伏見稲荷大 社とは? わかりやすく解説

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ふしみいなり‐たいしゃ【伏見稲荷大社】


伏見稲荷大社

伏見稲荷大社
ふしみいなり

ご祭神 宇迦之御魂大神 下社中央座)
    佐田彦大神   中社(北座)
    大宮能売大神  下社南座

    田中大神    田中社最北座)
   ※下社摂社
    四大神     四大神(最南座)
   ※中社摂社

鎮座地 京都府京都市伏見区深草薮之内町

アクセス 京都駅よりJR奈良線稲荷」駅下車
     または、京阪電鉄伏見稲荷」駅下車
伏見稲荷大社の起源については「山城国風土記」の逸文に《秦中家忌寸等の遠祖伊呂具秦公の的にして射た餅が白鳥化して飛び翔けり、その留まった山の峰に『稲』が生じた奇瑞によって、イナリという社名になった》とあり、また「神祇官勘文」や「年中行事秘抄」などに引く「稲荷社禰宜祝等申状」には《この神は、和銅年中初めて、伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、秦氏人等が禰宜祝として春秋の祭に仕えた》とある。
 さらに社記口授十五箇條之解)には、《元明天皇和銅四年二月壬午の日に、深草長者『伊呂具秦ノ公』が勅命こうむって、三の神を伊奈利山の三ヶ峰に祀ったのにはじまり、その年は五穀大いにみのり、織なって天下百姓豊かな福を得た》と伝えているが、いずれにしても、ここ深草の里は秦氏とは極めて深いかかわりをもつ。そして、当社御鎮座和銅四年(711)となっている。
淳和天皇天長四年(827)丁未正月辛巳天皇御体が不健のため、占を求められてたところ、先朝御願寺東寺)の塔木として稲荷神社を伐られた罪たたりであることがわかり、はじめて「従五位下」の神階がさずけられ、爾来、年とともに累進して、ついに天慶五年(942)「正一位」の極位のぼった
 この間承和十二年(845)には「名神」に列し、また延喜式(927撰)では「名神大社」とみえ、ついで村上天皇応和三年(963)には皇城の巽(東南)の鎮護神定められ後朱雀天皇長暦三年(1039)には二十二社の上七社くわえられた。
 また、後三條天皇延久四年(1072)に、はじめて当社祇園社とに行幸があり、これを《両社行幸》と称し歴代慣例となって鎌倉時代にまでおよんでいる。さらに中世熊野信仰盛んになるにつれ稲荷明神熊野参詣道中守護する誓いがあるとの信仰盛んになり、当社に「護法送り」を修する風習があって、熊野御幸還御には、必ず奉幣の儀が行なわれていた。明治四年五月に官幣大社に列格し、昭和二十一年十一月宗教法人法によって「伏見稲荷大社」と改称し今日いたっている。
 
現在の本殿応仁の乱による焼失ののち、明応八年(1499)に再建されたもので、下社中社上社並びに摂社である田中社・四大神の五社一宇相殿奉祀されている。檜皮葺五間社流造五十六坪余。「打越流造」(うちこしながれつくり)と呼ばれる特殊構造である。
 伏見稲荷お山めぐり

 
稲荷山東山三十六峯連なる最南端に聳える霊峰である。老樹鬱蒼と茂る中に、上、中、下の三ヶ峯の並ぶ姿は神奈備そのもので、本社よりこの山頂一週すること、およそ一里余、その景色誠に美しく山中名跡多く明和安永の頃、広く文人墨客の間に吟謡せられた稲荷山十二景の名勝今も尚その幽邃境地残している。

本社の裏千本鳥居至り稲荷山お山めぐりに向かう。熊鷹社を経て四ツ辻に至る。この辺りまで30分とかからずに登って来た。四ツ辻から左手取り白髭神社小さな鳥居奉納し参詣してきた。

