚により差を縮め、ウオッカに並びかけたところで決勝戦を通過。1着2着は写真判定となり、7分要してウオッカのハナ差、2センチ先着が認められ、2着となった。ウオッカがレース後鼻出血を発症した一方、オウケンブルースリは右前脚に無理をしたため、脚に水がたまり、さらに腫れて休養。5歳となった2010年の春夏は出走することができなかった。 秋、10月10日の京都大賞典で復帰し、メイショウベルーガに半馬身差の2着。直後に右前脚の腫れが判明し、年内休養を宣言。しかし症状が軽く回復したため、一転続戦することとなった。天皇賞(秋)こそ回避したが、続くジャパンカップ、有馬記念は出走し、それぞれ7着、11着に敗れた。 以降は、6歳の2011年から7歳の2012年までに12回出走。6歳アルゼンチン共和国杯(GII)、7歳京都大賞典では2着、6歳京都大賞典では3着となったものの、勝利には至らなかった。2012年12月の競走馬引退を発表。8歳となった2013年1月19日、京都競馬場にて引退式を行い、1月20日付で競走馬登録を抹消した。
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