批判的動物研究とは? わかりやすく解説

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批判的動物研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 23:57 UTC 版)

批判的動物研究(ひはんてきどうぶつけんきゅう、英語Critical animal studies, CAS)は、社会正義動物解放に焦点を当て、ヒトと非ヒト動物との関係を批判的に考察する学問分野である。批判的動物研究は、人が動物に対して抱いてきた従来の人間中心主義的な見方に異議を唱えるとともに、非ヒト動物の生来の価値を認識・承認し、人とそれ以外の動物の間により公平で倫理的な関係を築くことを目指す。批判的動物研究は、批判理論動物研究英語版動物倫理英語版に適用する。

批判的動物研究の発端は、アメリカ同時多発テロ後、環境保護や動物擁護に携わる活動家をテロリストとして弾圧する動きに抗して設立された研究機関「動物解放問題センター」(CALA:Center on Animal Liberation Affairs)に求められる[1]。CALAは2001年、アントニー・J・ノッチェラ2世(Anthony J. Nocella II)とスティーブン・ベスト英語版によって創設された[1]。「Critical animal studies(批判的動物研究)」の名称は、この組織に関わる研究者や活動家たちによる議論を経て2006年に生まれた[1]。同年にはCALAも批判的動物研究協会(ICAS:Institute for Critical Animal Studies)へと機関名を改めた[1]

批判的動物研究の中核的関心は動物倫理であり、これは種を超えたインターセクショナリティ環境正義社会正義政治、そして資本主義システムが潜在的に担っている役割の批判的分析に根ざしたものである。本分野の研究者たちは、政治参加とアクティビズムを学術研究と融合させることを模索している。

歴史

成立の背景

批判的動物研究の歴史は、生態学や動物に関する問題が学術的議論に登場した1960年代~1970年代の批判的社会運動に遡る。この時期には、最初の動物の権利運動英語版である動物解放戦線が、バンド・オブ・マーシー英語版から発展する形で設立された。

現在の批判的動物研究の歴史は、アントニー・J・ノッチェラ2世(Anthony J. Nocella II)とスティーブン・ベスト英語版によって動物解放問題センター(CALA)が設立された2001年に始まった。CALAはその後数年間にわたり、動物の搾取に関連する問題について調査を行い、教育と分析を提供し、政策に関する助言を行ってきた。CALAの2つの主要な取り組みは、年1回の「動物解放の哲学と政策に関する会議」(Animal Liberation Philosophy and Policy Conference)の開催と、学術誌『動物解放哲学政策ジャーナル[1](Animal Liberation Philosophy and Policy Journal)』の創刊である[2]

「Critical animal studies(批判的動物研究)」の名称は、この組織に関わる研究者や活動家たちによる議論を経て2006年に生まれた[1]。2007年4月、CALAは機関名を批判的動物研究協会(ICAS:Institute for Critical Animal Studies)へと改め[2]、発行していた学術誌のタイトルも『批判的動物研究ジャーナル[1](Journal for Critical Animal Studies)』と改名した[1]

批判的動物研究協会(ICAS)

ICASは、理事会によって運営される民間組織である。理事会は、その使命、戦略計画、原則に関する主要な決定を行う責任を負う。2011年以降、ICASは国際的なネットワークとなり、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米、オセアニアに支部を構えている。

特徴

批判的動物研究の主要な特徴としてまず挙げられるのは、その領域横断性、すなわち分野の壁を越えた連携(solidarity)の姿勢である[1]。この立場は、次のような問題認識に基づいている。すなわち、非ヒト動物・人間・自然をめぐる暴力は、根底において結びつき、互いを強化し合う関係にあるという理解である[1]。たとえば、多くの人間差別は特定の人々を「動物的」とみなす認識に支えられており、動物搾取は人間社会における不平等や環境破壊的な開発事業に支えられており、環境破壊は動物たちの殺戮と人権の侵害を伴う[1]。従来の学問と運動はこれらの問題を切り分け、動物の境遇を無視した人間性の回復や、人間差別に鈍感な動物擁護、人間中心かつ北側諸国中心の環境保護を追求してきた[1]。批判的動物研究は、このようなアプローチの限界を指摘し、人間問題・動物問題・環境問題を有機的に捉える必要性を強調する。そのため、批判的動物研究は単一の学問分野や社会運動の枠を超え、諸分野の知見と実践を結集する学際的な研究領域として位置づけられる[3]。非ヒト動物の擁護を中心課題としつつも、犠牲の形態を異にするあらゆる抑圧の連関を分析し、「生きとし生けるものすべての解放」を目指す点に特徴がある[3]

