鴬着寺 (塩尻市)とは? わかりやすく解説

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鴬着寺 (塩尻市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 14:57 UTC 版)

鴬着寺
所在地 長野県塩尻市贄川400
位置 北緯36度1分41.8秒 東経137度52分23秒 / 北緯36.028278度 東経137.87306度 / 36.028278; 137.87306座標: 北緯36度1分41.8秒 東経137度52分23秒 / 北緯36.028278度 東経137.87306度 / 36.028278; 137.87306
山号 飛梅山
宗派 曹洞宗
本尊 延命地蔵尊
中興年 延宝元年(1673年)
中興 梅應築薫
法人番号 3100005006962
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鴬着寺(おうちゃくじ)は 長野県塩尻市贄川にある曹洞宗の寺院。山号は飛梅山。

歴史

塩尻市奈良井にある長泉寺の末寺である。

開創された年月や、開山・開基などの由緒については不詳となっている。

鴬着寺の名は加賀藩前田家の大名が中山道を通行する途中で、この地に立ち寄った際に、僧が当時無名であった草庵に寺号をつけてほしいと請うた。

その時にウグイスのさえずりを聞いた前田家の大名が、飛梅山 鴬着寺と名付けたという。

延宝元年(1673年)、長泉寺九世の梅應築薫が中興開山した。

天和3年(1683年)、梅應築薫が遷化した。鴬着寺には梅應築薫の位牌が安置されている。

元文元年(1737年)に焼失したが、その後再建された。

住職については明治14年(1881年)以前の記録が無く、

明治15年(1882年)に藤沢篤宗が住職となったものの、まもなく遷化したため、しばらく長泉寺の住職が兼務していたが、

明治17年(1883年)に佐々木俊求が住職となった。

境内

本堂と庫裏がある。片平の墓地は、寺から離れた桜沢との中間にある。

参考文献

  • 『木曾・楢川村誌(暮らしのデザイン) 第6巻 民俗編』 第六章 カミの所在と由来 第三節 カミの由来 ニ 寺院の由来 鴬着寺 p818~p819 楢川村誌編纂委員会 平成10年

脚注




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