道中あちこち奉納用の小さな鳥居を扱う店や茶店がある。お山にぎっしりと鎮座されている神さま達の石碑は「お塚」と呼ばれ石碑にそのご祭神名が記されている。お塚には、企業名奉納されている鳥居がとても多い。流石、商売繁盛神さま個人名であげている鳥居もたくさん見かけた。各々縁のある神さまところへお参り来られる様子数えきれないほどのお塚が、稲荷山にはぎっしりと並んでいる。鳥居供え物は、ご鎮座されている処の一番近いお店求めることが多いようで、一番小さい物で2,800円~段々とあるそうだ鳥居正面参詣するご祭神名、に名前と住所番地に至るまで書き込んでくれる。(自分で書くお店もある) また、三宝お供え(酒・豆類など)をセットにした物を求めることも出来る。(1,600円~) お供えセット三宝のままお塚まで持って行きお参りをしてからお店戻って来ると、紙袋お供え入れて持たせてくれる。お供え求めたおじさんが、そのままお供え行こうしたものを、お店おばさん止めて三宝向かって火打ち石で祓っていたのが印象的だった鳥居一年間そのまま置いてくれる。お山めぐりをしていると、案外…知った人の名前発見するかも。
一の峯 稲荷山山頂 上の社御神蹟 
此の処は稲荷山一の峰と称し 上ノ社の御神蹟の霊地であります
上ノ社ご祭神 末廣大神
二の峰 中の社御神蹟 此の処は稲荷山二の峰と称し
中ノ社の御神蹟の霊地であります
中ノ社ご祭神 青木大
間の峰 荷田社御神蹟

此の処は稲荷山間の峰と称し
荷田社の御神蹟の霊地であります

荷田ご祭神 伊勢大神
三の峯 下の社御神蹟 此の処は稲荷山三の峰称し
下ノ社の御神蹟の霊地であります
下ノ社ご祭神 白菊大神

伏見稲荷大社

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

伏見稲荷大社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 01:03 UTC 版)

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都府京都市伏見区深草薮之内町にある神社式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は単立神社となっている。


注釈

  1. ^ 勧進僧・勧進沙門の宿所。住持によって「地蔵院」あるいは「雨宝院」などと称され、元禄の頃より「愛染寺」と称号。
  2. ^ 生玉稲荷神社(名古屋市守山区)では、倉稲魂神を主祭神として、大己貴命保食神大宮能姫神太田神とともに五柱の神を稲荷五社大明神として祀るが、伏見稲荷大社と同様にこれら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている。生玉稲荷神社 - 由緒・沿革
  3. ^ 『水台記』では「底筒男命、中筒男命、表筒男命神功皇后」の四柱、『神祇拾遺』では「五十猛神大屋姫、抓津姫、事八十神」の四柱とする。
  4. ^ 伏見稲荷大社と同じく秦氏によって創建された松尾大社では、境内末社の四大神社(しのおおかみのやしろ)で「春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神」を祀っており、その名から四季の神であることが明確にうかがえる。
  5. ^ 最古の写本においては「伊禰奈利生」ではなく「生子」、すなわち「子を生んだ」と記されているが、江戸時代の国学者・伴信友により「伊禰奈利生」との表記がされるようになった(中村陽・監修『稲荷大神』戎光祥出版、平成21年、50-51頁参照)。
  6. ^ これは吉田兼倶が15世紀頃に延喜式神名帳の注記のため作成した『延喜式神名帳頭註』で書かれている山城国風土記伊奈利の社条の逸文であり、また兼倶は吉田神道の創設者でもあることから、信ぴょう性を疑問視する意見もある。また、山城風土記は編纂の始まる延長3年(925年)以前に伝わる歴史や文物を記しており、和銅年間以降の風聞も含まれる可能性はある。
  7. ^ 「忌寸」は八色の姓での位の1つ。
  8. ^ 和銅4年(711年)2月7日。なお、この縁起を伏見稲荷の創建とみる場合、和歌山県有田市(旧・糸我町)の「糸我稲荷神社」が日本最初・最古の稲荷神社となるという説がある。文化7年(1810年)当時の神官、林周防が寺社奉行に報告した「糸鹿社由緒」によると、創建は「37代孝徳天皇白雉3年(652年)壬子の春、社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とあり、伏見稲荷神社より約60年遡ることになる。(有田市HP 糸我稲荷神社
  9. ^ 14世紀頃の成立。
  10. ^ a b 字は「氵+缶」。
  11. ^ およそ2m40cm。
  12. ^ 南北朝時代の成立。東寺に伝わる。
  13. ^ これを「私幣禁断」という。天皇以外の個人的な奉幣を禁止し、たとえ三后皇太子であっても天皇の勅許が要った(伊勢神宮HP 神宮の歴史・文化『私幣禁断』 参照)。
  14. ^ 空海の弟子。
  15. ^ 塚の規模や由来に関わらず、稲荷社を伴い、または「稲荷」「狐」を称する古墳は全国に存在する。
  16. ^ 天皇以外の参詣を許さなかった伊勢神宮も、この頃から勧請を積極的に行っている。
  17. ^ 秦氏創建とする和銅4年(711年)より以降、空海が遷座したとする弘仁14年(823年)より以前ということになる。
  18. ^ 「中の御社のほど、わりなう苦しきを念じのぼるに、いささか苦しげもなく遅れて来とみる者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。」「坂の半らばかり歩みしかば…やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、などかからでよき日もあらんものを、なにしに詣でつらんとまで、涙もおちて休み困ずるに…」と記す。
  19. ^ 887年の時点では伏見稲荷大社は従三位の扱いであり、秦氏と関わる賀茂神社松尾大社がすでに正一位に列していたのとは対照的である。また伊勢神宮日前神宮・國懸神宮については神格を超越しているという理由で既に正一位を置いていない(→神階#六国史終了時点での神階一覧を参照)。伏見稲荷大社の正一位は前述の通り天慶5年(942年)からである
  20. ^ 建久5年(1194年)に後鳥羽院が行幸した際に「信心からの勧請には神体に正一位を書き加えるべき」としたが、江戸時代のこの問い合わせに対し大社側は「一子相伝でない勧請は迷惑」と返答したとある。(『稲荷社事実考証記』)

