唯一の神とは? わかりやすく解説

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唯一神

(唯一の神 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 18:05 UTC 版)

唯一神(ゆいいつしん)とは、古くは預言者としてのアブラハムに出現したとされる単一のを指す。広義の意味における唯一神は、単一神教において、その唯一性を強調した宗教にもあてはめることができる。狭義の意味においては、ユダヤ教イスラーム教キリスト教において国教化された宗教の神を指した言葉として、一般化されている。これらの宗教の神や救済者の認識については、三者三様であるが、アブラハムの宗教として同一の起源を持つとされている[注 1]。唯一神の信者は、この世界が滅んだのち、自分たちの崇拝する神が、絶対的な新しい世界を創る、という信仰を持っている。唯一神は、他の神々の存在や他宗の信者の存在を原理的に否定しているとされている。それは、この三宗教のお互い同士の不仲・戦いにも当てはまっているようだ。


注釈

  1. ^ 絶対的一神教とは、 すべての民族・国民がただひとつの神を信ずべきだとする立場にある。(出典ブリタニカ百科事典【一神教】)。絶対的一神教としての唯一神教は、他の神々の存在を認めないという特徴を持っている。
  2. ^ モーセの十戒に見られる、他の神々と共存した観点を持つ拝一神教は古いものとされ、創世記の原初史に記されている唯一絶対神信仰は、紀元前550年前後のバビロニア捕囚期の時代のものと考えられている。(岩波キリスト教辞典2002年P869、「拝一神教」の項目、山我哲雄)
  3. ^ それらが理由もなく交替して現れてくることは、内容の似た別個の二つの話を組み合わせてひとつの話に編集したためであるとされている。たとえば創世記6:5と創世記6:9等がある
  4. ^ 創世記20:13、サムエル記下35:7、詩篇58:11などにも見られることから、二つの物語物語のうちの一つは、あまり唯一性にこだわっていなかったように見える。
  5. ^ ヘブライ聖書における神観念は、初期には拝一神教であった。(出典 『岩波キリスト教辞典』P869 拝一神教の項目 山我哲雄)(サム上26:19、士11:24、出20:2)
  6. ^ この段階ではまだ拝一神教として信仰されており、創造神(唯一神)には変わっていなかった。次のソロモン王の時代になると、他の神々への崇拝が行われるようになった。(出典 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P54~P57
  7. ^ ダビデ王は十戒を刻んだ石板の入った契約の箱エルサレムに安置したとされる。(出典 『岩波キリスト教辞典』P158 エルサレムの項目 黒川知文)
  8. ^ このことから、後に聖書となる文書集と神殿との位置づけが変わっていったとされる。(出典『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P86)
  9. ^ 「座して全存在を支配している人格神」というのは、旧約聖書のイザヤ書(14章)や、新約聖書の使徒行伝やヨハネによる黙示録に出てくる「神の座に座す唯一神」に該当するといえる。
  10. ^ 神の重要な属性としては、慈悲・真・善・約束を守る・啓示に矛盾がない、などがあるとされる(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店1991年 P88)
  11. ^ 「我々(アッラー)は、ある一つの節を取り消したり、または忘れさせたりすることがある。その理由としては、それよりも良いものか同等の啓示を、信者に与えるためである(出典 コーラン2章 106節)」という啓示である。
  12. ^ 17章73節には、神ならざる存在は、ムハンマドを誘惑して、もう一つ別の啓示を捏造させることが可能である、ということが記されている。
  13. ^ イスラム法学者は、時期的に新しい神の真理が、前からある神の真理を破棄することが出来るという方法を考え出した。これにより、「背信者は、その人が背信者であるために、神の真理が、食い違いがあるように見えるのだ」、という見解を、イスラム法学者は主張できるようだ。
