鉄道コンテナ
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主に鉄道を用いて運ばれるその国の鉄道規格に応じたコンテナを指す。ただし鉄道によって運ばれる「海上コンテナ」は、基本的にはインターモーダル輸送の分野に含まれるので、「鉄道コンテナ」とは呼ばれないことが多い。 日本における鉄道コンテナの解説については日本のコンテナ輸送#鉄道コンテナを、一覧についてはJR貨物のコンテナ形式を参照のこと。
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鉄道コンテナ
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日本の鉄道コンテナは、戦前の1931年に試作された1 t積みの「イ号コンテナ」に始まるが、戦時中の金属供出によって全廃された。そして戦後、トラック輸送に対抗すべく3 t積み3000形コンテナ、5 t積み5000形コンテナの試作・試験輸送を経て1959年11月から、正式にコンテナ専用列車「たから号」として汐留 - 梅田間で、5000形など数種類の10 ft形、5 t積みコンテナを積載して運用を開始した。この10 ftの5 t積みコンテナが荷主にとって、取引単位や大きさなどからも非常に扱いやすいサイズであったため、このサイズをもとに日本のコンテナ貨物は、現在の主流である12 ftサイズへと拡充していくこととなる。 一方で、鉄道貨物輸送開始当初より伝統的に続けられていた「ヤード集結型輸送」の貨車輸送は戦後、日本の高度成長時代に伸び続けた。しかし、現代では当たり前の『荷物がいつごろ届く』という予定が、輸送途中での貨車を何度も切り離しては組み替えて、再輸送するヤード集結輸送方式ではほぼ掴めず、到着間際にやっとわかる程度の致命的な欠陥を抱えていた。このような輸送効率の悪い状況下でも国鉄貨物の輸送量が増え続けて、ついに1964年をピークに輸送限界に達し、その影響によりさらに輸送遅延がひどくなった。また当時はトラックなどのほかの輸送方法も手薄だった事もかさなり、国鉄は抜本的な輸送改革を求められ続けた。しかし1964年度に赤字に転落した後、累積赤字や度重なる労働争議の影響で輸送改革は思うように進まず、その後の相次ぐ高速道路の開通や地方までの道路整備が進み、急速に輸送日数も早くまた配達日程が分りやすいトラックに輸送シェアを奪われ、鉄道での貨物輸送量は年々激減し逆に赤字は膨らむ一方の悪循環に陥っていた。 その結果、ついに抜本的な対策として1984年2月1日国鉄ダイヤ改正#貨物列車の大整理にあわせて「ヤード集結型輸送」を廃止し、多くの貨物駅を拠点となる大型貨物駅に集約してコンテナ貨物列車や、一部の物資別専用列車による発送から到着までを、途中で貨車の組み替えする事無く「直行型輸送」に一斉に切り替えた。また国鉄が管理している私有コンテナに関しては、それまで専用のタンク車で長年輸送されてきた各種化成品についても、輸送方式の変更により多くの貨車が余剰廃棄となる中で、ごく一部のタンク車(ガソリン用など)しか生き残れないために、国鉄は私有#タンク・コンテナや#鉄道コンテナ化への変更を荷主に求めていったことで、主に20 ftサイズの私有タンクコンテナ(ISO規格・規格外ともにあり)に切り替わっていった。 「コンテナリゼーション」も参照
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