鶴姫 (大三島)とは? わかりやすく解説

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鶴姫 (大三島)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 15:10 UTC 版)

鶴姫(つるひめ)は、戦国時代伊予(現・愛媛県)にいたとされる伝承上の女性1966年昭和41年)に小説『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』が発表されてから知名度が上がった人物で、同書が出版されるまでは小説の舞台である大三島の島民さえも彼女のことを知らなかった[1]。鶴姫は、現在では大三島の観光業に大いに利用されるコンテンツとなっているが、その実在性をめぐり疑問や指摘、批判も挙がっている。


注釈

  1. ^ a b 『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』巻末には「三島系図」と称して、鶴姫とその家族および前後する世代の人物を、線でつないだ家系図が掲載されている。大祝安用の項からは安舎・安房・鶴(姫)の3人が線で結ばれ、安房には「討死」と注記が付されるが[3]、『三島大祝家譜資料 全 三島家蔵版』に掲載されている「大祝継統表」には、安用の子として安舎・安房が記される一方で鶴姫の名は見当たらず、かつ安房の項に注記は全く付かない[4]。鶴姫の生母とされる妙林の名も、大祝家一族のうち、戦国時代より前の南北朝時代に活動した祝安親[5]とその兄弟である安定の母として、注記に見えている[4]
  2. ^ a b ただし、三島安精は、越智安成の名は『大祝家記』に見えるものの、その他の文献史料からは確認できないとしている[1]
  3. ^ 1918年(大正7年) - 1993年平成5年)[7]、1947年から1948年にかけて愛媛県議会議員を務めたほか[8]、大三島大社講社長を歴任した[1]
  4. ^ 『大祝家記』は、この戦いの様子を次のように記しているという[16]
    鶴姫は大薙刀を振りかざして、騎馬をはせ、無二無三に大勢の敵の中にかけ込み、ひるまず「われは三島明神権化の者なり、われと思わん者は出だせたまえ」と、大音声をあげて討ち合わす程に、味方の者たち大いに勇気を得て、これ三島明神の御加護とぞ、息つきもせで、追いかけたれば、大半手負い武者となって進みえず、敵方後方の輩ことごとく討たれて防州へ逃げ去りぬ……[16]
  5. ^ 彼女はまた、「三島江の 暁深し 色さえて 神さびわたる 鈴の音かな」という歌も詠んだという[21]
  6. ^ 本来独立して脇部を守る防具である脇引(脇当)を最初から胴に連結させる方法で、大山祇神社所蔵の同鎧を含め、日本に現存する甲冑では3例ほどしか確認できない特異な仕立てである[28]
  7. ^ a b 三島は、この着想について以下のように述べている[29][30]
    ……この鎧は、胸回りが大きくふくらみ、ウェストがきりりと締まり、草摺が十一間にも分れていて、腰のあたりが、パッと開くようになっている。
    めずらしい鎧だ。これは女性でなければ着られない代物だ。はじめは、女性が着用した鎧など考えられなかったから疑っていたが、そのとき、ふと私の脳裏に閃めいたものがあった。それはわが家の古文書を調査していた頃のことだ。たいした資料でもないと思って意にもとめなかった「大祝家記」―大祝安長の手記を祖父安継が書写したもの―の中に、三十一代大祝安用の娘「つる」、俗に「鶴姫」の歴史が記されていることだった。
    早速、読みあらためて行くうちに、その鎧は鶴姫の着用したものであろうと考えるようになった。……[29] — 三島安精、『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』の「はしがき」
    ……この胴丸は、腹巻との中間形式の作り方がとられていて、男性の鎧とはちがった型をしている。つまり普通の鎧、男性の鎧は、この鶴姫の鎧のように女性の胸のふくらみは見られないし、ウェストにあたる部分が極めてゆるやかで、しかも腰にあたる草摺が大きく開くようにはなっていない。現存する鎧の中ではただ一つの女性用の鎧である。……[30] — 三島安精、『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』の「鶴姫の鎧」
    なお、『大祝家記』は上掲の「はしがき」文中では大祝安長の著とされているが、(楠戸 1988a)以降は、大祝安躬の著として紹介されている[1]。また三島は、胸部が膨らみ腰がすぼまった胴の形を見て、紺糸裾素懸威胴丸は男性用ではなく女性用であると判断したが、山岸素夫は同説に対して、そのような鎧の形状は室町時代末期に当時の戦い方に合わせて流行したものであり、「女性用の鎧」として作られたわけではないと否定的な見解を示している(該当項参照)。
  8. ^ 同作品では、鶴姫は瀬戸内海の平和を守るために生きた女性として解釈されている[36]
  9. ^ (楠戸 1988a)には、『大祝家記』とされる文献の一部の写真が掲載されている[1]
  10. ^ その他、小原は1548年(天文17年)には義隆の命で神辺合戦に従軍するなどしている。
  11. ^ 例えば、白檀塗浅葱糸威腹巻(重要文化財・柞原八幡宮所蔵、伝・大友氏奉納)[55][58]や金小札色々威胴丸(重要文化財・西光寺所蔵、織田信長から上杉謙信へ贈与されたと伝わる)[59][60]、色々威腹巻(重要文化財・毛利博物館所蔵、伝・毛利元就所用)[61][62]、縹(紺)糸威腹巻(尚古集成館所蔵、伝・島津豊久所用)[56][63]などが該当する。
  12. ^ 例えば、幕末長州藩毛利敬親の正室・都美姫所用の錦包二枚胴具足(毛利博物館所蔵)の場合も、実戦を想定した作りとは考えられず、その製作目的は幕末の動揺した世相の中で武家の女性としての意気込みを示す程度のものであったと推測される[52]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 楠戸 1988a, p. 9.
  2. ^ a b c d e f 稲葉 & F.E.A.R. 2003, p. 73.
  3. ^ 三島 1966, p. 214.
  4. ^ a b c 三島 1912, p. 2.
