小磯 國昭とは? わかりやすく解説

こいそ‐くにあき【小磯国昭】

読み方:こいそくにあき

[1880〜1950軍人政治家陸軍大将栃木生まれ。拓務相・朝鮮総督経て昭和19年1944首相第二次大戦後、極東国際軍事裁判で、A級戦犯として終身禁錮刑になり、服役中病死


小磯國昭

小磯國昭
総理在職期間
     19. 7.22~昭20. 4. 7260
総理就任時年齢:64歳

小磯国昭 こいそ くにあき

小磯国昭の肖像 その1

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小磯國昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 13:29 UTC 版)

小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年明治13年〉3月22日 - 1950年昭和25年〉11月3日)は、日本陸軍軍人政治家階級陸軍大将位階従二位勲等勲一等功級功二級。山形県士族[1]山形県新庄市出身[2][3][4]


注釈

  1. ^ 小磯に対する昭和天皇の評価は、「三月事件にも関係があったといわれているし、また神がかりの傾向もあり、且つ経済の事も知らない」、「米内・平沼が薦めるので不本意ながら大命降下したが、案の定小磯内閣は良くなかった」、「小磯は側から言われるとすぐぐらつき言う事が信用できない、腹もなく自信もなく米内を煩わせていた」などと一概に低い[6]
  2. ^ 東条内閣倒閣工作に関与していた重臣たちも後任までは詳細に検討しておらず、元首相若槻禮次郎は「陸軍大将を任官年次の古い順に見ていって適当な人物を捜すという総理大臣を推薦するのか何を推薦するのかわからんようなことをやって小磯が選ばれた」と回想している。
  3. ^ この大命に困惑した米内は「首班はどちらなのか」と確認している。官制上は小磯が首相、米内が副首相格の海相であるとの回答を得ると「それなら小磯君がやりたいようにやればいい」と組閣はほとんど小磯に任せきりだった。米内は小磯が拓相として初入閣した平沼内閣で海相を務め、その後自ら組閣した米内内閣でも小磯を拓相に迎えており、知らぬ仲ではなかった。
  4. ^ 小磯と杉山は既に往時の親密な関係ではなく、戦局の円滑な情報交換に不安を残す結果となった。
  5. ^ 昭和天皇は(仮に最高幕僚長が設置されたとしても)「体の良いオブザーバー(= お飾り)になっていただろう」と回想している[9]
  6. ^ 最高幕僚長構想は戦後の再軍備によって発足した自衛隊統合幕僚会議議長(後の統合幕僚長)という形で実現した。
  7. ^ 昭和天皇は繆斌工作に関し、「繆斌は汪精衛を見捨てた男である。元来重慶工作は南京政府に一任しているのだから、日本が直接乗り出すのは不信な行為であるし、いやしくも一国の首相ともある者が蔣介石の親書も持って居ない一介の男である繆斌如き者の力によって日支全面和平を図ろうと考えるのは、頗る見識の無い事である。たとえ成功しても国際信義を失うし、失敗すれば物笑いとなる」と自身の見解を述べている[13]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 法廷証第114号: [小磯國昭關スル人事局履歴書]
  2. ^ 半藤 2013, 位置No. 3707-3708、陸軍大将任官年月日一覧〔昭和期(昭和十五年まで)〕
  3. ^ a b 半藤 2013, 位置No. 3720-4133, 陸軍大将略歴〔昭和元年から十五年末までに親任〕
  4. ^ a b c d 新庄市の紹介 > 新庄偉人伝 > 小磯 國昭”. 新庄市. 2021年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月28日閲覧。
  5. ^ a b c 昭和天皇独白録』p.114
  6. ^ 寺崎英成昭和天皇独白録文藝春秋、1995年。ISBN 4167198037 
  7. ^ 吉松安弘『東條英機暗殺の夏』1984年(新潮社
  8. ^ 服部卓四郎『大東亜戦争全史 第4巻』鱒書房、1953年、121頁。 
  9. ^ a b 『昭和天皇独白録』p.127
  10. ^ 『昭和天皇独白録』p.117
  11. ^ 『昭和天皇独白録』p.126
  12. ^ 伊藤隆・渡邊行男編『重光葵手記』p.464-467
  13. ^ 『昭和天皇独白録』p.124-125
  14. ^ 荒木・南・小磯・松岡ら十一人に逮捕命令(昭和20年11月20日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p319
  15. ^ 『東京裁判 (上)』中公新書、1971年。 
  16. ^ 『出版年鑑 1951年版』(出版ニュース社、1951年)p.69
  17. ^ 『社会人』第14号(社会人社、1950年6月)p.124
  18. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
  19. ^ 『官報』第6188号「叙任及辞令」1904年2月20日。
  20. ^ 『官報』第6640号「叙任及辞令」1905年8月17日。
  21. ^ 『官報』第8185号「叙任及辞令」1910年10月1日。
  22. ^ 『官報』第976号「叙任及辞令」1915年11月1日。
  23. ^ 『官報』第2500号「叙任及辞令」1920年12月1日。
  24. ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1926年2月22日。
  25. ^ 『官報』第1225号「叙任及辞令」1931年1月31日。
  26. ^ 『官報』第2164号「叙任及辞令」1934年3月22日。
  27. ^ 『官報』第3073号「叙任及辞令」 1937年4月2日。
  28. ^ 『官報』第3495号「叙任及辞令」昭和13年8月26日
  29. ^ 『官報』第5329号「叙任及辞令」 昭和19年10月18日
  30. ^ 『官報』第2169号「叙任及辞令」1919年10月27日。
  31. ^ 『官報』第1158号「叙任及辞令」 1930年11月7日。
  32. ^ 『官報』第2176号「叙任及辞令」昭和9年4月6日
  33. ^ 『官報』第3037号・付録「辞令二」1937年2月19日。
  34. ^ 『官報』第4555号「叙任及辞令」 昭和17年3月18日
  35. ^ 長谷川清外三十一名外国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504700 


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