  14. ^ 初期のキリスト教宗派の中のいくつかの宗派は、イエスが十字架につけられて死んだとは信じていなかった宗派があったとされている。ムハンマドもこれと同じように考えて、イエスが十字架で死んだことは虚妄であるとした。そして、ムハンマドは、彼らの虚妄を非難していたものであるとする解釈もある。(出典『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 中央公論新社 2002年 P130 注9)
  15. ^ 当初ムハンマドの教えはイエスの教えやブッダの教えと同じものであったが、剣を取ることにより矛盾が生じ、彼らの教えとはかけ離れたものになってしまった、とする見解がある。(出典『心眼を開く』高橋信次著 三宝出版 1974年 P142)
  16. ^ 霊の姿が見えないムハンマドは、「お前は今、こんなことを考えているだろう」、「神様にはすべてお見通しだ」、「疑うことは背信行為である」という啓示を受けた場合、ムハンマドはその真偽を確かめるすべを持たなかった。ムハンマドは、絶対帰依の態度で、それを受け入れた。こうした誘導行為は、悪霊を神として祀る宗教や、神による啓示宗教にはありがちなことであるとする見解がある。(出典『心の指針』高橋信次著 三宝出版1974年 P80)
  17. ^ しかしながら、ムスハフにおいては、「モーセの教え」や「イエスの教え」というふうには捉えられていない。それらについては、ムハンマドの生存した当時の各宗派の口伝や回答の中に出てくる聖典、といったような曖昧な捉え方が為されている。「啓典の民」という言い回しは、「クルアーンは最も優れた啓典である」という神による自己主張のひきあいに出されているだけの場合が多いといえる。
  18. ^ ここでは、今現在啓示を下している神がそのままこの神殿の主であるとは言っておらず、厳密な意味では違うと見ることができる。啓示している神の方針としては、「他との調和を図りながら唯一の神を拝みなさい」ということで、彼らは彼らで彼らの神を、そのまま拝ませておけばよい、というふうに読める
  19. ^ 多神教徒は見つけ次第殺せという句は、生かそうとする神の意志に反するという見方もできる。「神は善い者の上にも悪い者の上にも太陽を登らせ、雨を降らせてくださる」、というイエスの言葉と同じようにも見える。日々刻々と人間を生かす働きをなす絶対的な神にとって、信仰者・不信仰者という見方や、敵・味方の次元は超えていると言える。
  20. ^ 一年に一度は、警告者の心の境地が聖断の夜と同調し、警告者にとっての運命の夜が訪れることが読み取れる。そして、その日は千の月(100年ほど)と同じほどの重要性があるということである。それはこういうふうにも読み取れる、「神の慈悲により、少なくとも100年に一度、預言者が出現しつづける」と。神は、世の苦しみが続く限り、預言者の系譜を続けてゆくようだ。
  21. ^ 現在のイスラームのように、警告者が、神の意志に反してこの世の王となったという事態に加えて、神が、「私は、ムハンマドで預言者を世に送ることをやめる」という啓示を下せば、神は、彼の後に続く預言者の系譜の全体を否定できることとなる。
  22. ^ 86章4には、人間が魂を持つことが記されており、指導の天使がついているとされている。また、明言されていない最後の審判は肉体が滅ぶ最後の時とも読める。
  23. ^ 十戒に番号はついておらず、10ないしは12の戒めがひとまとまりをなしている。(出典『旧約聖書〈II〉』出エジプト記 レビ記 岩波書店 2000年 P90 出エジプト記20:1の注17 木幡藤子・山我哲雄訳)
  24. ^ 従来とは異なり、他の神々の存在そのものを否定する発言ではないとしている。(出典『旧約聖書〈II〉』出エジプト記 レビ記 岩波書店 2000年 P89 出エジプト記20:3の注、木幡藤子・山我哲雄訳)
  25. ^ 像一般が禁止されている。(出典『旧約聖書〈II〉』出エジプト記 レビ記 岩波書店 2000年 P91出エジプト記20:4の注2 木幡藤子・山我哲雄訳)
  26. ^ ここでの像は他の神々の像ではなく、ヤハウェの像のこと。(出典『旧約聖書〈II〉』出エジプト記 レビ記 岩波書店 2000年 P91出エジプト記20:4の注3 木幡藤子・山我哲雄訳)
  27. ^ 人に害を与えたり傷つけるため嘘のために悪意をもって神の名を口にすること。(出典『旧約聖書〈II〉』出エジプト記 レビ記 岩波書店 2000年 P91 出エジプト記20:7の注8 木幡藤子・山我哲雄訳)
