前身: MK14 と ZX80
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 15:02 UTC 版)
「シンクレア ZX81」の記事における「前身: MK14 と ZX80」の解説
1970年代後半、アップルなどのアメリカ企業が単純なホームコンピュータのキットを製造しはじめていた。イギリスの電子工作ホビーストもこれに関心を持っていたが、アメリカの製品は高価なため実際に購入するのはまれだった。市場には完成品のパーソナルコンピュータもハイエンド製品として登場していたが、こちらはさらに高価だった。例えばオリベッティの製品は2,000ポンド、1979年のコモドールPETは700ポンドで、市場にはホビースト向けのローエンド製品が存在しなかった。シンクレアはこれを商売の機会ととらえ、ローエンド製品を投入することにした。 シンクレアの最初のホームコンピュータは組立キットの MK14 で、1978年6月に発売した。これが大量生産された製品となるまでには長い道のりがあった。MKは "Microcomputer Kit" の略で、当初からホビースト向けにホビーストによって開発された製品であることを示している。出力はLEDの7セグメントディスプレイだけである(Science of Cambridge は UHF TV に出力するアドオン・モジュールを開発している)。ケースはなく、むきだしの回路基板だけであり、メモリも256バイトしかなく、恒久的な記録装置もない。入力は20キーの十六進法キーボードを使用する。非常に機能が貧弱だが、1万から1万5000台を売り上げており、例えば1978年、市場がより大きいアメリカでずっと高価な Apple II は9,000台しか売れていない。この成功によりクライブ・シンクレアは未開拓の低価格コンピュータ市場で利益を上げられると確信した。 シンクレアはMK14に続いてZX80を、当時世界最小で最も安いコンピュータとして開発し、1980年1月に99.95ポンドで発売した。会社は発売前の市場調査を全く行わなかったが、クライブ・シンクレアは一般大衆が十分な興味を持ってくれるだろうと予感していたという。実際、組立セット10万台の予約が入り、当初から大量生産が可能となった。 ZX80の設計は多くの点でZX81に受け継がれている。シンクレア自身は後に「ZX80はZX81に向けての重要な踏み石だった」と述べている。設計は価格を最重要ポイントとしてなされた。100ポンド以下に価格設定しても十分な利益が得られることを目標としている。特徴的な白い楔形のケースに回路を収め、メンブレンキーボードを装備したデザインは、シンクレアが雇った若い工業デザイナーリック・ディッキンソン(英語版)が生み出した。ディッキンソンは後にシンクレアのやり方について「すべてがコスト最優先だった。そのデザインはマシンの顔だった」と述べている。その簡略なキーボードはシンクレアのコスト削減の結果である。タイプライター型のキーボードよりずっと単純で安価だが、タイピングの感覚や使いやすさの面では問題が多い。 中身はさらにZX81と似ている。どちらもZ80Aマイクロプロセッサを採用し、1kBのRAMしか搭載していない。BASICインタプリタを内蔵したROMチップを搭載し、テレビ受像機をディスプレイとして使える。また、通常のカセットレコーダーをデータ記録に使用する。両者の最大の違いは、内部のソフトウェアである。ZX81がリリースされるとZX80にZX81のROMを搭載するだけでアップグレード可能であることが判明した。 ZX80は成功を収め、発売9か月で2万台を売り上げた。Science of Cambridge は1980年末まで月産9,000台のペースでZX80を生産し、18か月で10万台を売り上げた。ZX80の成功により、後継機種を出さないわけにはいかなくなった。シンクレアは1980年11月、社名をシンクレア・コンピューターズとして中心事業を明確化し、1981年3月にはシンクレア・リサーチに改称した。
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