オージンのワタリガラスの呪文歌とは? わかりやすく解説

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オージンのワタリガラスの呪文歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 02:26 UTC 版)

オージンのワタリガラスの呪文歌』(Hrafnagaldur Óðins)は、古エッダの形式で書かれた、古くとも中世後期の14世紀、おそらくは17世紀頃成立のアイスランド語である。正題が記された写本にはすべて『(または)序詩』((al./eþur) Forspjallsljóð) という副題も付記される[1][2]。邦題は他に『オーディンの鴉の歌[3]など。


注釈

  1. ^ 古くは紀元2世紀の用例もあるが(ギリシア語: ἐν νυκτὶ βουλή)、中世以降の初出は15世紀のギリシア人、ミカエル・アポストリオス英語版の『諺集』である。
  2. ^ a b 第3詩節にhugurとあるが、これをオージンの飼うカラスの名前フギンの異綴りとみるか、「勇気」を意味する普通名詞ととるかで意見が分かれる。ラッセン英訳では「勇気」だと訳しており、当詩では「オージンのワタリガラスは、いかなる役も演じていない」とする。(Lassen 2011, p. 21)
  3. ^ íviðia は「森の中(に住む女)」の意で、巫女の予言第2詩節にみえる「女巨人」のこと。グリムは「シュラト英語版/野人」の章でこれに触れ、きちんと説明はできないと断りながらも、スノッリの「ギュルヴィたぶらかし」がいうイアルンヴィジア(鉄の森に住まう女)たちと同系と見る。スノッリによれば、イアルンヴィジアらは「トロール女」であるとされ、狼の姿をした巨人を生む。(Stallybrass英訳) Grimm 1883, vol. 2, p.483, Simrock 1874, p. 411
  4. ^ ラッセン英訳(Lassen 2011, pp. 82, 96)。ラッセンはまず、文法上の構成では、オーズレリルは主語であり、脈略から人名でなくてはならず、おそらくドワーフとする。従来解釈では文法の誤りがあるだけで、「容器」のことと解釈するのだが、ラッセンによれば、それには2つの文法訂正が必要なので、詩の作者が「オーズフレリル」の名を人名/ドワーフ名と勘違いしたという可能性の方がありえるとしたのである。また、この箇所にある "at"は従来は前置詞扱いだが、ラッセンは"-at"否定形接尾辞とするので、ラッセン訳は「守りえず」と否定形になるのである。
  5. ^ オーズフレリルだろうとオーズレリルだろうと「思考を動かすもの」の意味と解釈される。詩の綴り通りだと「オーズフレリル」でラッセンは"mind mover"「思考を動かすもの」意(Óðr + hræra)と注釈する。一方、詩の蜜酒の容器である「オーズレリル」は"Óðrerir"と綴りこそ違い、Cleasby-Vigfusson 辞書では"rearer.. of wisdom" 「叡智をもたげるもの」としている。しかし追って調べるとC-V辞典でのhræraの定義は"to move"だが、英語の"rear"と同源語との附記がある。
  6. ^ ラッセン英訳(Lassen 2011, pp. 83, 96)では、「彼(オーズレリルという名のドワーフ)の勇気はくじけ」としている
  7. ^ 諸英訳ではギンヌンガガプと同義とされていないのだが、ラッセンは、その共通の語幹「ギンヌング」は本来「偉大なる空間の」('of the mighty space(s)')や、「幻想や魔法に満ちた」('filled with illusion or magical power')の意味があると推察する[26])。「ギンヌング」は「鷹」の異名でもあり、これはコットル英訳でも脚注されているCottle 1797, p. 197。さらにリームル英語版歌謡ではオージン神の異名として使われるとラッセンはフィンヌル・ヨーンスソン(Finnur Jónsson 1926–28, p. 132)を引いて指摘している。
  8. ^ 「アルスヴィズ」は「全知」「おしなべて聡明」の意ともとれるので、あるいはオーディンの異名である可能性が指摘される[26]。オーディンは、人の落命を定め、そのなかから勇者を選び抜いてヴァルハラに拾い上げる。
  9. ^ 「そなたらにはわかったか、どうだまだか?」の繰り返しの文句は、『巫女の予言』第28詩節の、ミーミルの泉に関するくだりでも使われているので、その模倣と思われる。
  10. ^ その浄化作用がある水や泥の力をもってしてももはや来たる極寒から世界樹を守るに及ばないことを
