山崎山重とは? わかりやすく解説

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山崎山重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 18:18 UTC 版)

山﨑 山重(やまさき やましげ、生年不明 - 天正11年〈1583年〉、通称:勘解由左衛門〈かげいさえもん〉)は、門脇公家の子孫、山﨑兵庫の子。京都から土佐に移住し、長宗我部元親に仕えた在地領主。


注釈

  1. ^ 赤鬼は勇猛な武士につけられた綽名。例えば、赤井直正は「丹波の赤鬼」と呼ばれた。
  2. ^ 父親の通名と同じ。後述の鴨部山﨑家の系図によると三男。
  3. ^ 現存する元親文書の中では最も古い史料の一つで署名は元親本人[5]。また、知行宛行状と相続安堵状は高知県立歴史民俗資料館の管理。
  4. ^ 八幡神は全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。先祖八幡を祀っているということは、その家が武士の家系であることを示している。
  5. ^ 物部村(現香美市物部町)周辺のみに伝わり、神道や陰陽道などが混然一体となった民間信仰。祀っている家は旧家や太夫が出た家である。

出典

  1. ^ 松本 (1963), pp. 55, 465.
  2. ^ a b 松本 (1963), p. 55.
  3. ^ 松本 (1963), p. 444.
  4. ^ 小松 (2011), p. 192.
  5. ^ 平井 (2014), p. 346.
  6. ^ 松本 (1963), p. 465.
  7. ^ 岩原信守校中 (1997). 土佐物語: 370頁. 
  8. ^ 岡内 (1815), 山﨑姓系圖.
  9. ^ 岡内 (1815), p. 1.
  10. ^ a b 岡内 (1815), pp. 5–9.
  11. ^ 岡内 (1815), p. 3.
  12. ^ 岡内 (1815), p. 11.
  13. ^ 岡内 (1815), p. 13.
  14. ^ 岡内 (1815), p. 14.
  15. ^ 岡内 (1815), p. 15.
  16. ^ a b 岡内 (1815), p. 16.
  17. ^ a b c 岡内 (1815), p. 17.
  18. ^ a b c d 岡内 (1815), p. 18.
  19. ^ a b 岡内 (1815), p. 19.
  20. ^ 佐川町史編纂委員会 (1981), p. 328.
  21. ^ 合戦まつりとは”. 大野川合戦まつり公式サイト. 2018年1月18日閲覧。
  22. ^ 大津村役場 (1958), p. 142.
  23. ^ 溝渕 (1951), pp. 70–74.
  24. ^ 『在所村史』在所村公民館村史編集部、昭和29-07-26、39頁。 
  25. ^ 武田勝頼の会”. 2019年1月29日閲覧。
  26. ^ 越知町史編纂委員会 (1984), p. 1209.
  27. ^ 吉田 (2015), pp. 129–132.





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