えい‐ろくすけ【永六輔】
永六輔
永六輔の俳句 |
土筆の向うに土筆より低い煙突 |
猫八が虫を鳴く夜の寄席を出る |
永六輔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 14:10 UTC 版)
永 六輔(えい ろくすけ、本名:永 孝雄(えい たかお)、1933年(昭和8年)4月10日[2] - 2016年(平成28年)7月7日[4])は、日本の放送作家、作詞家。
注釈
- ^ 最終回には永六輔本人は参加しなかった。出演した娘や黒柳徹子らが自宅でいまだ寝ている永に対し、ラジオを通して「いい加減起きるように」呼びかけるかたちで進行した。
- ^ 永が他界した5日後に、大橋巨泉も82歳で死去している。
- ^ 永六輔唯一の主演作品
- ^ a b この集会で劇団『他言無用』による皇室コントが演じられ、「猿のぬいぐるみ」を産まれたばかりの悠仁親王に見立てて放り投げたり、以前明仁天皇が前立腺癌を患ったことが笑いのネタにされた。このことについて、週刊新潮の取材に永は「車が渋滞して遅れ、3時半に到着したから、そのコント自体見てもいないし、全然わからない。だから『週刊金曜日』に聞いてほしい」とコメントした。
- ^ もともとこの言葉は野坂昭如がよく述べていた言葉である。
- ^ ただし、文化放送ホームページの「番組史」によれば、1960年に「永六輔の僕でよかったら」が放送されている。
- ^ 当時、NETテレビがネットワークセールス枠を削減したことに加え、「日本科学技術振興財団テレビ事業部」だった東京12チャンネルの経営再建のため「科学テレビ協力委員会」が発足し、他系列キー局・準キー局およびNHKが番組を同局に供給していたため、その一環としてNET系列扱いで供給されていた。その後MBSと12チャンネルは1969年に正式にネット協定を結んだ。
- ^ 草津の湯、伊香保の湯、万座の湯、水上のお湯
- ^ 登別の湯、草津の湯、白浜の湯、別府の湯
出典
- ^ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00005232
- ^ a b c d “出演者ご紹介”. 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界. TBSラジオ. 2016年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ https://web.archive.org/web/20151222105107/http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/kenshou/kako/bunkashou.htm
- ^ a b ラジオと生きた「旅人」 永六輔さん、病床から出演も,朝日新聞デジタル,2016年7月11日
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- ^ “NHK人物録 永六輔”. NHK. 2021年6月28日閲覧。
- ^ “黒柳徹子、永六輔さんとは「60年くらいの知り合いなのにご飯は1、2度」”. サンケイスポーツ. (2017年7月9日) 2022年9月3日閲覧。
- ^ 小学館ホームページ(大遺言)
- ^ えいすけ (2016年7月12日). “永六輔は「死んだ」のではなく「死んでみせた」のだ”. 新刊JP (オトバンク) 2022年9月3日閲覧。
- ^ a b 永六輔さんとワンコリアを語る。
- ^ 佐藤有一 『わが師淀川長治との五十年』(清流出版)より。
- ^ 近藤正高. “永六輔と大橋巨泉(前編)――二人が「六輔」と「巨泉」になったわけ | 一故人 | 近藤正高”. cakes(ケイクス). 2022年2月14日閲覧。
- ^ 新鐘71 早稲田に聞け!「福祉」 痛快! 校友インタビュー永六輔 (2004年12月24日掲載)
- ^ 永六輔 『職人』 岩波書店〈岩波新書〉、157-168頁。
- ^ 永六輔「八七六倒転輔35」『キネマ旬報』1976年6月上旬号、p.123
- ^ 井原高忠「元祖テレビ屋大奮戦」文藝春秋
- ^ a b “『水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ~川野将一ラジオブロス 永六輔『六輔七転八倒九十分』~”. BOOKSTAND (2016年7月12日). 2017年6月14日閲覧。
- ^ “第45回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2017年12月17日閲覧。
- ^ 『誰かとどこかで』2010年11月11日放送分
- ^ 「永六輔『回らないろれつ』『激やせ15キロ』の孤独生活」『週刊女性』2009年7月14日号
- ^ 篠田博之「篠田博之のメディアウォッチ 週刊誌を読む:「老い」に率直な感想 永さんら世代の長い活躍願う」 高野孟のTHE JOURNAL内 2009年8月6日
- ^ 「永六輔×矢崎泰久のぢぢ放談 第5回」『創』2009年9月10月合併号、pp.128-129
- ^ 「永六輔×矢崎泰久のぢぢ放談 第16回」『創』2010年11月合併号、p.130
- ^ a b 永六輔が自宅で転倒し骨折 昨年は衝突事故で軽傷と災難続き msn産経ニュース 2011年11月18日
- ^ a b ヒューマンドキュメンタリー 永六輔 戦いの夏 テレビマンユニオン公式サイト内
- ^ ヒューマンドキュメンタリー 永六輔 戦いの夏 NHKワールドプレミアム
- ^ 『女性自身』2016年5月21日号「永六輔さんの終わりなき旅」
- ^ "永六輔さん死去 放送界の草分け、マルチに活躍". 朝日新聞. 2016年7月11日. 2016年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月11日閲覧。