  11. ^ 『オージンのワタリガラスの呪文歌』第2節の容器オーズレリルを「若返りの泉」(Verjüngungsbrunnen)のこととする一方で、第5詩節の「ミーミルの泉」の力が失われていると説いている[34]
  12. ^ 第9ではイズンと明言されないが、「女」のケニングである「ギェルの太陽の戸柱」という表現が使われている。ギェル(Gjöllr)とは川の名であるが、「川の太陽」は、「黄金」であり、「黄金の支柱」は、黄金の装飾品で飾り立てるもの、つまり女性である。第11では、「神々の献酌係」(burða banda)という表現である。
  13. ^ gandr はソープ英訳など、従来「狼」の意味と捉えられてきたが、ラッセンは、魔女の箒のような一種の棒であるとする。Lassen 2011, p. 86
  14. ^ 原詩にある「ヘリャンのギャラルの角笛の番人」とはヘイムダルであり、「ナールの息子」はロキ、「グリームニルの詩人」はブラギ。Lassen 2011, p. 89参照。
  15. ^ ヴィーザルは実はオージンの子である。ここでは「しかし詩作者は、なりふりかまわずオージンのこととして用いたのかもしれない」とブッゲ(Bugge 1867, p. 374n)は指摘する。ラッセン訳もこれに準ずる。
  16. ^ 第17では「風」のケニングとして「フォルニョートの縁者」という表現がつかわれる。同等の「フォルニョートの息子」を「風」のケニングとする用例は「詩語法」27「風」の部にみえる。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。
  17. ^ ここ第18詩節後半ではオージンの異称「ユグユングル」(Yggjungur)がつかわれる。この異称は「巫女の予言」28に見えるが、『散文エッダ』にはみられない。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。ラリングトン女史による詩エッダ英訳(Larrington 1999, p. 7)では、前出のユグと同じとみなして"the Terrible One"と訳すが、Yggjungr は直訳すれば"the Teriible Youth"「恐ろしき若人」である。
  18. ^ ソープは固有名詞と見て、Mimir's horns (Minni's horns)と訳す。ラッセンは普通名詞と解し"toast horns"と英訳する。Lassen 2011, pp. 91参照。minni "II. a memorial cup or toast" Cleasby-Vigfusson 辞書。
  19. ^ ラッセンは、第23詩節の前半のテキストは劣化していると言い、しかしながら逐語訳を述べるだけでなんら独自の解説をしないので要領を得ない。ラッセンはこの箇所は未解読だとしたいのであろう。ラッセンは、かわりにブッゲの解釈(Bugge 1867, p. 375)を引用するが、それは前例のない文字の順序換えを必要とするとして否定的なのである。第23詩節。Lassen 2011, pp. 93, 104参照。ちなみにラッセンによるこの箇所の逐語訳は"The mother of Rind ran with long strides, [she and] the scarcely tired father of Fenrir (Loki) left the feast" 「リンドの母は長い足幅で走り、まるで疲れをしらないフェンリルの父(ロキ)と宴を去った」となっている。
  20. ^ リューニンク編本(Lüning 1859, p. 524)も「月あるいは太陽が、疲れてリンドの野の高きを行く」としているが、さらにリンドとは「冬季の硬い大地(der winterlich starren erde)」のことだとする。リューニンク編本を底本とするソープ訳でもリンドは「大地 (earth)」であるとする。その根拠は不明だが、Cleasby-Vigfusson 辞書によれば、「リンドの側室(ライバル)」elja Rindarという表現は「地球」を意味し、スノッリの『詩語法』24章で、ショーゾルヴ・アルノールソン英語版ハーラル苛烈王に捧ぐ詩、「6つのリフレイン (Sexstefja)」で用いられる[55][56]。また、関連があるか不明だが、A本の欄外には"jarþar" 「大地の」の記入がある[57]。もっともこれは、第23詩節の3行目のlardur「疲れた」の読み換えとみるのが妥当である。ブッゲの解釈では第2行のmoþirと第3行のlardur改めJarðarを合わせて"móðir Jarðar"「大地の母」と読み、これを「夜の女神〔ノート〕」のこととし、この夜の女神が最後行のフリームファクシにうちまたがって出る、という読み換えをするので、これをもってラッセンは「前例のない」無理な順序替えとしているのであろう。
