私の円を乱すな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/18 08:08 UTC 版)
「私の円を乱すな!」(わたしのえんをみだすな!、羅: Nōlī turbāre circulōs meōs!)とは、ラテン語の成句。シュラクサイ包囲戦時、数学者・天文学者アルキメデスが、攻めてきたローマ兵に殺されそうになった時、砂上に描いた図形を指して発したと伝わる[1]。
起源
ヴァレリウス・マクシムスが伝えるところ(Facta et dicta memorabilia, Book VIII.7)によれば、この言葉は古代ギリシャの数学者・天文学者アルキメデスが発したものだという。ローマ帝国が紀元前214年から212年にかけての包囲戦の末にシラクサの町を征服したとき、ローマの将軍マルクス・クラウディウス・マルケルスはアルキメデスの誘拐を命じた。何人かの兵士がアルキメデスの家に押し入り、一人がアルキメデスに「お前は誰だ」と尋ねた。一方のアルキメデスは数学に夢中になっていたため、ただ「私の円を乱すな」[2]と答えた。その後、マルクス・クラウディウス・マルケルスの命令にもかかわらず、兵士の一人がアルキメデスを殺害した。
信憑性
プルタルコス『対比列伝』は本件については特に言及していない[3]。先述の通り、ヴァレリウス・マクシムス(Facta et dicta memorabilia, Book VIII.7)は、ラテン語のnoli ... istum disturbareという言葉を残している[3]。このヴァレリウスの解釈だけが古代から伝わるこの語句の唯一の現存する記録である。近代に入ってからは「私の円環を乱すな」(羅: Noli turbare circulos meos)という言い換えが行われ、さらにカサレヴサ・ギリシャ語に翻訳されて「μή μου τοὺς κύκλους τάραττε! (mē mou tous kuklous taratte!)」と表現されるようになった[3]。
引用
- ^ “Archimedes of Syracuse (Ca. 287-ca. 212 BC) -- from Eric Weisstein's World of Scientific Biography” (英語). 2025年10月18日閲覧。
- ^ Rorres, Chris. “Death of Archimedes: Sources”. クーラント数理科学研究所. 2006年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月26日閲覧。
- ^ a b c Rorres. “Death of Archimedes: Sources”. クーラント数理科学研究所. 2006年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月26日閲覧。
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