山都町立下矢部東部小学校とは? わかりやすく解説

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山都町立下矢部東部小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 12:31 UTC 版)

山都町立下矢部東部小学校
北緯32度39分45.8秒 東経130度58分04.8秒 / 北緯32.662722度 東経130.968000度 / 32.662722; 130.968000座標: 北緯32度39分45.8秒 東経130度58分04.8秒 / 北緯32.662722度 東経130.968000度 / 32.662722; 130.968000
過去の名称 公立白小野小学校
白小野小学簡易科教場
尋常白小野小学校
白小野尋常小学校(尋常科4年)
白小野尋常高等小学校
(尋常科4年・高等科2年)
白小野尋常小学校(尋常科6年)
白小野尋常高等小学校
(尋常科6年・高等科2年)
上益城郡下矢部村下矢部東部国民学校
下矢部村立下矢部東部小学校
矢部町立下矢部東部小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 山都町
設立年月日 1875年明治8年)5月14日[1]
閉校年月日 2005年平成17年)3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 861-3522
熊本県上益城郡山都町白小野168番地
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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校門表札

山都町立下矢部東部小学校(やまとちょうりつ しもやべとうぶしょうがっこう)は、かつて熊本県上益城郡山都町にあった公立小学校

2005年平成17年)3月末に閉校し、「山都町立矢部小学校」に統合された。

概要

歴史
1875年明治8年)創立。2005年(平成17年)に閉校し、130年の歴史に幕を下ろした。
校訓
校章
中央に校名の略称である「東小」の文字(縦書き)を配している。
校歌
作詞は山口白陽、作曲は出田憲二による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「上矢部東部校」が登場する。
通学区域
中学校区は以下の通りであった。
  • 下矢部中学校(1947年(昭和22年)4月から1989年(平成元年)3月まで)
  • 矢部中学校(1989年(平成元年)4月から閉校まで)

沿革

  • 1875年(明治8年)5月14日[1] - 白小野辻の民家を校舎として「公立白小野小学校」(しらおの)が創立。
  • 1887年(明治20年)
    • この年 - 小学校令により、簡易科(3年制)を設置の上「白小野小学簡易科教場」に改称。
    • 12月 - 木造校舎が完成。校地を拡張。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、上益城郡「下矢部村」が発足。
  • 1890年(明治23年)6月 -「尋常白小野小学校」に改称。
  • 1891年(明治24年)- 周辺の丘陵を開拓し、体操場(運動場)とする。
  • 1892年(明治25年)4月 -「白小野尋常小学校」に改称。
  • 1906年(明治39年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上「白小野尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年生に改められる。従来の尋常科4年・高等科2年を「尋常科6年」に改め、高等科を廃止。「白小野尋常小学校」(尋常科6年)に改称。
  • 1909年(明治42年)1月 - 最終所在地に移転を完了。
  • 1928年(昭和3年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上「白小野尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により「上益城郡下矢部村下矢部東部国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 国民学校初等科は、新制小学校「下矢部村立下矢部東部小学校」に改組・改称。
    • 国民学校高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「下矢部村立下矢部中学校」に統合される。当初、東部分室が設置される。
  • 1950年(昭和25年)11月3日 - 下矢部中学校の統合校舎が完成し、東部分室が廃止される。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 矢部町の発足により「矢部町立下矢部東部小学校」に改称。
  • 1974年(昭和49年)- 創立100周年記念式典を挙行。タイムカプセルを埋設。
  • 1989年(平成元年)4月1日 - 矢部町立下矢部中学校が矢部町立矢部中学校に統合される。
  • 2005年(平成17年)
    • 2月11日 - 山都町の発足により「山都町立下矢部東部小学校」(最終名)に改称。
    • 3月31日 - 統合のため閉校。
    • 4月1日 - 山都町立小学校5校(浜町・白糸第一・白糸第三・下矢部西部・下矢部東部)が統合し「山都町立矢部小学校」が開校。
跡地の活用
  • 「なかはた農園」として活用されている。
閉校後
  • 2024年(令和6年)3月10日 - 50年前に埋設したタイムカプセルの開封式を実施[2]

交通アクセス

最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

脚注

  1. ^ a b 5月24日とも。
  2. ^ 熊本日日新聞 2024年(令和6年)3月11日

参考文献

関連項目




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