  21. ^ 昼の神ダグの馬はスキンファクシであり、その馬名(またフリームファクシの名も)エッダ詩『ヴァフスルーズニルの言葉』に挙げられる。スノッリ『詩語法』58によればこれら馬には別名がある。また、太陽の女神ソールが御するのはアールヴァクとアルスヴィズの二頭立ての馬車。
  22. ^ Cleasby-Vigfusson 辞書 gýgr.. "an ogress, witch"; ラッセン訳では"troll-wife"であり、さすれば「鬼女」の訳が妥当だが、ソープ英訳の巻末註(Thorpe 1866, vol. 2, p.136)では"giantess"としており、健部, 伸明『モンスター』新紀元社〈幻獣大全〉、2004年。 などでも「女巨人」とする。
  23. ^ 原文 racknar をragnarと読み換えるが、これが「神々」を意味することは、「神々の黄昏」ラグナロク (Ragnarök)に照らせば、推察するに難くない。ただ、文法的に正しくはない。どうやらragnarは、rögnあるいは"regin"を単数形と勘違いしたうえで創作した複数形であるが、rögnも"regin"も複数形としてしか形のない、いずれも「神々」をさす言葉である。ラッセンの説明はもう少し詳しい(Lassen 2011, p. 106)。"regin"は英訳では"the powers"という定訳が使われるが、ソープ訳でもこの箇所は"the powers rose"となっている。
  24. ^ 「エルフの輪」という言い回しだが、太陽の事
  25. ^ エッダ詩『アルヴィースの言葉』30によれば「夜」はアース神族の言葉で「ニョール」njól (直訳すると「闇」の意)と呼ぶ。ところが、スノッリの『詩語法』63では、この同じ詩節を引用するも、「夜」はヘルでニョーラ Njóla と呼ぶ、と入れ替わっている。(Lassen 2011, p. 106)
  26. ^ 「追いやる」sótti はsækja "to seek, to pursue"の過去形。
  27. ^ 『ヒュンドラの歌』37に列記されるヘイムダルの九人の母親のひとり。
  28. ^ まぎらわしいが、ヨウナス・クリスティアンソン編本エッダ(2002年)には、「オージンのワタリガラスの呪文歌」は収録されていないのである、同氏がこの詩の中世成立説を提唱したにもかかわらず。(Lassen 2006)
  29. ^ 1650年-1799年頃とはhandrit.isサイトの年代。ラッセンによれば、1673-7年頃にÁsgeir Jónssonが書いた部分と、18世紀に書かれた部分とがあり、総じて8~9人による書写である。
  30. ^ ヨーン・エイリークスソンアイスランド語版の写本「Codex Ericianus」(以下、#版本の節を参照)でも、この写本を「P.S.」 の略称をもちいて引用している。欄外に異読みを記した異本の一つである。
  31. ^ 版本の脚注には異本の読みが付記されているが、異本の略称は次の通り:Eが底本のCodex Ericianus、GはGeir Vídalín (1761–1823)がかつて所持していた写本、Pはグンナル・パウルスソンアイスランド語版(記事本文参照)による解説、Al. はCodex Ericianusの欄外にヨーン・エイリークスソンが記したいくつかの写本からの異読みの総称である。(Lassen 2011, pp. 8, 44、Guðmundur Magnússon 1787, pp. xlii–xlvii)

出典

  1. ^ Lassen 2011, p. 22, "All manuscripts that contain Hrafnagaldur include the subtitle ‘Forspjallsljóð’". ‘Forspjall’ (‘preface’)と意訳される語で初出は1649年の近代語であり、おそらくラテン語prologusから転じた訳語であろう釈義する。Cleasby-Vigfusson辞典での定義は"prelude"
  2. ^ Jónas Kristjánsson 2002.
  3. ^ 松村武雄編『北欧の神話伝説〔Ⅰ〕 《世界神話伝説大系 29》』(名著普及会、1927年初版、1980年改訂版)p.222 に見られる邦題。
  4. ^ Jónas Kristjánsson 2002
  5. ^ Lassen 2006,Lassen 2011, pp. 10, 12, 15
  6. ^ Kristján Árnason 2002.
