佐久間正勝とは? わかりやすく解説

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佐久間正勝

読み方さくま まさかつ

安土桃山江戸前期武将。信盛の子。初名は信栄。のち正勝通称甚九郎、号に泉庵・宗岩・不干斎。千利休学び茶会開いて堺衆らと交歓した。武人中の数寄者として知られ信長死後は信雄・豊臣秀吉に、さらに徳川秀忠御伽衆列し三千石与えられた。寛永8年(1631)歿、76才。

佐久間信栄

(佐久間正勝 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/11 04:15 UTC 版)

佐久間 信栄(さくま のぶひで)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将佐久間信盛の長男。剃髪後は不干斎と号した[1]は正勝(まさかつ)とも伝えられるが、信頼できる史料は信栄としている[2]


  1. ^ 同じく不干斎を称した不干斎ハビアンとは関係ない。
  2. ^ 寛政重修諸家譜』では正勝、『佐久間軍記』では信勝
  3. ^ 小谷利明 「織豊期の南近畿の寺社と在地勢力―高野山攻めの周辺」、小谷利明・弓倉弘年編 『南近畿の戦国時代 躍動する武士・寺社・民衆』 戎光祥出版、2017年。ISBN 978-4-86403-267-4
  4. ^ 肥後細川藩拾遺 http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/434131cb6e7b7d316bb9d5c20707fc54


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