田中未知
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田中 未知(たなか みち、1945年[1]〈昭和20年〉 - )は、日本の作曲家、楽器作家、映画監督、著作家。寺山修司を長年にわたり公私にわたって支えた人物[3]、および1969年(昭和44年)のヒット曲『時には母のない子のように』の作曲家などとして知られる[3]。東京都出身[2]、東京都立千歳高等学校卒業[4]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 田中 2007, p. 380
- ^ a b c d e 齋藤 2007, p. 18
- ^ a b c d e f g h i j 守安 2015, pp. 4–7
- ^ 『新訂 現代日本人名録2002』3、日外アソシエーツ、2002年1月28日、472頁。ISBN 978-4-8169-1695-3。
- ^ a b c d “田中未知×祖父江慎トークショー「70年代伝説の書『質問』が生まれた時代 寺山修司が表現しようとしていたこと」”. 文藝春秋 (2018年3月16日). 2018年10月21日閲覧。
- ^ 『寺山修司』太陽編集部編、平凡社〈コロナ・ブックス〉、1997年7月15日、32頁。ISBN 978-4-582-63325-2。
- ^ 浅見恭弘「うた物語 名曲を訪ねて 時には母のない子のように 異形の母子愛、率直」『読売新聞』読売新聞社、2001年1月21日、東京朝刊、4面。
- ^ a b c 石飛 2018, pp. 83–87
- ^ a b c d 久田恵「書評 寺山修司と生きて 田中未知著 鬼才の不在を納得するまでの20年余」『朝日新聞』朝日新聞社、2007年6月17日、東京朝刊、13面。
- ^ a b 稲泉 2018, pp. 64–67
- ^ 梅森妙「“問いかけ”だけで構成された伝説の書『質問』を知っていますか? 編集担当者に聞いた『質問』の楽しみ方」『文春オンライン』文藝春秋、2018年2月19日、1面。2018年10月9日閲覧。
- ^ 松浦弥太郎「SUNDAY・LIBRARY 本のある日々 彼のことをふと思うとき あの香ばしいかおりを思い出す」『サンデー毎日』第97巻第15号、毎日新聞社、2018年3月18日、 104頁、 NCID AN10176044。
- ^ 梅森 2018, p. 2.
- ^ 田中 2007, p. 371.
- ^ 「今も慕われ続けて 寺山修司の十七回忌」『朝日新聞』、1999年5月8日、東京夕刊、9面。
- ^ 山内則史「時代超え「寺山修司」再び 没後17年 イベント・出版、相次ぐ人気」『読売新聞』、2000年8月14日、東京夕刊、11面。
- ^ 「寺山ファンら、23回忌に200人」『朝日新聞』、2005年5月12日、東京夕刊、10面。
- ^ 古賀太「寺山修司、写真も奇才 未発表含む150点公開」『朝日新聞』、2008年11月18日、東京朝刊、31面。
- ^ 河合真帆「寺山修司の未発表歌集、28日刊行へ」『朝日新聞』、2008年2月6日、東京夕刊、12面。
- ^ a b 寺山修司『秋たちぬ 寺山修司未発表詩集』田中未知編、岩波書店、2014年11月13日、173頁。ISBN 978-4-00-024045-1。(田中未知による後書き)
- ^ 「“寺山修司と生きた”田中未知が贈る二日間」『webDICE』アップリンク、2014年11月10日。2018年10月9日閲覧。
- ^ 「「寺山修司不思議書店」蔵書1000冊以上を公開、「あゝ、荒野」絶版本販売も」『映画ナタリー』ナターシャ、2018年3月21日。2018年10月9日閲覧。
- ^ 「寺山修司の蔵書千冊超を公開する『不思議書店』田中未知&祖父江慎も登壇」『CINRA.NET』CINRA、2018年3月15日。2018年10月9日閲覧。
- ^ a b “特別展「寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに」”. 神奈川近代文学館. 2018年10月19日閲覧。
- ^ a b 白取心平「言葉に焦点 独特な空間 横浜で「寺山修司展 ひとりぼっちの─」 母への手紙、直筆原稿並ぶ」『東奥日報 朝刊』東奥日報社、2018年10月16日、9面。
- ^ 「ノンフィクションW 暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。「月蝕歌劇団」30年の挑戦~』高橋ひとみにインタビュー!」『エンタステージ』ナノ・アソシエーション、2015年11月20日。2018年10月9日閲覧。
- ^ “田中未知・高松次郎の言語楽器《パロール・シンガー》と関係資料について”. 吉﨑 和彦. 2018年11月4日閲覧。
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