梅樹透図鐔
忠重は二代忠時の弟で、太右衛門あるいは太左衛門と称し、生まれは『行年七十八歳文化四忠重作』の銘があることによって享保十五年であることが知られている。若くして四代忠時に弟子入りし、四代没後は五代に学び、以降、赤坂本家の下で修業を積む。その晩年に当たる七十一歳以降の作にはしばしば行年銘を添えており、子には忠好と忠綱がいる。長命を得ているにもかかわらず在銘の作品が少ない理由は、赤坂本家の協力者として多くの年月を費やしたことによると思われる。同時代の赤坂一門の中では最も技量が高く、意匠優れた覇気の感じられる作品を数多く遣しているところからその存在感は一際目立ち、後の赤坂一門にも多大な影響を与えている。この鐔はやや大きめの中高(碁石形状)に造り込まれ、表面が細かな石目地に仕上げられて光沢渋く、色合い黒々として力強く、茎櫃穴の内側には合わせ鍛えの層状の筋が顕著に見え、耳にも微かながらそれが感じられる。図柄は肥後鐔にも見られるような独特に草体化された枝曲がりの老梅の透しながら、図中の枝振りは常の作に比して変化があり極めて強い個性が感じられる。耳を形成する梅の幹は丸みがあり、地透しの切り口は鋭く起って毛彫りは簡素。それら総てが赤坂一門の特徴的な曲線によって構成されているが、蕾と花をつける枝先は、力強い中にも古調な風情が感じられ、陰影の美しさが際立つ作品となっている。 |
梅樹透図鐔
肥後国江戸後期 鉄地竪丸形毛彫地透 縦七八・五ミリ横七三・五ミリ 切羽台厚さ五・七ミリ 上製落込桐箱入 附 鑑定書(神吉) | 緊密に詰み澄んだ上質の鉄地を、上品な竪丸形に造り込み、円窓から眺める満開の梅樹の様子を表現した作。梅樹透の鐔は林派や西垣などにもみられ、各個独特の風合いを創出しているが、この深信の鐔には又七の意匠を継承した、洒落た感覚が漂っている。ごくわずかな中高の碁石形とされた鐔面は平滑に仕立てられ、耳際はなだらかに丸く仕立てられ、意匠された花は大振り、長い蘂の筋がくっきりと切り施され、花の中央が小さく透かされている。枝振りにも個性が窺え、肥後の伝統に江戸の香りが漂っているといった風情である。 |
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