  28. ^ 「新約聖書」を歴史的文書として翻訳したとされる『新約聖書』(岩波書店)において、聖典作成者によって歪曲される前のイエスの教えとされるものは、四つほどあります。その一つは、「主の祈り」とされる部分です。また、その一つは「イエスの終末観」とされる部分です。またその一つは、「絶対的唯一」の神ではなく、「一なる神」とされている部分です。またその一つは、イエスが説いた主要な教えは、「神の国」であるということです。
  29. ^ 四福音書のイエスの言行には「人間を育む慈悲の神」は出てきているが、「唯一の神」は出てきていない。唯の字をはぶいた「一なる神」という概念を、ユダヤ教の聖書を引用するときに使ったとされている。(出典『新約聖書』新約聖書委員会 2004年 岩波書店 P52 マルコ12章29の注11 佐藤研訳)宗教者としてのイエスの考察にとって重要と思われる『闘技者トマスの書』や、『トマス福音書』に出てくる神は、この、「一なる神」や、あるいは、ブッダの説いた「人格的な面を持つ神(ダルマ)」に近いようだ。全宇宙の神として観た場合、「一なる神」は、ブッダが説いた「人格的な面を持つ神(ダルマ)」というものに似ているといえる(出典『原始仏典第4巻 中部経典 Ⅲ』第100経 清らかな行いの体験ー サンガーラヴァ経 前書きP426 春秋社2005年 中村元監修 山口務訳)、(出典『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店1982年 P252注303 中村元)。 それとは異なり、「座して全存在を支配している人格神」というのは、旧約聖書のイザヤ書(14章)や、新約聖書の使徒行伝やヨハネによる黙示録に出てくる「神の座に座す唯一神」に該当するといえる。
  30. ^ 執筆年代は90年代、著者は無名の作者で、彼をよく理解した別の人物が今の形に成したとされる。(出典『新約聖書』岩波書店P918 ヨハネ福音書の解説 小林)
  31. ^ 三位一体の教義は、歴史上の人物そのものが神の啓示であるとする思想につながっている。また、聖典編集者が聖霊に満たされて追記した文章についても、これを神の啓示と同等のものとして、信者の編集を神の啓示であると認識する場合がある。
  32. ^ ナザレのイエスは、霊の声を聴くことも、霊の姿を視ることもできたとされている。悪魔が試みに来たときには、彼はそれが悪魔であるとはっきり認識できたとされる。霊視ができない場合、人は、誘惑してくる霊的存在に対して、大きな弱点をもっていると言える。
  33. ^ キリスト教徒にとって四福音書は神の啓示によるもの、とされている。しかしそれらは、ナスフという観点からすると、イエスの言行の記録を人の手による物語に変えている、という点で、イスラームにおけるハデースと似たような位置にあると言える。イエスを歴史的な存在と見る高等批評では、四福音書の成立の前には、Q文書とされるイエスの言行録の存在があったと言われています。そこでは、イエスは教師等であるとされています。そこでは彼は、三位一体の神とはされていない。また、これまでキリスト教では、異端とされる書物の判定基準に、三位一体の教説にかなったものであるかどうかということが論ぜられてきました。そのことを考えると、これまで歴史の中で、異端として退けられたイエスの言行録の中には、歪曲される前の歴史的なイエスの教えを伝承してきたものがある、と見ることもできます。ムスハフによれば、イエスの言葉をシンプルに記してきたものについて、これを「啓典」と取り扱うことができるといえます。それらの一つとして、「ナグ・ハマディ文書」が該当し、中でも、「闘技者トマスの書」や、「トマスによる福音書」、「マリア福音書」などがあります。それらは、歪曲されていないと思われる「啓典」の条件に当てはまるといえます。
  34. ^ 「新約聖書」を歴史的文書として翻訳したとされる『新約聖書(岩波書店)』において、作成者によって歪曲される前のイエスの教えとされるものは、三つほどあります。その一つは、「主の祈り」とされる部分です。また、その一つは「イエスの終末観」とされる部分です。またその一つは、「絶対的唯一」の神ではなく、「一としてある」神とされている部分です。イスラーム的には、神がイエスに与えた啓示は、聖書の正典・異端を問わず、イエスの言行録をシンプルに記した書物に埋もれている、と見ることができる。
  35. ^ 1914年10月1日ごろに天で戦争が起こり、それに負けたサタンとその配下の悪霊たちは,地の方向に急速に追い落とされたとされている。イエス・キリストは、現在統治体の上に臨在し、統治体にのみ各種の通信を送っているとされる。イエス・キリストの目に見えない「臨在」は、異邦人時代の終わった1914年に始まったとされ、それ以後の期間が「終わりの日」に相当するとされている。[44]

