雲仙岳噴火とは? わかりやすく解説

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雲仙岳

(雲仙岳噴火 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 21:35 UTC 版)

雲仙岳(うんぜんだけ)は、長崎県島原半島中央部にそびえる火山。半島中央部にある20以上の山々の総称であり[1]、山体の中心部は半島の中央を東西に横断する雲仙地溝内にある[2]。火山学上は「雲仙火山」といい、広義では東の眉山から西の猿葉山までの山々を含む[1]。山容は複雑で、三岳五峰、八葉、二十四峰、三十六峰など数字を用いた様々な呼称があった[1]。1934年(昭和9年)に日本で最初の国立公園として雲仙国立公園(のちの雲仙天草国立公園)が指定された[3]。行政区分では島原市南島原市雲仙市にまたがる。


注釈

  1. ^ 避難勧告は各地方自治体の長により発せられるが、居住者に立ち退きを勧め促すものであり、強制力や罰則はない。災害を鎮めるための作業員など許可を得た者以外の出入を禁止、もしくは制限するには災害対策基本法第63条に基づく警戒区域への指定が必要になる。1991年5月時点において、日本国内で住人が多数居住する市街地で警戒区域が設定された事例は無かった。
  2. ^ 6月3日の災害において、火砕流から発生した火砕サージの最終到達地点が筒野バス停付近だった。結果的に朝日新聞社から本災害による犠牲者は出ていない。
  3. ^ 5月15日、19日、21日、24日、上木場地区に対して土石流の避難勧告が出されているが、その際の住民避難所として農業研修所が指定されていた。
  4. ^ この赤松谷川方面の火砕流はテレビ朝日のカメラマンが撮影しており、その映像に映っていた「火砕流から住民と消防車が逃げる姿」はその後、そのすぐそばで撮影していた『FOCUS』のカメラマンによる写真とともに国内外多くのメディアで使用されることになる。なお海外メディアで取り上げられた映像には、消防車のサイレンと消防隊員の「逃げろー!」という声が聞かれる物があるが、これらは演出のために後付けされており、実際の映像にはない。
  5. ^ 報道関係者からの傭車により独断で避難できなかったとみられる。
  6. ^ 当時の火山学者が火砕流災害として念頭に置いていたのは、西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火によるポンペイの消滅、そして1902年のプレー山の大噴火だった。彼らは「火砕流」という言葉が、住民にこれらの大規模災害を想起させ、混乱を起こすことを恐れたのである。そのため「火砕流」ではなく「岩屑流」(がんせつりゅう)として発表すべきという意見もあった。また25日の臨時火山情報では、当初、火砕流の説明部分に「時速100キロ内外の高速度」という文言が含まれていたが、後に「雲仙ではこれほどの速度を持っているとは思われない」として原文から削除された[21][31]
  7. ^ 25日の臨時火山情報の発表直後、東京の気象庁記者クラブで解説会見が行われた。その要旨は以下の通りである。「雲仙岳の火砕流は溶岩ドームがガサガサに崩れた状態で起きているので、一番心配な『鉄砲玉のように一気に噴き出す火砕流』にはならない可能性のほうが強い。帽子(ドーム)が取れているのだから突拍子のない事は起きないと思う。また今回の火砕流は流れ出た当時、火事が起きていないことからそれほど高温のものではないと思われる。火砕流は桜島ではいつも出ている。浅間山でも噴火のたびに観測されており、そんなに珍しいものではない。」「火砕流というと大きく捉えられそうだが、オーバーに捉えないでほしい。」[21]
  8. ^ 避難勧告が「住人の安全を配慮し、利益になるための措置」であり、従わない者は自らその利益を放棄すると見做して、罰則は科されないのに対して、警戒区域の場合、従わない者には罰則が科されるため、地域の社会活動や経済活動が完全に止まり、住人や地域経済に及ぼす影響は計り知れない。
  9. ^ 不起訴となった理由は以下の通り。(1)路上などで現場の取材・撮影をしただけで、被災者の家に侵入する等、悪質な行為は認められない(2)動機も報道を目的としたもので酌量すべき(3)未だ多くの住人が警戒区域に立ち入った形跡があるのに立件・逮捕された例はなく、積極的に処罰する理由はない。[46]
  10. ^ ルポライターが警戒区域内に侵入・取材した件については、『読売新聞』が1991年7月20日付記事で大きく報道したが、普賢岳噴火被害被災者協議会会長は読売記事に対して「(ルポライターの取材によって)心情が逆なでされるなんてとんでもない。自分達が住んでいた地域がどうなっているのか、私たちは正確な情報が知りたいんです。私も一度、ビデオカメラを持って中(警戒区域)に入り、住民に見せたことがある。それで逮捕するならしてみろ、という気持ちでしたよ」と語っている[47]

