女優への適性とは? わかりやすく解説

女優への適性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:06 UTC 版)

薬師丸ひろ子」の記事における「女優への適性」の解説

20歳薬師丸『Wの悲劇』1984年)の出演後、俳優辞める決心をした。自信映画対す情熱失っていたこと、仕事中心の生活から自由になりたかったことなどを理由挙げ精神的に追い詰められていたと当時振り返っている。一時引退考えた薬師丸は、撮影現場で「飽きない冷めない慣れない」の三原則を自らに課し女優として再出発する。同じ頃のインタビューでは、30歳ぐらいになった時に良い母親役のできる女優になっていたいと願望語っていた。 30代半ば女優続けて行くか悩んでいた頃、渡米しカウンセリング受けた自身俳優へ適性相談すると、先生から俳優何年しているか聞かれ薬師丸答えると、「あなた、もう20年以上も俳優続けてきたのでしょう? そんなに続けられたのに向いていわけないでしょう。もういいんじゃないの、悩まなくても」と言われた。その言葉で目が覚め自分好きだからこの仕事俳優)をしているんだと再確認し、人に望まれる限り女優続けたい話している。それからは、自分演じたい役や表現したいことに出会った時に、それを体現できるようになってればいいと思うようになった。 〔薬師丸主演『セーラー服と機関銃』1981年)などの〕その頃邦画学生時代見た同世代監督スタッフ映画やテレビ仕事できること感謝している。『今度は愛妻家』(2010年)を監督した行定勲『セーラー服と機関銃』を観て映画興味持った話している。また、 薬師丸が初主演したドラマミセスシンデレラ』(1997年フジテレビ)のプロデューサーで、薬師丸テレビ担ぎ出した小岩井宏悦は、この業界入ったきっかけとして映画『Wの悲劇』1984年)を挙げている。〔現場スタッフなどから〕球場薬師丸さん野球しているのを見に行きましたなどと話をされると、無駄遣いさせてすみませんと謝ることもある。 雑誌コマーシャルスタイリストをしていた小川久美子は、デビュー直後1978年から角川春樹事務所独立後の『タスマニア物語』(1990年)までの間、薬師丸衣装担当していた。小川スタッフとして初参加した『セーラー服と機関銃』映画の世界魅了されその後映画衣装デザイナー転身した小川にとって薬師丸との出会い人生ターニングポイントとなった。 『あまちゃん』(2013年)での鈴鹿ひろ美(演:薬師丸)が天野アキ(演:能年玲奈)に向けて言ったセリフの「続けていくのも才能よ」「向いてないけど、続けるっていうのも才能よ」は薬師丸自身を励ます言葉のように感じている。 2014年3月放送ウーマン賞2013授賞式で、芸能生活35年混沌として計画的なものではなかったと回顧し、「子供の時から地味で社交性がなかった私が、みなさんおかげで表舞台に立たせていただいて35年間この仕事続けることができた」と感謝言葉述べたまた、早め失敗あったか頑張れたとも話した2017年インタビューでも甘くなく、順調ではない〔芸能人生だったと薬師丸回顧している。しかし、どこかに奇跡転がっているとも付け加えている。

※この「女優への適性」の解説は、「薬師丸ひろ子」の解説の一部です。
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