- ^ “永六輔さん死因は肺炎、医師「老衰と言っていい」”. 日刊スポーツ. (2016年7月11日) 2016年7月11日閲覧。
- ^ “永六輔さんと別れ 黒柳徹子「私の葬儀委員長を…」”. 日刊スポーツ. (2016年8月30日) 2016年9月6日閲覧。
- ^ “赤坂でもお別れ会 加藤登紀子は永さんから贈られた未発表曲披露”. スポーツニッポン. (2016年8月30日) 2022年9月3日閲覧。
- ^ 小林憲行 (2016年8月31日). “【行ってきました】永六輔さんお別れの会(2) ばらえてぃ「永六輔を送りまSHOW」、赤坂BLITZで開催”. いい葬儀マガジン. 鎌倉新書. 2016年9月6日閲覧。
- ^ 永六輔さんお別れ会 黒柳徹子が「お化けエピソード」でにぎやかに送る,東スポWeb,2016年8月30日
- ^ 黒柳の弔辞は、黒柳徹子「特別寄稿 ここに立つのは私ではなくて:永六輔さんへの弔辞」『波』第51巻第8号、新潮社、2017年、20-25頁。に全文掲載されている。
- ^ “宇多田ヒカル 17年ぶりレコ大候補 最優秀アルバム賞も選出”. スポーツニッポン. (2016年11月18日) 2016年11月18日閲覧。
- ^ 永六輔 『大往生』 岩波書店〈岩波新書〉、1994年、122頁 (1992年の『話の特集』8月号からの再録)
- ^ “「上を向いて歩こう」の録音の際…”. 毎日新聞 (2016年7月12日). 2021年6月28日閲覧。
- ^ “SHOWA プレイバック - 坂本九『上を向いて歩こう』”. 2021年6月28日閲覧。
- ^ 『放送80年 それはラジオからはじまった』NHKサービスセンター
- ^ 永六輔 『大往生』 岩波書店〈岩波新書〉、1994年、120頁 (『話の特集』1992年8月号の再録) ・ 124頁 (毎日新聞1992年6月16日の再録)
- ^ 1994年10月4日 日刊スポーツ 芸能面記事より。
- ^ 永六輔 - オリコンTV出演情報
- ^ 「永六輔 ラジオとその草創期を語る」『笑芸人 Vol.14』、26頁、白夜書房、2004年。
- ^ “道上洋三アナ 永さん追悼「“ラジオの恩人”です」”. スポニチアネックス (スポーツニッポン新聞社). (2016年7月11日) 2016年7月21日閲覧。
- ^ 「永六輔の真骨頂、名物ラジオに幕」『中日新聞』2013年9月16日朝刊、11面。
- ^ 週刊ポスト 2015年4月10日号 144-147頁
- ^ 久米麗子・久米宏『ミステリアスな結婚』にて
- ^ 永六輔 「テレビマンだった父より」『東京新聞』1987年5月21日 (『たかがテレビ されどテレビ』 倫書房、1997年、60-62頁 所収)が、愚痴ひとつこぼさず黙々とレポートし続けていたと、執筆当時アナウンサーであった次女永麻理への手紙というスタイルで明かしていた。
- ^ “春男の翔んだ空”. 日本映画データベース. 2013年5月13日閲覧。
- ^ “大往生”. Movie Walker. 2013年5月13日閲覧。
- ^ ニッポン放送『中居正広のSome girl' SMAP』にて
- ^ 『土曜ワイドラジオTOKYO』2010年11月20日放送分。
- ^ “永六輔さん長女が伝授する “がんこ親”をなだめる介護術”. 女性自身. 2021年6月28日閲覧。
- ^ 『僕 (えい) が鱏だった頃』、1999年8月1日、164頁。
- ^ 永六輔 Confetti
- ^ 『誰かとどこかで』 TBSラジオ、2008年3月25日。また、『土曜ワイド』内の『TBSラジオショッピング』では、普段はあまり口をはさむことはないが、鯨肉の缶詰が商品であるときには積極的に発言する。
- ^ “東京工科大学工学部応用科学科ブログ - 「くじら尺」「警察」「永六輔」(江頭教授) 2018.03.07”. 2021年6月28日閲覧。
- ^ 永六輔その世界 自由な言葉——読む、聴く、考える Bockasahi.com
- ^ 『憲法フェスティバル』2006年5月13日 日本共産党実行委員会
- ^ 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』 TBSラジオ、2009年10月3日。
- ^ さだまさし「笑って、泣いて、考えて。 永六輔の尽きない話」p165より。
- ^ 雑誌『ラジオライフ』復刊号のインタビュー
- ^ 『さだまさしラジオ・ヴァラエティ CD全16巻』(ユーキャン制作・発売)にも収録されている。
- ^ 『高田文夫のラジオビバリー昼ズ そんなこんなで20年』白夜書房、P31。
- ^ 『ラジオDEパンチ』VOL02、白夜書房、p6。
- ^ “永六輔さんとの出会い—哀悼—”. 吹禅 Yuki Tanaka 田中利幸 (2016年7月13日). 2022年9月3日閲覧。
- ^ さだまさし「笑って、泣いて、考えて。 永六輔の尽きない話」p181より。
- ^ アルバム『六輔 その世界』(EMIミュージック、2002年)他。
- ^ 永六輔 『たかがテレビ されどテレビ』 倫書房、1997年、241-246頁。
- ^ 永六輔 「十三年ぶりに出演したテレビCF」『東京新聞』1996年10月4日(『たかがテレビ されどテレビ』 1997年、72頁 所収)。
永六輔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 08:35 UTC 版)
『昭和篇』で登場。生前のラジオ番組出演の映像で、ディレクターに扮したジョーンズが共に映っている。
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