出典

  1. ^ a b c d 雲仙岳火山防災計画 雲仙岳とは?”. 九州地方環境事務所. 2023年2月13日閲覧。
  2. ^ 雲仙岳火山防災計画 雲仙岳火山防災協議会”. 長崎県 (2022年2月25日). 2023年2月13日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月 1990-1995 雲仙普賢岳噴火”. 内閣府. 2023年2月13日閲覧。
  4. ^ 「大火砕流 忘れぬ30年」『読売新聞』朝刊2021年6月4日1面
  5. ^ 火山土地条件調査報告書(雲仙岳地区)”. 国土地理院. 2023年2月13日閲覧。
  6. ^ a b 平成新山”. 島原市. 2023年2月13日閲覧。
  7. ^ 火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山” (PDF). 気象庁. 2016年2月25日閲覧。
  8. ^ a b 雲仙岳と歴史・伝承”. 環境省九州地方環境事務所. 2023年2月13日閲覧。
  9. ^ 「沈黙」の舞台を訪ねて”. 雲仙温泉観光協会. 2021年6月6日閲覧。
  10. ^ 謎を呼ぶビール瓶次々 戦時中、極秘レーダー基地 長崎の普賢岳山頂に」『西日本新聞』、2017年1月14日。2021年6月4日閲覧。
  11. ^ 雲仙・普賢岳 山頂でたき火「絶対だめ」環境省事務所が呼びかけ」『西日本新聞』、2021年1月24日。2021年1月28日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j k 雲仙岳 有史以降の火山活動”. 気象庁. 2021年6月4日閲覧。
  13. ^ 九州地方とその周辺の最近の地震活動(1989年11月〜1990年4月)(気象庁) (PDF) 『地震予知連絡会 会報』第44巻
  14. ^ 九州地方とその周辺の最近の地震活動(1990年5月〜1990年10月)(気象庁) (PDF) 『地震予知連絡会 会報』第45巻
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m 太田一也「雲仙火山の温泉とその地学的背景」『日本地熱学会誌』第28巻第4号、日本地熱学会、2006年10月、337-346頁、ISSN 03886735 
  16. ^ 九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門・九州大学大学院理学研究院附属地震火山観測研究センター (1998年9月1日). “第3部 1990-1995年の大噴火の全容”. インターネット博物館「雲仙普賢岳の噴火とその背景」. 2010年8月28日閲覧。
  17. ^ 宇井忠英、隅田まり、大学合同観測班地質班「メラピ型火砕流の発生過程: 雲仙普賢岳第6ドームでの観測結果」『火山』第38巻第2号、日本火山学会、1993年7月1日、45-52頁、NAID 110003041573 
  18. ^ 廣井 1992, はしがき
  19. ^ a b 杉本 & 長井 2009, pp. 9–22
  20. ^ a b c 廣井 1992, pp. 33–52
  21. ^ a b c d e f 宮本 2006, p. 9
  22. ^ 香月 2012, p. 16
  23. ^ 江川紹子『大火砕流に消ゆ』文藝春秋、1992年、176頁。ISBN 4-16-346970-2 
  24. ^ 廣井 1992, p. 44
  25. ^ 江川紹子『大火砕流に消ゆ』183頁[要文献特定詳細情報]
  26. ^ 宮本 2006, p. 4
  27. ^ ニコンF4伝説
  28. ^ スクープ写真の記録 - ウェイバックマシン(2017年7月6日アーカイブ分) 読売新聞
  29. ^ a b 緑の雲仙へ植樹3.3万本 1万人参加「復興のシンボルに」『読売新聞』朝刊2021年6月4日(社会面)
  30. ^ 廣井 1992, pp. 48–49
  31. ^ 廣井 1992, pp. 12–15
  32. ^ 動画:5月29日 北上木場町の農業研修所前から撮影された比較的規模の大きな火砕流。6月2日以前の火砕流では最大規模