批判的動物研究の第2の特徴として挙げられるのは、理論と実践の統合である[3]。批判的動物研究が「批判的(critical)」と称されるのは、動物に関する既存の知的枠組みに対して自己反省と変革を促す姿勢を有するためである[3]。従来の動物研究英語版や人間動物関係学は、しばしば人間による動物支配の構造を所与の前提として扱い、その問題性を十分に問い直してこなかったと批判される[3]。自然科学の領域では動物実験などの形で暴力が行使され、人文学や社会科学の領域では、人間と他の動物との関係を文化的・社会的に分析する一方で、その背後にある力の不均衡や暴力性を批判的に検討しない傾向があったとされる。こうした態度は、しばしば「中立的」「客観的」「非政治的」であることを学問の理想とする発想に支えられてきた[3]。しかし、あらゆる記述や理論は一定の価値観や政治性を免れ得ない。したがって批判的動物研究の立場からは、人間と非ヒト動物との間に存在する権力関係を看過することは、結果として抑圧の構造を温存する行為に等しいとみなされる[3]。批判的動物研究は、そのような表面的な中立性や客観性の理想を批判し、理論的考察と社会的・政治的実践とを不可分のものとして捉える[3]。すなわち、理論は支配構造を可視化し、その変革を目指す実践に資するものであるべきだとする理念が、その中心に据えられている[4]

さらに、批判的動物研究のもう一つの特徴として、被抑圧者の主体性と主観性への注目が挙げられる[5]。批判的動物研究は、「動物は声を持たない」とする考え方を批判し、動物を受動的な存在としてではなく、固有の意志や感情をもつ主体として捉える立場をとる。すなわち、動物たちの生への志向、幸福の追求、抵抗の意志といった心的働きを汲み取り、たとえ限定的であっても、動物の視点から世界を理解しようと試みるものである[5]。また、批判的動物研究が有する「総合的解放」の展望は、非ヒト動物にとどまらず、人種・性・障害・貧困などの要因によって困難を経験する人間集団にも向けられている。批判的動物研究は、ヒトと非ヒトを問わずあらゆる抑圧下の当事者らに寄り添った全体論的な社会正義の追求を掲げる点に特徴がある[5]

十大原則

批判的動物研究の原則は、2007年に『批判的動物研究ジャーナル』(Journal for Critical Animal Studies)に掲載された論文「批判的動物研究の紹介(Introducing Critical Animal Studies)」において示された[6]。原則は以下の通り。

