吉原重俊/とは? わかりやすく解説

よしはら‐しげとし【吉原重俊】

読み方:よしはらしげとし

[1845〜1887]官僚初代日本銀行総裁薩摩の人。通称弥次郎寺田屋事件連座して謹慎処分となるが、後に許され薩摩藩からの留学生として渡米岩倉使節団書記官務めるなど外交官として実績残した後、大蔵省移って活躍した明治15年(1882)に日本銀行創立されると、その初代総裁となった


吉原重俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 15:49 UTC 版)

吉原 重俊(よしはら しげとし、1845年5月15日弘化2年4月10日) - 1887年明治20年)12月19日)は、日本武士薩摩藩士)、官僚実業家日本銀行初代総裁。薩摩藩藩校造士館に学んだ攘夷派志士であったが、薩摩藩第二次米国留学生としてアメリカ合衆国イェール大学初の日本人留学生として政治・法律学を学ぶ。岩倉使節団ワシントンで現地参加し、帰朝後は外務省書記官となり、大蔵省に転じて大蔵卿松方正義の下で活躍した。横浜税関長、租税局長を務め初代の日銀総裁となった。


  1. ^ 『大久保利通日記』第二巻、日本史籍協会、126頁。
  2. ^ 公爵島津家編纂所編『薩藩海軍史』中巻。560頁。
  3. ^ W.E Griffis「A maker of the New Orient:Samuel Robbins Brown」。ブラウン牧師の伝記であり、彼はフルベッキヘボン等とともに日本の若者達にキリスト教精神を伝えた。
  4. ^ 高橋 秀悦 「「海舟日記」に見る「忘れられた元日銀總裁」富田鐵之助」東北学院大学経済学論集 第182号 100頁
  5. ^ 国友次郎と種子島敬輔の英語論文モンソン・アカデミーの卒業式で朗読された英文の紹介と考察塩崎智、拓殖大学語学研究 (129), 137-172, 2013-12
  6. ^ 犬塚孝明『明治維新対外関係史研究』吉川弘文館、134〜144頁。
  7. ^ 容應萸、「19世紀後半のニューヘイブンにおける日米中異文化接触」 『アジア研究』 2016年 62巻 2号 p.37-60, doi:10.11479/asianstudies.62.2_37, アジア政経学会
  8. ^ 大山巌伝刊行会編『元帥公爵大山巌』、1935年、339頁に「3月10日夜、元帥は『フランクフルト』に向かって出発する大原を停車場に送って左の一詩を贈った」とある。
  9. ^ 吉野俊彦『歴代日本銀行総裁論』毎日新聞社、1976年、11〜23頁。
  10. ^ 吉野俊彦『忘れられた元日銀総裁 富田鉄之助伝』東洋経済新報社、1974年、69頁。
  11. ^ 『交詢社百年史』交詢社、1983年、52頁。
  12. ^ 『太政官日誌』 明治7年 第1-63号 コマ番号110


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