頒布元の変更
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1873年(明治6年)に神宮教院が開館し、明治9年2月の神宮教院規則第五条に神宮大麻の頒布を主要な事業としていることが示される。 第五条 大麻ヲ全国ニ頒布スル事 — 神宮教院規則 1878年(明治11年)の通達以降、頒布の方法がたびたび変更されるようになる。 神宮大麻頒布之儀ニ付明治五年六月元教部省ヨリ相達置候趣モ候処右ハ自今地方官ノ関係ニ不及候其受不ハ専ラ人民ノ自由ニ為仕儀ト心得此旨相達候事 — 明治十一年内務省達第三〇号 宮家や旧皇族に献上される木箱に入った大きく厚みがある献上大麻も存在する。 1882年(明治15年)に神宮教院が神道神宮派として独立し、さらに神宮教となると、大麻頒布は神宮教に委託される。さらに1898年(明治31年)には神宮教が神宮奉賛会となり、ここに頒布が委託される。 1882年の神宮司庁教院区分第21条、1899年(明治32年)の内務省訓第823号の第7条(7)は、頒布大麻には天皇や皇室を祈る部分があるが、授与大麻はないことからこれらの混同を法的に禁止した。頒布大麻は、皇国守護の元で奉斎者を加護する。 信仰の自由において意義が唱えられ、1916年(大正5年)に神宮神部署から説明がなされたが、神宮大麻の起源は大麻(おおぬさ)とも呼ばれる祓い串と祝詞によって修祓(しゅはつ)したもので、今では国家国民に対し祈願した行事によるものであるから、神体(しんたい)や分霊(わけみたま)ではなく、したがって本尊のようなものでもなく、崇敬するための標章なので信教の自由と衝突しないとしている。 しかし、21世紀初頭の祝詞は頒布のものでも「大麻を奉製したので、神前に供し、修祓式を行うので、この大麻に御霊を寄せ給え」といった内容である。大正から昭和戦前の論では、御霊の存在を否定し、遥拝の象徴かのように説かれるが、幣帛、祓具、神体、象徴といった各説があり、当時の様々な信仰を包摂しようと試みたものだが、神に供物として献じられ、御霊が付着し神体となり、祓い清めの祈りでもあるから祓い具でもある。どれかを択一すべきではないとされる。 2003年には神宮司庁教学課の『神宮大麻史料妙改定第一版』、翌年には神社本庁教学課の『神宮大麻に関する研究会報告書』が出版されている。2011年に頒布された大麻の数は888万545体である。
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