木村庄之助 (38代)とは? わかりやすく解説

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木村庄之助 (38代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 15:14 UTC 版)

38代 木村 庄之助(さんじゅうはちだい きむら しょうのすけ、1959年9月22日 - )は、大相撲立行司高田川部屋所属。本名は今岡 英樹(いまおか ひでき)。


注釈

  1. ^ これまでの勘太夫の襲名は、式守與之吉を経て襲名することがほとんどであったが、與之吉を経ず襲名し、大相撲関係者を驚かせた。しかし、前例のケースを経ず襲名するのは、40代式守伊之助(木村吉之輔→11代式守錦太夫。錦太夫は、通常、式守慎之助を経て襲名)のパターンがある。
  2. ^ 優勝決定戦に於いては出場力士の番付最上位の格に合う行司が裁くという規定があるため。この時の栃煌山対旭天鵬戦の場合は共に平幕力士による優勝決定戦であったことから、その当時、幕内格行司の筆頭であった11代勘太夫が務めた[2]
  3. ^ 次期立行司昇格に向けての最初の場所初日に土俵裁きでいきなりの差し違えや軍配の迷いが時折あったり、他の三役行司も差し違い等があり、立行司に求められる点での失点があり、すぐには決まらなかった。勘太夫本人も「手つき不十分」での行司待ったでは体を張って両力士の間に割って止めるなど、筆頭行司としての役目はしっかり果たしていた。
  4. ^ これより三役の残り2番は式守伊之助が合わせる。よって、勘太夫は役相撲にかなう力士(勝ち力士)に懸賞がかかっている場合は懸賞金と弓矢の矢を手渡す。
  5. ^ ただし、当時の29代式守伊之助が体調不良等での休場が続き、2番裁くことが比較的多かった。その場合は、2代木村容堂が1番裁く。

出典

  1. ^ 行司の頂点、新・式守伊之助 差し違えなら「切腹」覚悟”. 朝日新聞デジタル (2019年1月12日). 2019年1月21日閲覧。
  2. ^ 佐々木一郎 [@Ichiro_SUMO] (2012年5月20日). "優勝決定戦。行司は勘太夫さん、呼び出しは重夫さんが務めた。…". X(旧Twitter)より2023年12月25日閲覧
  3. ^ 相撲協会が理事会”. 日刊スポーツ (2013年3月17日). 2013年3月17日閲覧。
  4. ^ “セクハラ式守伊之助の辞職で24年ぶり立行司不在に”. ニッカンスポーツ・コム (日刊スポーツ新聞社). (2018年6月1日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201806010000159.html 2018年6月4日閲覧。 
  5. ^ “三役格行司の式守勘太夫が41代式守伊之助に昇進”. 日刊スポーツ. (2018年9月27日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201809270000765.html 2018年9月27日閲覧。 
  6. ^ a b 立行司の41代式守伊之助が38代木村庄之助に昇進 庄之助空位9年で終了、在位は9カ月の見通し」『日刊スポーツ』、2023年9月28日。2023年9月28日閲覧。
  7. ^ “木村庄之助が9年ぶり復活”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年12月25日). https://www.daily.co.jp/general/2023/12/25/0017164992.shtml 2023年12月25日閲覧。 
  8. ^ 41代式守伊之助59歳 日課はスクワット100回 - 大相撲裏話”. nikkansports.com (2019年1月26日). 2019年1月28日閲覧。
  9. ^ “元力士、絵画とがっぷり四つ 父の故郷で再出発”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2018年5月2日). https://mainichi.jp/articles/20180502/k00/00e/040/304000c 2019年3月2日閲覧。 
  10. ^ “鉄道復旧願い駅舎再生 JR日田彦山線大行司駅”. 産経新聞. (2019年12月22日). オリジナルの2019年12月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191222064020/https://www.sankei.com/smp/region/news/191222/rgn1912220005-s1.html 2023年7月2日閲覧。 
  11. ^ 伊之助 兄弟子継ぐ短刀”. 朝日新聞デジタル (2019年1月28日). 2022年1月18日閲覧。
  12. ^ 立行司の式守伊之助、結びの一番で軍配差し違え謝罪”. nikkansports.com (2020年1月19日). 2022年9月26日閲覧。
  13. ^ 立行司の式守伊之助、4度目の軍配差し違えで進退伺”. nikkansports.com (2020年3月22日). 2020年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月25日閲覧。
  14. ^ “結び正代戦差し違え式守伊之助が進退伺 理事長慰留”. 日刊スポーツ. (2021年1月20日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202101200000764.html 2021年1月21日閲覧。 
  15. ^ 立行司の式守伊之助が進退伺、照ノ富士―遠藤戦で差し違え”. 読売新聞オンライン (2021年5月22日). 2022年1月18日閲覧。
  16. ^ 式守伊之助また軍配差し違え「しっかりしなければ駄目だ」八角理事長”. 日刊スポーツ (2022年1月17日). 2022年1月18日閲覧。
  17. ^ “第41代式守伊之助が1場所2度の差し違え 打ち出し後に進退伺い提出も理事長慰留”. Sponichi Annex. (2022年1月17日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2022/01/17/kiji/20220117s00005000454000c.html 2022年1月20日閲覧。 
  18. ^ “大相撲、また正代戦でミス「わざとやってんのか」厳しい指摘も 八角理事長も苦言、相次ぐ差し違え・接触に引退待望論も”. リアルライブ (株式会社アンカード). (2022年1月18日). https://npn.co.jp/article/detail/200018874 2022年3月26日閲覧。 
  19. ^ 式守伊之助が結びで軍配差し違え 大相撲、八角理事長に進退伺(共同通信)”. Yahoo!ニュース (2022年3月15日). 2022年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月19日閲覧。
  20. ^ “式守伊之助が差し違えで「進退伺」、八角理事長に慰留される…結びの豊昇龍―琴ノ若戦”. 読売新聞. (2023年9月18日). https://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/20230918-OYT1T50120/ 2023年9月19日閲覧。 
  21. ^ 千秋楽結びの一番で行事差し違え 霧島が上手投げで琴ノ若との大関対決を制す デイリー 2024年3月24日
  22. ^ a b c 大乱調の五月場所で微妙な判定続出…大相撲審判に「物言いつけろ」の声声声”. Smart FLASH. 光文社 (2022年5月17日). 2023年12月25日閲覧。
  23. ^ a b c “夏場所の誤審騒動 なぜ物言いがつかなかったのか、なぜビデオ係は指摘できなかったのかを検証”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS). (2022年5月18日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202205170001156.html 2023年12月25日閲覧。 


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