天使 (ラファエロ、トジオ・マルティネンゴ絵画館)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/04 16:42 UTC 版)
| イタリア語: L'angelo 英語: The Angel |
|
| 作者 | ラファエロ・サンツィオ |
|---|---|
| 製作年 | 1500年-1501年 |
| 種類 | 油彩、板(後にキャンバス) |
| 寸法 | 31 cm × 26.5 cm (12 in × 10.4 in) |
| 所蔵 | トジオ・マルティネンゴ絵画館、ブレシア |
『天使』(てんし、伊: L'angelo, 英: The Angel)は、盛期ルネサンスのイタリアの巨匠ラファエロ・サンツィオが1500年から1501年に制作した絵画である。油彩。当時17歳であったラファエロは最初の公的発注であるチッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会にあるバロンチ家礼拝堂祭壇画『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』(La Coronazione di San Nicola da Tolentino)を、エヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレートと共同で制作した。この祭壇画は18世紀に損傷したため、いくつかの断片が切り取られた。本作品はその際に切り取られた板絵の1つである。ブレシアの美術収集家パオロ・トジオ伯爵のコレクションを経て、現在はブレシアのトジオ・マルティネンゴ絵画館に所蔵されている[1][2][3][4]。また現存する他の部分として『父なる神』と『聖母マリア』(L'Eterno Padre, Madonna)がナポリのカポディモンテ美術館に、本作品とは別の『天使』(L'angelo)がパリのルーヴル美術館に所蔵されている[2][5]。
作品
天使は身体を正面に向けた半身像で描かれた。前景の左上には開かれた書物の一部が、背景には石柱の一部が描かれている。天使は白い衣服と赤い外衣を身につけており、生き生きとした視線を画面右に向けている。金色の巻き毛は長く、風にたなびきながら背後に落ちている。天使の翼は緑色で塗られているが、右の翼は左の翼よりも濃い色で描かれている。本来この天使は『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』の画面右下、中央の聖ニコラウスの左隣に配置された2人の天使のうちの1人であった。天使は聖ニコラウスではなく、もう一人の別の天使のほうを見つめていたことが分かっている[4]。ラファエロの描写は洗練され、かつ入念である。天使の長髪や白い衣服は金色のハイライトが輝き、衣服の色彩はまるで真珠のようである。容貌は筆の先端で繊細に描かれている[2]。
ラファエロがアンドレア・バロンチ(Andrea Baronci)から祭壇画『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』の発注を受けた1500年当時、チッタ・ディ・カステッロではすでに画家ピントゥリッキオとルカ・シニョレッリが活躍していた。そこでこの発注にはルカ・シニョレッリの紹介があったのではないかと推察されている。ラファエロがこの2人の芸術家から受けた影響は本作品でも顕著である[2]。
板絵の縁の部分では絵具の剥落が見られるものの、保存状態は良好である[3]。
帰属と絵画の特定
パオロ・トジオが本作品を購入した当時、天使の翼は後代の濃い緑色の厚塗りによって塗りつぶされており[2][3]、フィレンツェのアカデミーは『青年の肖像』と見なし、初期の作品としてラファエロに帰属した。しかしその後はラファエロ派、チェーザレ・ダ・セスト、ラファエロの弟子であったティモテオ・ヴィーティの作品など様々に主張された[2]。この状況は1911年に画家・修復家のルイジ・カヴェナギが行った修復によって大きく変わった。ルイジ・カヴェナギが厚塗りで覆われた背景を全面的に洗浄したことにより、隠れていた天使の翼と、背景の建築物、聖ニコラウスが手にした書物の一部が現れたのである[2][3]。この発見を受け、翌1912年に美術史家オスカー・フィシェルは本作品がバロンチ家礼拝堂の祭壇画『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』の一部であり、画面右下、聖ニコラウスの左側に立つ天使の上半身を切り取ったものであることを明らかにした。さらに1913年には現在カポディモンテ美術館所蔵の『父なる神』と『聖母マリア』が同様に祭壇画の画面上部から切り取ったものであることを明らかにした。フィシェルは特定に際して18世紀の画家エルメネジルド・コスタンティーニが1791年に描いた『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』の模写を参照した。この模写は『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』の図像を記録として残すことを目的としていたにもかかわらず、祭壇画の下部しか描かれていないという不完全なもので、しかも聖ニコラウスの周囲に配置されていた4人の天使のうち1人が描かれなかった。それでもこの模写は祭壇画における本作品の本来の位置や、描かれた天使の全身像がどのようなものであったかを現代に伝えている[2]。この発見以降、本作品のラファエロへの帰属は異論なく受け入れられている。一方、画面上部の断片をラファエロの作であると認めることについては消極的な研究者がおり、共同制作者のエヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレートに帰属する見解もある[2][3]。
準備素描
フランスのリール宮殿美術館には『トレンティーノの聖ニコラウスの戴冠』の準備素描が所蔵されている。この素描では悪魔を踏みつける聖ニコラウスと、その右隣りの天使、画面上部の父なる神のポーズをしたモデル、王冠を持った聖母マリアと聖アウグスティヌスが描かれているものの、聖人の左隣の天使はまだ描かれていない[6]。
来歴
完成した祭壇画は約300年もの間、サンタゴスティーノ教会にあったが、1789年にイタリア中部地域を襲った地震で損傷した。祭壇画はローマ教皇ピウス6世に売却されると、いくつかの部分が切り取られ、ヴァチカン宮殿に設置された[7]。その後板絵は分散し、本作品は1822年から1823年にフィレンツェで売りに出された。これを購入したのがパオロ・トジオであった[2]。パオロ・トジオは収集したコレクションをブレシア市に遺贈することを希望し、1844年に市のコレクションに加えられた[2]。絵画は1851年にトジオ宮殿(Palazzo Tosio)に設立されたトジオ美術館(Galleria Tosio)に収蔵された。後にトジオ美術館とマルティネンゴ市立絵画館(Pinacoteca Comunale Martinengo)が合併して誕生したトジオ・マルティネンゴ絵画館に収蔵された。
ギャラリー
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『父なる神と聖母マリア』1500年-1501年 カポディモンテ美術館所蔵
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額縁
脚注
- ^ 『西洋絵画作品名辞典』 1994, p. 861。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『Raffaello ラファエロ』 2013, p. 58「天使」。
- ^ a b c d e “Raphael”. Cavallini to Veronese. 2025年10月29日閲覧。
- ^ a b “Angel (fragment of the Baronci Altarpiece)”. Web Gallery of Art. 2025年10月29日閲覧。
- ^ a b “Ange tenant un phylactère”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年10月29日閲覧。
- ^ a b “Projet pour le retable de "Saint Nicolas De Tolentino"”. リール宮殿美術館公式サイト. 2025年10月29日閲覧。
- ^ 『Raffaello ラファエロ』 2013, p. 54「父なる神、聖母マリア」。
参考文献
- 黒江光彦 監修『西洋絵画作品名辞典』三省堂、1994年、861頁。ISBN 978-4385154275。
- 渡辺晋輔 責任編集、渡辺晋輔、金山弘昌、飯塚隆 他 編『Raffaello ラファエロ』読売新聞東京本社、2013年、54, 58頁。 ISBN 978-4-906536-66-5。
外部リンク
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