  7. ^ a b Lassen 2006
  8. ^ a b Lassen 2011, p. 7
  9. ^ Haukur Þorgeirsson (2010). “Gullkársljóð og Hrafnagaldur: Framlag til sögu fornyrðislags”. Gripla 21: 299-334. https://notendur.hi.is/haukurth/Gullkarsljod_og_Hrafnagaldur.pdf. 。別の論文で "Hrafnagaldur Óðins, which Haukur Þorgeirsson (2010: 315) has recently dated to the first half of the 17th century," Aðalheiður Guðmundsdóttir. The Tradition of Icelandic sagnakvæði. p. 19n4. http://www.helsinki.fi/folkloristiikka/English/RMN/RMNNewsletter_6_MAY_2013.pdf#page=15. と言及
  10. ^ 最初の印刷本(Guðmundur Magnússon 1787, I, 227註)で既に指摘されているという(Lassen 2011, pp. 18–20)
  11. ^ Lassen 2011, pp. 18–21。エラスムスが遡れる最古年の限度 (terminus post quemとする。
  12. ^ "hardly be as old as that" Lassen 2011, pp. 18
  13. ^ a b ラッセンの英訳・注釈書の紹介Lassen, Annette. “Hrafnagaldur Óðins (Forspjallsljóð)”. Nordisk Forskningsinstitut:Publikationer. July-2013閲覧。
  14. ^ Lassen 2011, pp. 23
  15. ^ "The main title probably meant ‘Song of Óðinn’s ravens’, i.e. one of the reports said to have been brought to Óðinn from all over the world every evening"[13]
  16. ^ Lassen 2011, pp. 21–22
  17. ^ ルートヴィヒ・ウーラント:"Beschwörungsformel", "Rabensendung" (Uhland, Ludwig (1836). Mythus von Thôr. J. G. Cotta. pp. 127-. https://books.google.co.jp/books?id=eRa6AM8jhyoC&pg=PP7 )
  18. ^ Thorpe 1866, p. 28(序文)
  19. ^ 以下、訳出はソープ英訳(Thorpe 1866, p. 28)、エイステイン・ビェルンスソン英訳(Eysteinn Björnsson 2002)を参照し、特にアネット・ラッセン訳注(デンマーク語から Anthony Faulkes が英訳したもの、Lassen 2011)を基に重訳している。補足説明は、ソープ、ジムロック、またリュードベリ(Rydberg & 1906-1911)からも得るが、リュードベリの再話エッダのような逸脱した意味づけの展開はなるべくここではしない方向で解説する。
  20. ^ Bugge 1867, p. 371
  21. ^ 補足の文句は、ソープ英訳 (Thorpe 1866, p. 28)の補注を流用。
  22. ^ ジムロックなど従来の解説・訳出では、詩の蜜酒の容器と解する。Cleasby-Vigfusson 辞書 "óð-rærir, m. a 'rearer' or inspirer of wisdom, one of the holy vessels in which the blood of Kvásir was kept, Edda."
  23. ^ Thorpe 1866, p. 29: "the increasing multitude"
  24. ^ Eysteinn Björnsson 2022 "from the mightiest winter"。Cleasby-Vigfusson 辞書þorra > þorri "the name of the fourth winter month".