出典

  1. ^ 創世記1:26
  2. ^ 列王記1、11:33、出エジプト記4:16
  3. ^ 講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P49
  4. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著 P50
  5. ^ 『旧約聖書〈Ⅱ〉』出エジプト記 レビ記、岩波書店2000年出エジプト記の解説P402 木幡藤子
  6. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著 P52
  7. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P72
  8. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P60
  9. ^ 岩波キリスト教辞典P869 拝一神教の項目 山我哲雄
  10. ^ 『岩波キリスト教辞典』P1037 捕囚の項目 宮本久雄
  11. ^ 『歴史の現在 古代オリエント』山川出版社、2000年P151-152 前田徹・川崎康司
  12. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P82
  13. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P88~P90
  14. ^ 『旧約聖書人名事典』ジョアン・コメイ著、東洋書林、1996年、93-97頁
  15. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P118
  16. ^ 『コーラン 1』中央公論新社 池田修前書き・イスラームの聖典 P27
  17. ^ 『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年
  18. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P212
  19. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P170
  20. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P210
  21. ^ マララ・ユサフザイの国連本部でのスピーチhttps://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/4790/
  22. ^ 『マホメット』井筒俊彦 講談社 1989年 P110
  23. ^ 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社1971年P82
  24. ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P118
  25. ^ a b c d (出典 )
  26. ^ 『コーラン下』井筒俊彦 岩波書店 1958年 P318 
  27. ^ a b 『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 中央公論新社 2002年 P252 注28 注29 注32
  28. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P44
  29. ^ 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P15
  30. ^ a b c 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P12
  31. ^ 『コーラン下』井筒俊彦著岩波書店1958年 P305の注
  32. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P34
  33. ^ 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P10
  34. ^ 『コーラン 下』井筒俊彦著 岩波書店1958年 P295
  35. ^ 『コーラン下』井筒俊彦著岩波書店1958年 P270の注
  36. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P60
  37. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P62
  38. ^ 『新約聖書』岩波書店P495(1テサ5:1の注19 青野)
  39. ^ 『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P55、P57
  40. ^ a b 『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P19 裁きの項目 新約聖書翻訳委員会
  41. ^ 『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年 P300 解説
  42. ^ 『マホメット』井筒俊彦 岩波書店 1989年 P88
  43. ^ 『聖書、コーラン、仏典』中村圭志著 中央公論新社 2017年 P154
  44. ^ (出典復活の行なわれるその「終わりの日」に今生きる
  45. ^ 聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力 p. 138





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