占星術教程の書とは? わかりやすく解説

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占星術教程の書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 15:00 UTC 版)

『占星術教程の書』写本に描かれた、月相を説明する挿絵(イラン・イスラーム議会図書館蔵)[1]

占星術教程の書[2](せんせいじゅつきょうていのしょ、アラビア語: التَّفهیم لِأَوائلِ صناعة التَّنجیم, ラテン文字転写: Kitāb al-tafhīm li-awāʾil ṣināʿat al-tanjīm[3])あるいは『星学入門[4][5](せいがくにゅうもん)は、11世紀にビールーニーが執筆した占星術の入門書である[5]。『占星術教程の書』には、アラビア語版とペルシア語版の、2つの言語による原典が存在する[6][7]。占星術書であるが、その前提となる数学天文学の主題により多くを割いた内容となっている[6]。数学はエウクレイデスの『原論』、天文学はプトレマイオスの『アルマゲスト』に依拠しており、占星術はアブー・マアシャル英語版を多く参照するが、インド宇宙論に関する知識が随所に織り交ぜられている[4][5]

言語

『占星術教程の書』には、アラビア語版とペルシア語版が存在し、両言語ともに20を超える写本が現存している[2][6][8]。ビールーニー本人がもともと執筆したのがアラビア語版なのか、ペルシア語はその翻訳なのか、であればそれを執筆したのは誰なのか、はっきりとはわかっていない[2]。しかし、両言語版の比較については多くの考察がなされてきており、全般的に、アラビア語版の方が詳細かつ丁寧で、解説も明快であるのに比べ、ペルシア語版は要約したような文章で、用語にも迷いがみられる、という傾向がある[6]。この、ペルシア語版の不安定さは、当時ペルシア語で科学用語が確立されていなかったことの反映とみられる[6]。当時は、ペルシア語圏の学者であっても、学術書の執筆にはアラビア語を用いるのが一般的な時代であった[9]。本書のペルシア語版は、ペルシア語で執筆がなされた最古の数学書・占星術書とされ、ペルシア語による科学の活性化に貢献したとして、国連教育科学文化機関の事業「世界の記憶」の記録遺産の一つに選定されている[9]。ペルシア語版については、ペルシア語で確立していなかった用語の処理について、全編通じて共通の手癖がある一方、翻訳作業における系統立った手順を構築しているようにみえないことから、古典学者ジャラールッディーン・ホマーイー(Jalāl al-Dīn Humāʾī)によれば、ビールーニー自身がペルシア語で執筆したものと考えられる[6]

来歴

著者ビールーニー

ビールーニーが本書を執筆したのは、本文中の記述によればヒジュラ暦420年で、西暦では概ね1029年のこととされ、ガズナにおいて執筆されたとみられる[4][6]

現存する写本の中で特に古いものは、ダブリンチェスター・ビーティー図書館が所蔵するもので、西暦1178年に作成されたとみられる[2]。アラビア語写本には、チェスター・ビーティーなどの写本の系統と、大英図書館フランス国立図書館などが所蔵する写本の系統と、2つの系統が存在する[2]

写本でない訳書は、ドイツ物理学者アイルハルト・ヴィーデマン英語版が一部をドイツ語訳したものが最初である[2]。1934年には、ロバート・ラムゼイ・ライト(Robert Ramsay Wright)が英訳とアラビア語写本(大英図書館本)を対照させた “The book of instruction in the elements of the art of astrology” を出版した[2][7]。この英訳本は、その後長い間大部分の研究者が参照し、広く用いられているが、英訳部分は実際には、アラビア語写本の対訳ではなく、大英博物館所蔵のペルシア語写本から翻訳されたものである[2][4]。1973年にはタジク語訳が、1975年にはロシア語訳が出版され、1990年代にはイタリア語訳も登場した[2][8]。2010年から、アラビア語写本に基づく日本語訳も発表されている(§日本語訳参照)[2]

内容

本書は、「アル=ハサンの娘ライハーナの求めに応じて」執筆されたもので、簡潔で短い問いと、それに対する答え、という問答形式で論じられる[2][6]。ビールーニーは、初学者でも読みやすいようにこの形式を選択し、それを「もっとも目的にかなった、思い描きやすいもの」と自賛している[6][2]。このような工夫は、ビールーニーが熟練した教師であるかのように感じさせるが、本書以外にビールーニーの教師としての活動は知られていない[6]