  5. ^ 『中山町誌』「第二編 歴史 第二章 古代・中世 第二節 一本鳥居と合田氏 四、 合田貞遠」、2016年6月17日閲覧。
  6. ^ 紺糸裾素懸威胴丸 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2014年11月30日閲覧。
  7. ^ 三島, 安精, 1918-1993 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)、2017年1月14日閲覧。
  8. ^ 選挙関連データ 県議会議員選挙の歩み - 愛媛県選挙管理委員会、2020年12月11日閲覧。
  9. ^ a b c 鷹橋 2014, p. 188.
  10. ^ 和田 1988, p. 233.
  11. ^ 鶴姫公園 いよ観ネット - 愛媛県観光物産協会、2021年5月4日閲覧。
  12. ^ a b 日本経済新聞 1990, p. 8.
  13. ^ a b c 楠戸 2011, p. 172.
  14. ^ a b c 楠戸 2011, p. 173.
  15. ^ a b c d 稲葉 & F.E.A.R. 2003, p. 74.
  16. ^ a b c 楠戸 1990, p. 151.
  17. ^ a b 楠戸 2011, p. 174.
  18. ^ 楠戸 2011, pp. 174–175.
  19. ^ a b c d 稲葉 & F.E.A.R. 2003, p. 76.
  20. ^ 楠戸 2011, p. 175.
  21. ^ a b c d 楠戸 2011, p. 176.
  22. ^ 官報 1901年3月27日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、内務省告示第20号。2015年8月12日閲覧。
  23. ^ 昭和44年文部省告示第288号、昭和44年6月20日。
  24. ^ a b c 愛媛県史編さん委員会 1986, pp. 322–323.
  25. ^ a b 三島 1988, p. 64.
  26. ^ 国宝めぐり - 大山祇神社、2020年12月11日閲覧。
  27. ^ 服飾史図絵編集委員会 1969, p. 82.
  28. ^ 三浦 2007, pp. 153–154.
  29. ^ a b 三島 1966, pp. 1–2.
  30. ^ a b 三島 1966, p. 15.
  31. ^ a b 三島 1966, p. 16.
  32. ^ 河上 1976, p. 223.
  33. ^ a b 読売新聞 1993, p. 16.
  34. ^ 読売新聞 2006, p. 34.
  35. ^ 愛媛県生涯学習センター 2000, p. 385.
  36. ^ a b 愛媛新聞 2016.
  37. ^ 朝日新聞 2014, p. 31.
  38. ^ a b 和田 1988, pp. 226–227.
  39. ^ 和田 & 村上 2015, p. 113.
  40. ^ a b 藤沢 2005, p. 58.
  41. ^ a b c 跡部, 蛮 (2021年11月26日). “別名は「瀬戸内のジャンヌダルク」鶴姫「水軍の女武将伝説」の真贋!”. 日刊大衆. 双葉社. 2021年11月28日閲覧。
  42. ^ 大内氏実録 巻第29』 - 国立国会図書館デジタルコレクション - 小原隆言の項。2015年6月23日閲覧。
  43. ^ 鷹橋 2014, p. 190.
  44. ^ a b c 鷹橋 2014, p. 191.
  45. ^ 跡部 2021.
  46. ^ a b 定成 2012, p. 35.
  47. ^ 定成 2012, pp. 36–40.
  48. ^ 鷹橋 2014, pp. 191–192.
  49. ^ 山岸 1991, p. 175.
  50. ^ 笹間 1973, p. 70.
  51. ^ 笹間 1988, p. 203.
  52. ^ a b c 目で見る毛利家あれこれ 第082回 | ほっぷweb | 山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」のWEB版、2014年11月30日閲覧。
  53. ^ 藤本 2000, p. 148.
  54. ^ a b 山岸 1991, p. 174.
  55. ^ a b c d 山上 1974, p. 125- 山岸素夫執筆分
  56. ^ a b c 山岸 1991, p. 170.
  57. ^ a b 鷹橋 2014, p. 192.
  58. ^ 白檀塗浅葱糸威腹巻〈兜・大袖・小具足付/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2017年1月30日閲覧。
  59. ^ 山上 1974, p. 260- 山岸素夫執筆分
  60. ^ 金小札色々威胴丸 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2017年1月30日閲覧。
  61. ^ 山岸 1991, p. 167.
  62. ^ 色々威腹巻〈兜、大袖、喉輪付/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2018年5月29日閲覧。
  63. ^ 島津 豊久 - 尚古集成館、2018年6月25日閲覧。
  64. ^ a b c 山岸 1991, p. 176.
  65. ^ a b 本山 2014, p. 2.
  66. ^ 笠原 2007, p. 18.
  67. ^ 笠原 2007, p. 19.
  68. ^ 板橋区立郷土資料館 2012, p. 35.
  69. ^ 朱漆塗色々威腹巻 | 彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館、2015年6月23日閲覧。
  70. ^ [ID:48] 魚鱗胴畳具足 : 資料情報 | 収蔵品データベース | 真田宝物館、2016年4月8日閲覧。





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