美濃焼
美濃焼 |
みのやき |
陶磁器 |
花器、茶器、飲食器、置物 |
美濃焼の歴史は古く、今から1300年以上前まで遡ります。最初は朝鮮半島から須恵器の技術が伝えられました。平安時代(10世紀)になると白瓷(しらし)と言われる灰釉(かいゆう)を施した陶器が焼かれるようになりました。この白瓷は須恵器を改良し、釉薬(ゆうやく)を使ったものです。この頃から窯の数も多くなり、本格的な焼き物生産地となりました。安土桃山時代から江戸時代初頭にかけて、茶の湯の流行とともに、茶人の好みを反映した焼き物が生産されました。 |
岐阜県 |
昭和53年7月22日 |
伝統的工芸品として指定されている美濃焼は15種類あります。中でも志野、黄瀬戸(きぜと)、織部、瀬戸黒(せとぐろ)等は色合いを大切にしたもので、淡い色彩のソフトな素地と釉薬の仕上がり、バランスのとれたデザインを最大の見どころとしています。 |
美濃焼
美濃焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 09:04 UTC 版)
美濃焼(みのやき、Mino-yaki, Mino ware)とは、岐阜県(南部は旧美濃国)の東濃地方のうち主に土岐市、多治見市、瑞浪市、可児市にまたがる地域で製作される陶磁器の総称である。
- ^ 田口 1983, p. 33。最古の窯は多治見市の赤曽根窯である。
- ^ これを妻木氏と関連付ける研究者もいる(cf.田口 1983, p. 35)
- ^ 瀬戸市周辺から窯が消失するこのような現象をしばしば瀬戸山離散と呼びならわされてきたが、その時期を古瀬戸後期の窯が妻木氏が領国を経営するために東濃地方に盛んに築かせた15世紀前半とする説、窖窯が大窯に代わられる16世紀前半に、瀬戸市内の窯が減少することを指すとする立場、瀬戸市域で生産を行おうにも薪や釉薬、陶土原料や材料がないために窯が築かれなくなり、美濃が窯業生産の中心となる16世紀後半に位置付ける立場がある(藤澤 1993, pp. 432–433)。
- ^ 【列島追跡】岐阜・美濃焼、粘土枯渇の危機/新たな採掘地探しに熱『日本経済新聞』朝刊2018年9月24日(地域総合面)2018年9月26日閲覧。
- ^ “日本3大陶器まつり 土岐美濃焼まつり”. 道の駅 志野・織部. 2022年11月1日閲覧。
- ^ 美濃陶芸の系譜 岐阜県ゆかりの人間国宝展
美濃燒と同じ種類の言葉
- 美濃燒のページへのリンク