参考史料について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 15:00 UTC 版)
尼港事件に関する史料は、日本側のもの、ソ連側のもの、生存者の証言を白系ロシア人が記録したもの、という三種類に大別できる。 原暉之の論文『「尼港事件」の諸問題』によれば、基本的な日本側史料は、参謀本部編 『西伯利出兵史―大正七年乃至十一年』と外務省編『日本外交文書 大正九年』である。ソ連側のものは、パルチザン指導者などの回想録が2点ほどある他は、日本の研究者が読めるものでめぼしいものはない(『「尼港事件」の諸問題』が書かれた1975年において)。白系ロシア人の記録のうち、グートマンの『尼港の災禍』(『ニコラエフスクの破壊 =尼港事件総括報告書=』)は、百ページにのぼる生存者の証言、その他の史料(パルチザン側の文書を含む)をも収録している。 『西伯利出兵史』をもとに概略が述べられている日本の編纂物としては、『西伯利出兵 憲兵史』『西伯利出兵史要』などがあるが、それらの事件著述と、ソ連の歴史家の一般的な見解 には、事実関係において大きな食い違いがある。双方の見解を併記し、主には『ニコラエフスクの破壊』掲載の証言を参考として供した。 『ニコラエフスクの破壊』(原題:Gibel Nikolaevska-na-Amure 米題:THE DESTRCTION OF NIKOLAEVSK-ON-AMUR)は、1924年にベルリンにおいて、ロシア語で出版された。著者のグートマン(A.Ya.Gutman)は、事件当時、日本に在住し、ロシア語新聞紙の編集長をしていた。生存者数名にインタビューするとともに、1920年夏、事件直後に実施された調査活動の報告書を入手し、それをもとに執筆した。報告書には生存者57名の口述証言が含まれていた。グートマンのロシア語版を読んでいた原暉之は、「グートマンは反ボリシェヴィキではあったが日本軍にも点が辛く、『尼港の災禍』(『ニコラエフスクの破壊』)に収録された生存者の証言は反革命派に限らず広範にわたって貴重である」というように評価している。 原暉之の言う『尼港の災禍』は近年、英訳、和訳出版された。1909年にニコラエフスクで事業を営んでいたユダヤ系のリューリ家で生まれたエラ・リューリ・ウイスエル(Ella.Lury.Wiswell)は、1993年、尼港事件に関する英語の文献に満足のいくものがないとして、生まれ故郷の悲劇を子細に記録したグートマンのGibel Nikolaevska-na-Amureを米語訳し、THE DESTRCTION OF NIKOLAEVSK-ON-AMURとして出版した。2001年、齊藤学はエラの米語訳をもとに、ロシア語版も参照した上で『ニコラエフスクの破壊』として和訳し、出版した。
※この「参考史料について」の解説は、「尼港事件」の解説の一部です。
「参考史料について」を含む「尼港事件」の記事については、「尼港事件」の概要を参照ください。
- 参考史料についてのページへのリンク