  25. ^ 原詩ではフグが空に放たれ、二人がその考えを伝えるだけだが、「フギンが小人のダーインとスラーインの元へ送られ、その言い分を聴きにいった」という明確な解釈は、例えばSimrock 1874, pp. 407~)やその典拠Uhland 1836, pp. 127-)を参照。
  26. ^ a b c Lassen 2011, p. 97
  27. ^ ネルヴィ (Nörvi, Nörfi)。スノッリのエッダの『ギュルヴィたぶらかし』10章にネルヴィの娘がノートだとの記述がある。Simrock 1874, p.413
  28. ^ 原文によれば狼の皮をあてがわれたのはこのナウマ(Nauma)であるが、それはつまりイズンのことであるとソープ補注にある(ただし"Nanna"と綴る)。Thorpe 1866, p. 29, n4
  29. ^ スノッリのエッダ』、『ギュルヴィたぶらかし』に記述される「ウルズの泉」、「ミーミルの泉」、「フヴェルゲルミル」。エッダ詩『グリームニルの言葉』でも三本の根の元に3つの世界があるとする。
  30. ^ (Anderson英訳)Rydberg & 1906-1911, Vol.2, p.452
  31. ^ Simrock 1874, p. 411
  32. ^ Olsen, Karen (2001), Bragi Boddason's Ragnarsdrapa: A Monstrous Poem, , Monsters and the Monstrous in Medieval Northwest Europe (Peeters Publishers): p. 127n, ISBN 9789042910072, https://books.google.co.jp/books?id=tw8F3BJe2wcC&pg=PA127 
  33. ^ (Anderson英訳)Rydberg & 1906-1911, Vol.1, p.197
  34. ^ "Mimirs brunnen hat seine kraft verloren," Lüning 1859, pp. 516
  35. ^ 第26使節にニヴルヘイムへの言及がある。ジムロックは、「ネルヴィの娘」=「夜」を、「ネルヴィの親戚」=ヘルに読み替えて訂正すればその結論が導きやすくなるという旨を書いている(Simrok 1874, p. 413)
  36. ^ Viðrirは、『ロキの口論』26や、「ギュルヴィたぶらかし」にみえるオージンの異称Lassen 2011, p. 86
  37. ^ Rǫgnirはオージンの異称で、新エッダで引用されるスカルド詩やリスト(þulur)のなかのいくつかのケニングの一部をなしている。Lassen 2011, p. 100
  38. ^ 原文 atri を acri 「耕せる野、田畑」と読み換える(Scheving, Bugge 1867, p. 373, Lassen 2011, p. 88、Eysteinn Björnsson 2002等)
  39. ^ 「眠りの棘」というのは、同詩の早期の編者 Hallgrímur Schevingの解釈(Lassen 2011, p. 101)
  40. ^ ブッゲ脚注(Bugge 1867, p. 374n)、ラッセン訳。
  41. ^ 「呪文歌」にみえるglygvi(与格) < glyggは「風」の雅語であり、glygg rýgjar (詩では逆順)は「老女の風」を意味する。ブッゲ(Bugge 1867, p. 374n)は、これを新エッダにある「トロル女の風」=「思考」ではないかと指摘している(「詩語法」70「心臓」の部、原文 Huginn skal svá kenna at kalla vind trollkvenna ; アンソニー・フォークスの英訳Faulkes 1995, p. 154では "Thought shall be referred to by calling it wind of troll-wives" )。ラッセン訳もこれに準じる。
  42. ^ 四つの写本では Jormi であるが、その名は他に用例がなく、E本の Iorun→Jórunnが採択されている。10世紀の実在人物に「詩女ヨールン」 (Jórunn skáldmærがいるが、ここでの「ヨールン」はやはり「イズン」の別名として使われているとみなされる。本文第15詩節。Lassen 2011, pp. 89, 102, 118参照。
  43. ^ 「ユグ」 Yggr =「恐ろしき者」については英訳 "The Terrible One" (Hagen, SIvert N. (June 1903). “Origin and Meaning of the Name Yggdrasill”. Modern Philology 1 (1): 59, 65. https://books.google.co.jp/books?id=vvQNAAAAYAAJ&pg=PA65. 等を参照)。「グリームニルの言葉」53などに用例あり(Lassen 2011, p. 103)。
  44. ^ 「宴たけなわ」öl-teiti, f. cheer, merriment over drink (Cleasby-Vigufusson 辞書)。
  45. ^ Hanga-Týr。「詩語法」58(Faulkes 1995, p. 64の英訳は "Hanged Tyr")。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。
  46. ^ öndvegi, "opposite-seat, high-seat," Cleasby-Vigfusson 辞書。酒宴の大堂のベンチの端に置かれた一対の座がもっとも栄誉ある座であり、二つのうち太陽に面する北側の席がより上座との説明がある。
