太陽と月
★1.太陽と月の近親婚。
太陽と月(北米、エスキモーの神話) 太陽は美しい女性で、月は彼女の兄弟だった。毎夜、太陽のもとへ、正体不明の1人の男が通って来た。ある朝、太陽は、謎の男が兄弟の月であることを知る。太陽は自分の乳房をナイフで切り取って月に投げつけ、「私の全身を美味しいと思うのなら、これを食べなさい」と言う。太陽は逃げ去り、月は後を追う。太陽も月も空へ上がり、そこにとどまった。
★2.太陽と月の離婚。
太陽と月の話(ペルーの神話) 最初の頃、太陽は夫、月は妻で、一緒に輝いて地上を照らしていた。そのうち月は、人間たちを眺めて怒り出した。「人間は智恵を与えられていながら、それを悪用して、悪いことばかりしている。1人残らず殺し、滅ぼしてしまおう」。太陽は月を叱りつけた。「お前のような情なしは、夜の世界へ追放だ。暗ければ人間の姿もよく見えないから、腹も立つまい」。こうして月は、夜の世界でだけ光るようになった。
月と太陽の離別(中国の民話) 太陽が父、月が母で、星々が彼らの子供だった。太陽は残忍な性格で、朝早く家を出た子や、夕方遅く帰って来た子を食べた。子供たちの流した血が、朝焼け・夕焼けである。月は悲しんで泣き、涙が朝露・夜露になった。月は子供たちを連れて、太陽と別れた。それ以来、月はいつも星々と一緒にいるが、太陽はひとりぼっちだ(浙江省)。
★3a.太陽と月は姉弟であるが、昼と夜に別れて住むことにした。
『日本書紀』巻1・第5段一書第11 日神であるアマテラスは姉、月神であるツクヨミは弟だった。ある時、ツクヨミがウケモチノカミを殺した(*→〔口〕5a)。アマテラスはそのことで激しく怒り、「ツクヨミとは会いたくない」と言った。アマテラスはツクヨミと、1日1夜を隔てて住んだ。
ウェレの神話(コッテル『世界神話辞典』アフリカ) 至高神ウェレが天を創造し、月と太陽を置いた。しかし、この光り輝く兄弟は互いに戦った。最初は月が太陽を、天空から叩き出した。次には太陽が月を泥の中へ投げ落とし、月の燦然たる輝きをなくしてしまった。ウェレは兄弟を分け、輝く太陽は昼に、青白い月は夜に属するように定めた(東アフリカ。ケニアのアバルイヤ人)。
『月と不死』(ネフスキー)「月と不死」 太古、月(=妻)の光は、日(=夫)の光よりも、はるかに強く明るかった。日は月を羨望し憎んで地上へ突き落とし、月は泥濘の中に落ちて全身が汚れてしまった。そこへ、水桶を運ぶ農夫が通りかかり、月を泥から救い出して、水で洗ってやる。月は再び空へ昇って世界を照らそうとするが、かつての明るい輝きは失われていた(沖縄県宮古群島、多良間島)。
『天びん棒でかついだ日と月』(沖縄の民話) 昔、天の神様は、日と月を天びん棒にぶら下げて出歩いていた。ある日、何かのはずみで、天びん棒が2つに折れ、その力で、日と月が別々の方向へ飛んで行ってしまった。神様は、別れ別れになった日と月のことを悲しんで泣く。その涙が流れて川になった。これが、北部の本部(もとぶ)町にある涙川だ。
月と太陽の伝説 太陽は、本来は夜の月になるはずで、月は、本来は昼の太陽になるはずだった。夜、太陽と月が寝ていて、「どちらかの腹の上にシヤカナローの花が咲いたら、その者が昼の太陽になり、咲かなかった者は夜の月になろう」と約束した。花は月の腹の上に咲いたので、太陽はこっそり自分の腹に植え替えた。それで太陽は昼に、月は夜に出るようになった。太陽は悪いことをしたので、これをまともに見ることはできない。月はいくらでも見ることができる(鹿児島県大島郡喜界町)。
*→〔夢の売買〕2の『遠野物語』(柳田国男)2と共通する発想。
*昔は、兄の月が昼に、妹の太陽が夜に出ていた→〔光〕6bの太陽の光が目を刺すわけ(アルメニアの民話)。
★5.月は、もとは太陽だった。
太陽と月の誕生(アフリカ、コンゴ地方・ボミタバ族の神話) 大昔は太陽が2つあり、人々は暑さに苦しんだ。それを知った一方の太陽が、仲間の太陽を水浴に誘い、川へ飛び込むふりをする。仲間の太陽は真に受けて、本当に川へ飛び込んだので、水の中で炎が消えた。以来、空の太陽は1つだけになった。川から上がってきた仲間は、すっかり冷えていた。それが現在の月である。
太陽を射る話(台湾、高山族=旧・高砂族の神話) 昔、天には月がなく、太陽だけだった。太陽が昇ると眩しい光ばかり、沈むと真っ暗闇だった。太陽を矢で射て2つに割ろうと、3人の若者が、それぞれの赤ん坊を背負って村を出発する。太陽の出る山までは遠く、3人とも年老いて死に、赤ん坊が成長して旅を続ける。彼ら(=息子たち)はついに太陽を2つに割ることに成功するが、1人は火傷して死に、2人が白髪の老人となって村へ帰った。彼らのおかげで、昼は太陽が、夜は月が出るようになったのだ。
