深堀事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 14:38 UTC 版)
深堀事件(ふかほりじけん)は、元禄13年12月19日(1701年1月16日)から12月20日(同1月17日)にかけて起こった、肥前国天領長崎(現・長崎県長崎市)において長崎会所の役人と肥前国佐賀藩深堀領の武士(家老格深堀鍋島家の家中のこと)の間に起こった騒動。これにより双方に死者を出す騒ぎになった。別名「深堀騒動」(長崎側から)、「長崎喧嘩」「大音寺坂事件」「長崎喧嘩騒動」「深堀義士伝」とも。
- ^ 東の今下町に向かう坂道は、元和6年(1620年)にミゼリコルディアの跡地に大音寺が建立されたことから、大音寺坂と通称された。
- ^ 家禄はそれぞれ30石と12石。
- ^ 名前は諸説あり、文献によっては「又助と久助」となっている。
- ^ 奪われた刀は、のちに伊香賀利右衛門の周旋で返却された。
- ^ 後の長崎市銅座町・浜町。
- ^ 吉良上野介の邸に討入った赤穂浪士は、この時の深堀藩士たちの戦法を参考にしたとする伝説がある。
- ^ 『元禄世間咄風聞集』より。
- ^ 相役は大島義也
- ^ 惣内を含むこの9人は、討ち入りの際に殺されたとも、その前に逃走していたともいわれる。
- ^ 『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』226 - 227頁。
- ^ 「株式会社」長崎出島』206頁、『長崎 歴史の旅』、『長崎県の歴史』239頁。
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