  47. ^ virtr, "the sweet-wort, new beer, not yet fully fermented" Cleasby-Vigfusson 辞書
  48. ^ 用例は、「オージンの箴言」109、「グリームニルの言葉19や『散文エッダ』にある。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。フォークス英訳『散文エッダ』の索引(Faulkes 1995, p. 231)では、 Bölverkur を"evil work"と意訳する。
  49. ^ Hnikarr は、オージンの異称で、「グリームニルの言葉」47に用例があり、「ギュルヴィたぶらかし」で引用される。本文第19詩節。Lassen 2011, pp. 91, 104参照。
  50. ^ 第20詩節。Lassen 2011, pp. 91, 104参照。
  51. ^ Ómi。 オージンの異称で、「グリームニルの言葉」49に用例があり、「ギュルヴィたぶらかし」で引用される。本文第22詩節、Lassen 2011, pp. 92, 104参照。
  52. ^ 第22詩節。Lassen 2011, pp. 92, 102参照。
  53. ^ フェンリル狼の餌」Fenris fóðr(原詩どおりではなく散文読くだしでの句)については、ソープ(Thorpe 1866, p. 31n)はハティ狼との混同と見ていると註しているので、つまりハティが追いかけて食らわんとする「月」の意味だと言いたいことが明白である。一方、ブッゲは、「太陽」の意味だと註するので、フェンリル狼を太陽を食らおうとするスケル狼に読み換えていることがあきらかである。ソープはそして月輪が「母なるリンドの方向へ走る」と訳し、ブッゲは、日輪が向かうリンドの方向とは「西の方角」だとしているが、それについては『ヴェグタムルの歌』(『バルドルの夢』)第11節「リンドが西の広間でヴァーリを出産する」という句を根拠としている。
  54. ^ ラッセン訳(Lassen 2011, p. 93)括弧書きで付記される。古エッダ詩『シグルドリーヴァの言葉』13に用例。
  55. ^ アンソニー・フォークスの英訳『詩語法』24章(Faulkes 1995, p. 91)
  56. ^ Vigfusson, Gudbrand; Frederick York, Powell (1883). Corpus Poeticum Boreale. 2. Oxford: Clarendon. pp. 205, 462. https://books.google.co.jp/books?id=5SczAQAAMAAJ&pg=PA205 (第3聨)
  57. ^ Lassen 2011, p. 93
  58. ^ 第24詩節。Lassen 2011, pp. 93, 105参照。
  59. ^ Cleasby-Vigfusson 辞書 þurs .."a giant, with a notion of surliness and stupidity"、じっさいは"スゥッス" þuss と発音するとある。
  60. ^ Lassen 2011, pp. 94, 105–6
  61. ^ ブッゲ編本(Bugge & 1867 376)では "ar Giöll"読み換えており、ラッセン( Lassen 2011, p. 106)によると "could be ár Gjǫll, ‘river Gjǫll’"; "ar-"はCleasby-Vigfusson辞書によれば川を意味する複合語である。
  62. ^ Thorpe 1866, p. 130 巻末註。""Argiöll, a name of the bridge Bifröst""
  63. ^ Lassen 2011, p. 106。ラッセンは、Blöndal編のアイスランド=デンマーク語辞典でgjöllを「トランペットの一種」と定義するとする。Cleasby-Vigusson辞書は"din, alarum" (騒音、警報)の意しか載らないが、Árni Böðvarsson (1963) (snippet). Islenzk ordabok. https://books.google.co.jp/books?id=dUUjAQAAIAAJ Jónas Jónasson; Björn Jónsson (1896). Ný dönsk orðabók med íslenzkum þýðingum. p. 523. https://books.google.co.jp/books?id=dUUjAQAAIAAJ&pg=PA523 
  64. ^ Lassen 2011, p. 29
  65. ^ Lassen 2011, p. 9
  66. ^ Lassen 2011, p. 35
  67. ^ Lassen 2011, p. 64
  68. ^ Lassen 2011, pp. 64–5
  69. ^ Lassen 2011, p. 67
  70. ^ Lassen 2011, pp. 6, 8, 76, 116
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  72. ^ Lassen 2011, pp. 8
  73. ^ Howitt 1852:85.
  74. ^ Service 2002
  75. ^ 「エッダ(北欧神話)編」は、秋田書店文庫版では第1巻(ISBN 4-253-17020-X)に収録されている。作中で引用されている文章は、植田『北欧神話の口承』の訳文とほぼ同一である。


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