  1. 協同の促進;動物研究で無視されがちだった政治経済学などの観点も含め、豊かで幅広い学際的な共同執筆と共同研究を追求する。
  2. 主観性重視;規範的価値観と政治的関与を明確に示すことで、客観性を装った学術分析を拒否する。これにより、理論は公平無私である、執筆物や研究は非政治的である、といった実証主義的な幻想は一切排除される。
  3. 理論と実践の接続;狭い学術的視点や、理論のための理論という学問を停滞させる立場を退け、理論と実践、分析と政治、学問と地域社会とを結びつける。
  4. 全体論的・変革的立場;抑圧の共通性を全体論的に理解することを促し、種差別性差別人種差別能力差別(ablism)・国家主義軍国主義・その他の序列的なイデオロギーと制度を、連結する大きな世界的支配システムの構成要素とみる。
  5. 無政府主義;政治的無関心・保守・リベラルの立場をしりぞけ、反資本主義、さらにより広く、急進的な反序列政治を進める。この方針から、全ての搾取・支配・抑圧・拷問・殺害・権力構造を解体し、世界規模のあらゆる次元で脱中央集権の民主社会を築くことに努める。
  6. 連帯・同盟・交差性;改良主義・単一争点・国家ベース・立法型・動物の利益限定の政治学をしりぞけ、抑圧や序列に立ち向かう他の闘争との同盟政治との連帯を重んじる。
  7. 総合的解放;人間・非ヒト動物・地球の解放と自由が、必要かつ不可分であることを踏まえた総合的解放の政治学にしたがい、全てにまたがる一つの包括的にして多様な闘争を展開する。
  8. 二元論の解体;主流の動物研究英語版の基本路線にならい、社会的に構築された人間と非ヒト動物の二項対立を解体・再考しながらも、それと同時に、関連する二分法として、文化と自然、文明と野生といった支配者の序列を明らかにする。それによって人類・非ヒト動物・文化的/政治的規範・自然解放を縛ってきた歴史的制約を浮き彫りにし、その制約を超えてさらなる自由・平和・生態学的調和をめざす変革努力の土台を整える。
  9. あらゆる必要手段の投入;あらゆる種類の社会運動において用いられる、賛否の分かれる急進的な政治学や戦闘的な戦略(例えば、経済的妨害活動economic sabotageや高圧的な直接行動戦術など)に公然と関与する。
  10. 批判的対話の促進;動物の解放と抑圧の共通性に関わる問題について、幅広い学術団体、市民、草の根活動家、政策・社会福祉事業組織のスタッフ、そして民間・公共・非営利セクターの人々の間で、批判的な対話の機会を創出することを目指す。新たな枠組みの環境教育、他の社会運動との関係構築、および連帯にもとづく同盟政治を通してのみ、新たな形の意識・知識・社会制度は生まれうる。それこそがこの惑星上の生命体を過去1万年にわたり奴隷化してきた序列社会を解体するために要されるものである。

動物研究との相違点

批判的動物研究と動物研究英語版には大きな違いがある。批判的動物研究はより急進的な選択肢であり、政治的関与の必要性を明白に強調し、直接行動を提唱する。これは、従来の学術界では議論が分かれる可能性がある。批判的動物研究の支持者はしばしば、動物研究は人間と動物の関係の複雑さに対する認識を高める上で大きな貢献を果たしてきたものの、深い道徳的関与を欠き、最も重要な問題から乖離していると強調する。もっとも、「動物研究」という語は多様な研究者や方法論を含む包括的な呼称であり、その中には明確に倫理的責任の必要性を主張する立場も存在することは考慮に値する。

DinkerとPedersenによると、批判的動物学は、動物と情動に対する批判的分析的アプローチと肯定的・変容的アプローチの両方を含む[7]。彼らによると、批判的動物学の中核的な目的の一つは、「人間社会における動物の状況をめぐる沈黙を破る」ことによって[7]、あらゆる形態の抑圧と商品化に対抗することである[8]。生物種全体を含むインターセクショナリティ教育(Species-inclusive intersectionality education)は批判的動物学の重要な側面である。批判的動物研究は、種差別人種差別性差別、異性愛主義、能力主義(ableism)などの社会的公正にかかわる他の諸問題と交差する複数の形態を明らかにしている[8]

関連項目

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 井上 2022, p. 14.
  2. ^ a b About”. Institute for Critical Animal Studies (ICAS). 2010年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 井上 2022, p. 15.
  4. ^ 井上 2022, p. 15-16.
  5. ^ a b c 井上 2022, p. 17.
  6. ^ Best, Steve; Nocella, Anthony J.; Kahn, Richard; Gigliotti, Carol; Kemmerer, Lisa (2007). “Introducing Critical Animal Studies”. Journal for Critical Animal Studies 5 (1). https://www.researchgate.net/publication/240595600. 
  7. ^ a b Dinker & Pederson 2016, p. 419.
  8. ^ a b Dinker & Pederson 2016, p. 420.

参考文献




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