凱旋帰国 - GHC初戴冠&陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:12 UTC 版)
「潮崎豪」の記事における「凱旋帰国 - GHC初戴冠&陥落」の解説
その後、潮崎は風格・肉体も大きくなって凱旋帰国し、2008年12月23、24日にディファ有明で行われた「ザ・トーナメント'08」に参戦。1回戦で森嶋猛、2回戦で小川とチャンピオン経験者を連破する形で準々決勝(3回戦)に進出するも、当時GHCヘビー級王者であった健介に敗れる。しかし、その後も潮崎は力皇猛・バイソン・スミスなどチャンピオンクラスの先輩選手を次々撃破している。潮崎はこの頃、寮生活を卒業し一人暮らしを始めている。 2009年3月1日、ノアの日本武道館大会にて杉浦とタッグで自身初の新日本プロレスとの対抗戦となった中邑真輔・ミラノコレクションA.T.戦では、潮﨑がミラノに勝利した。 2009年4月19日、自身初のGHCシングル挑戦となった札幌・月寒アルファコートドーム大会における秋山戦にてスターネス・ダストαで敗れ、王座奪取に失敗する。 2009年5月6日、潮崎は三沢とタッグチームを結成し4月11日より臨んだ第2回グローバル・タッグ・リーグ戦の最終戦が日本武道館で行われ、健介・森嶋組と対戦。試合は、潮崎が豪腕ラリアットで森嶋から勝利を奪い、合計9点をマークして優勝を決めた。 2009年6月13日、潮崎は広島グリーンアリーナ大会にて、齋藤・バイソン・スミスが持つGHCタッグのベルトに三沢と挑戦するが、奪取に失敗した。この試合で潮崎のパートナーの三沢が齋藤の急角度バックドロップを受け、試合後のリング禍により46歳の若さで急逝した(なお、詳細については三沢光晴の項目を参照。)。潮﨑は、三沢の最後のタッグパートナーとなった。翌日の6月14日、博多スターレーン大会にて秋山が腰椎椎間板ヘルニアによりGHCヘビー級王座を返上、この日ベルトを賭けて秋山と対戦予定だった力皇の対戦相手として潮﨑が指名された。GHCヘビー級王座決定戦となった試合は潮﨑が力皇を破り、第15代王者となった。なお、ノア生え抜き選手としては初の戴冠となった。 2009年7月5日、ディファ有明で行われた選手会興行にて当時GHCジュニア王者であったKENTAとの「GHCヘビー対ジュニア」のシングル対決が実現した。試合は垂直落下式変形リバースDDTでKENTAから初勝利を奪った。 2009年10月、AAAへ遠征。ケンゾー・スズキ(現:KENSO)、スギとトリオタッグを組む。 2009年12月6日、日本武道館大会でのGHCヘビー級選手権で挑戦者の杉浦に雪崩式オリンピック予選スラムで敗れ、2度目の防衛に失敗した。
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