伊王野坦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 16:56 UTC 版)
伊王野 坦(いおの たいら[1]/ひろし[2]、文化11年(1814年) - 明治16年(1883年)11月12日)は、幕末から明治時代にかけての蘭学者、政治家、鳥取藩士、藩医師。別名、資明。通称、平六、次郎左衛門。伊王野氏20代当主伊王野資信の末子・資壽の子の資年の末裔。
- ^ 「いおのたいら」鳥取県立図書館・郷土文献人物データーベース
- ^ 「新撰大人名辞典 第1巻」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 78頁。
- ^ “世界大百科事典内の《察病亀鑑》の言及”. コトバンク. 2021年4月3日閲覧。
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.48
- 1 伊王野坦とは
- 2 伊王野坦の概要
- 伊王野坦のページへのリンク