寛正の飢饉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 寛正の飢饉の意味・解説 

長禄・寛正の飢饉

(寛正の飢饉 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 00:34 UTC 版)

長禄・寛正の飢饉(ちょうろく・かんしょうのききん)は、長禄3年(1459年)から寛正2年(1461年)にかけて日本全国を襲った大飢饉のこと。『碧山日録』『大乗院寺社雑事記』に史料が豊富に残る[1]


注釈

  1. ^ 1452年シェパード諸島近海の海底火山クワエの大噴火が複数回起こり、その影響で1455年まで北半球では世界的に夏のない年となった。その後も気候変動は続き、世界的に旱魃が頻発した。1453年コンスタンティノープルの陥落もその影響を受けている。

出典

  1. ^ 瀬田(2009年)、333頁。
  2. ^ a b c 瀬田(2009年)、332頁。
  3. ^ 『新撰長禄寛正記』「主上御詠詩之事」によると、「世上三分の二餓死」に及び、天皇が将軍に諫めの詩を給わったところ、将軍は大いに恥じて新殿造営を一時中止し、君臣とも称賛されたとする。国文学研究資料館
  4. ^ 門脇・朝尾(2001年)、108頁。
  5. ^ a b 門脇・朝尾(2001年)、109頁。
  6. ^ 門脇・朝尾(2001年)、109、110頁。


「長禄・寛正の飢饉」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「寛正の飢饉」の関連用語

寛正の飢饉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



寛正の飢饉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長禄・寛正の飢饉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS