林ヨルゲンセン触媒とは? わかりやすく解説

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林・ヨルゲンセン触媒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/09 10:28 UTC 版)

林・ヨルゲンセン触媒
物質名
識別情報
PubChem CID
性質
C20H27NOSi
モル質量 325.527 g·mol−1
外観 液体(20°C、常圧)
λmax 193nm
特記無き場合、データは標準状態 (25 °C [77 °F], 100 kPa) におけるものである。

林・ヨルゲンセン触媒もしくは林・Jørgensen触媒(はやし・ヨルゲンセンしょくばい、英語: Hayashi-Jørgensen catalyst[注 1])は高いエナンチオ選択性で各種不斉化学反応を進行させるプロリン型不斉有機触媒である[4]化合物としての名称はα,α-ジフェニル-2-ピロリジンメタノールトリメチルシリルエーテル日本林雄二郎東京理科大学)およびデンマークのカール・ヨルゲンセン(オーフス大学)によって、2005年平成17年)のほぼ同時期に独立に開発された[5]タミフルの短工程合成など、製薬分野や天然化合物合成で広く用いられる[6]

概要

林・ヨルゲンセン触媒はアルデヒドから光学活性なエナミンを、α,β-不飽和アルデヒドからおよび光学活性なイミニウムイオンを生成することができ、これらを中間体とする多くの反応(マイケル反応ディールス・アルダー反応など)に活用することができる[4]。有機不斉触媒の先駆けであるプロリンは適用できる範囲が限定されており、また一部の反応では低活性であるという問題点が報告されていたが、林・ヨルゲンセン触媒はプロリンと比較してエナンチオ選択性、汎用性の面で優れている触媒である[7]。林・ヨルゲンセン触媒はプロリンから2段階で合成することができ、プロリンと構造上、違う点はカルボキシ基の部分をジフェニルシリルエーテルと大きな官能基に変更しただけであるが、この大きな官能基が引き起こす立体障害により高い立体選択性を獲得した[8]

触媒のジフェニルトリメチルシロキシメチル部位がエナミン、イミニウム塩の一方のエナンチオ面を効果的に遮断するため、エナミンの場合は求電子剤とイミニウム塩の場合は求核剤と高いエナンチオ選択性で反応し、対応する化合物を良好な光学純度で与える[4][5][9]。例えば、プロピオンアルデヒドとニトロスチレンのマイケル反応で林・ヨルゲンセン触媒を用いると、収率85%で、更にほぼ光学的に純粋(99%ee)な付加体が得られたと林は報告している[10]

林・ヨルゲンセン触媒は現代において最も頻繁かつ成功裏に使用されているアミノ触媒の一つであるとされ、学術的な天然物合成で多用されているほか、製薬業界においてもさまざまな反応に応用されている[11][6]。同触媒について、開発者の一人である林は「有機触媒の医薬品などへの展開は、この触媒なしではあり得なかった」と述べており、実際、同触媒を用いたタミフルの短工程合成法により、有機触媒の実用性・必要性が証明され、有機触媒分野のブレイクスルーを引き起こしたともされる[12]2021年(令和3年)にベンジャミン・リストデイヴィッド・マクミランノーベル化学賞を受賞した際には、林のタミフル合成が有機触媒の「成功例」としてノーベル財団により紹介された[12]

利用例

酢酸エチルといった溶媒中で均一系触媒として使用する[13]

タミフルの全合成

タミフルカプセル75mg(ロシュ)

タミフル(オセルタミビルリン酸塩)はノイラミニダーゼ阻害剤として作用し、インフルエンザの治療薬の一つである[8]。しかし、従来のオセルタミビル合成法で原料となるシキミ酸八角から精製されており、かつ原産地が限定されていることから、タミフルを生産するにあたって八角の買い占めが懸念されていた[8]

2013年(平成25年)、林らはペンタン-3-イルオキシアセトアルデヒドと(Z)-N-2-ニトロエテニルアセトアミドの不斉マイケル反応を林・ヨルゲンセン触媒で触媒したところ、優れたジアステレオ選択性とエナンチオ選択性を発揮し、36%の収率で(-)-オセルタミビル(タミフル)をワンポット合成[注 2]することができた[14][8]。なお、林は2010年(平成22年)に2ポット合成ではあるものの収率60%を達成した[7]