雷公を捕らえる(中国・トン族の神話) 大洪水の後(*→〔洪水〕1b)、12の太陽が出て、地上を乾かした。太陽は昼も夜も照らし続け、あまりの暑さに、姜良(チャンリャン)が弓で太陽を次々に射落とす。妹の姜妹(チャンメイ)が「1つは残しましょう」と言うので、姜良は射るのをやめ、太陽を1つだけ残した。しかし実はもう1つ、小さな太陽が葉の下に隠れていた。それは月になった。
★6.太陽と月を、左右の袂に入れる夢。
『曽我物語』巻2「時政が女の事」 北条時政に3人の娘がいた。ある夜、次女である19歳の娘が、「高い峰に登って月と日を左右の袂におさめ、橘の3つなった枝をかざす」との夢を見た。これはたいへんな吉夢であったが、次女はそれと悟らず、21歳の長女(=政子)に夢の内容を語って、その意味を尋ねた→〔夢の売買〕1。
『曽我物語』巻2「盛長が夢見の事」 源頼朝に仕える藤九郎盛長が、宿直(とのゐ)の夜に夢を見た。「頼朝が箱根に参詣し、左足で外の浜(=青森県・津軽半島の浜辺)を踏み、右足で鬼界が島(=鹿児島県・硫黄島)を踏む。左右の袂には月と日を宿し、小松3本を頭にいただいて南へ歩む」という夢だった。藤九郎盛長は「これは神仏のお知らせの吉夢」と考え、頼朝に報告した〔*延慶本『平家物語』巻4-38「兵衛佐伊豆山に籠る事」に類話〕。
*「左右の袂に月と日を入れる」というのは、→〔十字架〕3の『黄金伝説』143「聖フランキスクス(フランチェスコ)」の、「十字架の左右の腕が全世界を抱きかかえる」との夢を連想させる。
★7.太陽を胸に、月を足の下にする夢。
『かげろふ日記』下巻・天禄3年2月 私(藤原道綱母)のもとへ、石山寺の法師から「『貴女様が御袖に月と日とを受け、月を足下に踏み、日を胸に当て抱き給う』との夢を見ました。夢解きに御尋ね下さい」と言って寄こした。これは、「帝を思いのままにし、望みどおりの政治をする」という吉夢だった。
『ヨハネの黙示録』第12章 「わたし(ヨハネ)」は神に導かれて、世界の終末に起こる出来事を天に幻視する。1人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭に12の星の冠をかぶっている。女は、鉄の杖ですべての国民を治めるべき運命の男児を産む。7頭の龍が男児を食おうとねらうが、男児は神の玉座へ引き上げられ、女は荒れ野へ避難する。
『源氏物語』「若菜」上 明石の入道は、娘・明石の君が生まれる少し前の2月某日、霊夢を見た。それは「自分が右手で須弥山(しゅみせん)を捧げ、山の左と右から、月と日の光がさし出ている。自分自身は山の下の蔭にいて、光にあたらない。山を海に浮かべ、自分は小舟を漕いで西へ行く」というものだった。入道はこの夢に期待をかけ、明石の君を養育した〔*明石の君は光源氏と結婚して姫君を産む。姫君は東宮妃となって皇子を産む。明石の入道の曾孫が、次代の帝になるのである〕。
★9.太陽と月の夢を見て、子を産む。
『捜神記』巻10-2(通巻252話) 孫堅の夫人呉氏は、月が懐に入った夢を見て策を産み、日が懐に入った夢を見て権を産んだ。
天体で遊ぶイエス(ブルガリアの民話) この世のはじめ。イエス・キリストはまだ幼く、神さまの服のはじっこを持って、ついて歩いていた。神さまが「1人で遊びなさい」と言ったので、イエスは大地の粘土をこねて、たくさんのボールを作り、空へ投げ上げる。神さまがボールに祝福を与えると、ボールは太陽や月や星になった。次にイエスは両手に土をつかんで投げ、それらは小さな小さな星になった。これが天の川だ。
『七羽のからす』(グリム)KHM25 7人の兄を捜して、末娘が世界の果てまで歩いて行く。お日さまのお膝もとへたどり着いたが、お日さまはとても熱く、しかも、小さな子供たちをむしゃむしゃ食べていた。娘はそこから逃げて、お月さまの所へ行く。お月さまはとても冷たく、娘に気づくと、「くさいぞ、人間の肉くさいぞ」と言った〔*娘は逃げて、お星さまたちの所へ行く〕→〔指〕6a。
『エシュ神の悪戯』(アフリカの昔話) 太陽の神オールン、月の神オシュ、海の神オロクンは、それぞれの住まいを持っていた。ある日、エシュ神が、太陽の神オールンを海の神の家に、海の神オロクンを月の神の家に、月の神オシュを太陽の神の家に、引越しさせる。その結果、太陽の神が夜に現れ、月の神が昼間に出歩き、海の神が陸へ上がるなど、混乱が起こった。ショポナ神がほうきでエシュ神を打ち、罰した(ナイジェリア、ヨルバ人)→〔傷あと〕10。
*月と太陽が戦争をする→〔月〕1aの『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「海の冒険」第10話・『本当の話』(ルキアノス)。
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