  33. ^ 地質調査総合センター研究資料集No.469「宮城・川辺・高田・阪口・宝田 (2007) 雲仙ビデオクリップ集」 - 産業技術総合研究所地質調査総合センター
  34. ^ a b 廣井 1992, pp. 27–28
  35. ^ 石川陽一「過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火から30年」『47NEWS共同通信、2020年11月17日。2020年11月16日閲覧。
  36. ^ 廣井 1992, pp. 34–36
  37. ^ 廣井 1992, p. 25、廣井 1992, pp. 64–66, 住人アンケート調査
  38. ^ 廣井 1992, p. 104
  39. ^ 香月 2012, pp. 26–28
  40. ^ 廣井 1992, pp. 36–39
  41. ^ 廣井 1992, pp. 21–29
  42. ^ 廣井 1992, pp. 59–64
  43. ^ 杉本 & 長井 2009, p. 17
  44. ^ 廣井 1992, pp. 38–39
  45. ^ 廣井 1992, pp. 134–138
  46. ^ 江川紹子『大火砕流に消ゆ―雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの』新風舎〈新風舎文庫〉、2004年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-7974-9511-1 
  47. ^ 江川紹子著『大火砕流に消ゆ―雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの』(新風舎文庫、2004年)より一部抜粋[要ページ番号]
  48. ^ 長崎新聞』2011年6月6日付
  49. ^ 島原で10年ぶり「雲仙集会」-新聞労連・九州地連 - ウェイバックマシン(2015年4月14日アーカイブ分)
  50. ^ NHKアーカイブス がんばらんば
  51. ^ 雲仙・普賢岳 溶岩ドームに落書き 黄色塗料で「ようこそ」」『毎日新聞』、2016年5月26日。オリジナルの2019年4月5日時点におけるアーカイブ。
  52. ^ 雲仙お山の情報館 youtube[リンク切れ]
  53. ^ 雲仙普賢岳の火砕流惨事から30年/「定点」が整備され地元住民らにお披露目 (テレビ番組). テレビ長崎. 23 March 2021. 2021年6月11日閲覧
  54. ^ 火砕流の被災車両を展示用に設置」『富山新聞北國新聞社、2021年3月16日。2021年5月24日閲覧。
  55. ^ 雲仙火山 科学掘削による噴火機構とマグマ活動解明のための国際共同研究”. 東京大学地震研究所火山研究センター. 2021年6月11日閲覧。
  56. ^ 雲仙火山で実施した火道掘削」『地学雑誌』Vol.122 (2013) No.2 特集号:日本における陸上科学掘削の現状と展望
  57. ^ 雲仙火山 -科学掘削による噴火機構とマグマ活動解明のための国際共同研究- 文部科学省科学技術振興調整費総合研究 (1999-2005)・国際陸上科学掘削計画(ICDP)共同事業
  58. ^ a b c 国史大辞典編集委員会 編「小林茂「島原雲仙岳噴火」」『国史大辞典』 第15巻 上、吉川弘文館、1996年、83-84頁。ISBN 978-4-642-00515-9 
  59. ^ 「溶岩ドームは「平成新山」 雲仙・普賢岳 地形図へ名称申請」『交通新聞』交通新聞社、1996年5月21日、3面。
  60. ^ 気象庁 噴火警戒レベル 雲仙岳 - ウェイバックマシン(2014年3月18日アーカイブ分)
  61. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
  62. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年3月閲覧。






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