ABT-341合成

DPP4阻害剤ABT-341のワンポット合成

林はDPP-4の選択的阻害剤であるABT-341を収率63%でワンポット合成した[15]。不斉マイケル付加反応、分子内ホーナー・ワズワース・エモンズ反応、トランス体への異性化、tert-ブチル基の酸分解、アミンとの縮合、ニトロ基の還元と、6段階にもおよぶ多段階反応をワンポットで行うことができたのは有機分子触媒である林・ヨルゲンセン触媒が従来の金属触媒と異なり、反応を阻害しないという性質により実現できた[15]

その他

林・ヨルゲンセン触媒を用いたプロスタグランジンエストラジオールメチルエーテル、ベラプロストの合成事例が報告されている[9]。いずれの合成反応も高いジアステレオ選択性とエナンチオ選択性で進行する[9]


バリエーション

林・ヨルゲンセン触媒はα,α-ジフェニル-2-ピロリジンメタノールトリメチルシリルエーテルの慣用名であり、これはピロリジン環の2位の炭素に結合した水素がジフェニルトリメチルシロキシメチルで置換された化合物である。つまり、林・ヨルゲンセン触媒は通常、トリメチルシリル基(TMS基)を擁するが、TMS基の代わりにトリエチルシリル基やtert-ブチルジメチルシリル基、tert-ブチルジフェニルシリル基といった異種のシリル基を用いた派生化合物も存在する[10]。また、シリル基部分はそのままで、環状構造にポリエチレングリコールを結合させた PEG担持型林・ヨルゲンセン触媒は再利用可能[注 3]な触媒として開発された[3]

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ なお、英語圏ではJørgensen catalystもしくはJørgensen-Hayashi catalystという名称で呼ばれることが多い[3]
  2. ^ 反応に関与する化合物を一度もしくは順次に反応容器に入れ、溶媒の除去や中間化合物の精製といった処理を経ることなく連続的に行う合成法を指す[7]。これは林・ヨルゲンセン触媒が従来の金属触媒と異なり、反応を阻害しないという性質により実現できた[7]
  3. ^ A.Xiaらの報告によれば最大8回利用可能[3]

出典

  1. ^ (R)-(+)-α,α-Diphenyl-2-pyrrolidinemethanol Trimethylsilyl Ether”. 東京化成工業. 2025年9月1日閲覧。
  2. ^ (S)-(-)-α,α-Diphenyl-2-pyrrolidinemethanol Trimethylsilyl Ether”. 東京化成工業. 2025年9月1日閲覧。
  3. ^ a b c A.Xia et al. 2015.
  4. ^ a b c Y.Hayashi et al. 2005.
  5. ^ a b 林雄二郎 2022, p. 204.
  6. ^ a b Hayashi lab News”. 東北大学大学院理学研究科化学専攻 林研究室. 2025年9月1日閲覧。
  7. ^ a b c d 有機触媒を用いて環境にやさしい合成プロセスを開発―第21回GSC賞 文部科学大臣賞 東北大学 林雄二郎氏【受賞者に聞くプロジェクトの秘訣】”. Chematels (2023年4月13日). 2025年9月1日閲覧。
  8. ^ a b c d 五東弘昭 2018, p. 502.
  9. ^ a b c 有機触媒を用いた生物活性化合物の全合成” (pdf). 関東化学. 2025年9月1日閲覧。
  10. ^ a b 林雄二郎. “大量合成を指向した有機触媒を用いる不斉触媒反応” (pdfl). 日本農薬学会. 2025年9月1日閲覧。
  11. ^ 五東弘昭 2018, p. 501.
  12. ^ a b 林雄二郎 2022, p. 205.
  13. ^ C.Nielsen et al. 2022.
  14. ^ Mukaiyama et al. 2013.
  15. ^ a b H.Ishikawa et al. 2011.



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