全体では、特に区分もなく530の問答が並び、いくつかの問答には図表が付される構成になっている[2][6]。しかし、実際の内容は主題によっていくつかの部分に分けることができ、まず数学について述べ、次いで天文学を論じ、最後に占星術に関する説明が来る建付けになっている[5]。この順に進むのは、ビールーニーが数理天文学を、占星術の一部であり不可欠な理論的基礎である、と考えていたことの表れであり、ビールーニー自身、数学や天文学を「完全に習得しなければ、何人も占星術の本質を学んだことにならない」、と宣言している[2][6]。また、初学者がほかに参考書を用いずに、占星術の基礎を身につけることができるように、との配慮であるとも考えられる[5]

数学

数学についての問答はさらに、幾何学数論算術と、より細かく区分される[6][2]。数学部分はその多くが、エウクレイデスの『原論』を基にしている[6][5]。ビールーニーは『原論』のアラビア語訳に深くかかわっており、『原論』の内容に精通していたが、本書では占星術の前提知識という目的から、主題を厳選している[5]。さらに、叙述の順序を工夫し、例えば幾何学では『原論』とは逆に、立体の定義をまず示し、そこから次元を減らして面、線と進み、最後にを定義している[5]。また、『原論』そのものには記述されていない理論や、天文学の手引書、概説書の観点も含め、数論や算術にはゲラサのニコマコスの概念やインド数学の主題も取り入れている[6]

天文学

『占星術教程の書』の天球について書かれた第120-121節のページ(イラン・イスラーム議会図書館蔵)。

天文学、つまり宇宙の構造についての問答には、天球天体地球天象といった主題が並び、地理学暦法(年代学)、アストロラーブといった主題も含まれる[2][6]

基本的に天文学は、プトレマイオスの『アルマゲスト』に従っているが、バッターニーの観測記録や自身の観測による定数の修正も入っている[5]ブラフマグプタの天文書からインド天文学の要素も取り入れ、例えば天球に関して、アリストテレスの宇宙とインドの「ブラフマンの卵」(Brahmāṇḍa)を対照させたりしている[4][6]

宇宙の構造に続いて、暦法についてまとめられ、基本的な主題の定義のほか、ユダヤ教徒キリスト教徒の祝祭日、各民族の紀元などが叙述される[5]。アストロラーブについては、機器の説明だけにとどまらず、いくつかの実務演習を提示している点に、本書のほかの部分との違いがみられる[6]

占星術

占星術の基本を教えることは、本書の最終的な目標であり、最後の3分の1弱が割かれている[2][6]。ここでビールーニーがしばしば参照する星学者は、ヨーロッパでも有名な、『占星術大入門』、『簡易入門書』の著者アブー・マアシャルである[4][6]。また、ヴァラーハミヒラの著書から、インド占星術の原理や解釈についての情報も付け加えている[5][6]。イスラームの占星術も、インドの占星術も、基本的にはヘレニズムによって西洋からもたらされたもので、共通する要素が多いが、インド占星術が独自の説をとる場合には必ず言及している[4][5]

出典

  1. ^ Lunar Eclipses / al-Biruni”. akg images. 2025年11月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 山本啓二; 矢野道雄アブー・ライハーン・ムハンマド・イブン・アフマド・アル=ビールーニー著『占星術教程の書』 (1)」『イスラーム世界研究』第3巻、第2号、303-371頁、2010年3月。doi:10.14989/123289https://hdl.handle.net/2433/123289 
  3. ^ Kitāb al-tafhīm li-awāʾil ṣināʿah al-tanjīm”. Islamic Scientific Manuscripts Initiative. Max Planck Institute for the History of Science. 2025年11月5日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 矢野道雄「アル・ビールーニー『星学入門』にみられるインド」『西南アジア研究』第38巻、56-71頁、1993年3月30日。doi:10.14989/seinan-asia-kenkyu_38_56https://hdl.handle.net/2433/260221 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 矢野, 道雄「アル・ビールーニーの『星学入門』」『星占いの文化交流史』勁草書房東京都文京区〈シリーズ言葉と社会〉、2004年11月20日。ISBN 4-326-19927-X 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Brentjes, Sonja (2020), “Ketāb al-tafhim”, Encyclopædia Iranica Online, doi:10.1163/2330-4804_EIRO_COM_12367 
  7. ^ a b Yano, Michio (2013), “al-Bīrūnī”, in Fleet, Kate; Krämer, Gudrun; Matringe, Denis et al., The encyclopaedia of Islam three, Brill, pp. 50-56, ISBN 978-90-04-25268-4, ISSN 1873-9830 
  8. ^ a b Hogendijk, Jan P.. “The works of Abu Rayhan (al-)Biruni”. 2025年11月5日閲覧。
  9. ^ a b Al-Tafhim li Awa'il Sana'at al-Tanjim”. Memory of the World. UNESCO. 2025年11月5日閲覧。

日本語訳

関連項目

外部リンク




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