出典

  1. ^ 伏見稲荷大社. “よくあるご質問 - 全国に稲荷神社はどのくらいあるの?”. 2013年8月1日閲覧。
  2. ^ MAPPLE観光ガイド. “初詣の人出ランキングベスト10(1〜5位) - おすすめ初詣スポット2011”. 2011年1月19日閲覧。
  3. ^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、50頁。
  4. ^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、58、59頁。
  5. ^ 京都史跡研究会編『京都洛東・洛南散歩』山川出版社、2004年、183頁。
  6. ^ 『朱』第三十四号別冊 伏見稲荷大社『朱』編集部編、伏見稲荷大社社務所、1991年、12、13頁。
  7. ^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、76頁。
  8. ^ 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、61-63頁。
  9. ^ a b c 伏見稲荷大社. “伏見稲荷大社とは -ご祭神”. 2016年2月21日閲覧。
  10. ^ a b c d e 稲田智宏「稲荷大神五柱とは何か」『稲荷大神』、戎光祥出版、2009年。
  11. ^ 伏見稲荷大社. “よくあるご質問 - 「お稲荷さん」のご利益は?”. 2016年3月9日閲覧。
  12. ^ a b 伏見稲荷大社. “伊奈利社ご鎮座説話”. 2016年2月1日閲覧。
  13. ^ 上田正昭「稲荷神はどこから来たか」『稲荷大神』、戎光祥出版、2009年。
  14. ^ 「稲荷社禰宜祝等甲状」(『神祗官勘文』に見る引用から)
  15. ^ 伏見稲荷大社. “沿革 - 稲荷社のあけぼの”. 2016年2月3日閲覧。
  16. ^ デジタル大辞泉『稲荷祭』。
  17. ^ a b c 伏見稲荷大社. “沿革 - 稲荷祭”. 2016年2月3日閲覧。
  18. ^ 伏見稲荷大社. “沿革 - 初午 (はつうま)”. 2016年2月3日閲覧。
  19. ^ 世界大百科事典 第2版『年中行事秘抄』。概ね永仁年間(1293年‐1299年)以前の成立とされる。ただし、この書はもともと式次第や縁起を詳述する態度をとっていない。
  20. ^ a b 伏見稲荷大社. “沿革 - 稲荷勧請”. 2016年2月21日閲覧。
  21. ^ 西田長男『神道史の研究』第2巻、p86。雄山閣、1943年
  22. ^ 藤森神社縁起”. 2016年2月21日閲覧。
  23. ^ 東寺. “東寺の歴史 戦乱の痕跡 そして炎上”. 2016年2月21日閲覧。
  24. ^ 「稲荷一流大事」(伏見稲荷本願所愛染寺初代住職の天阿上人の著作)
  25. ^ 伏見稲荷大社. “沿革 - ご本殿修造”. 2016年2月3日閲覧。
  26. ^ 東京工業大学 山室恭子共著修論 稲荷信仰から見える江戸 (PDF)
  27. ^ 伏見稲荷大社. “稲荷信仰 - 沿革”. 2011年1月19日閲覧。
  28. ^ 坂口安吾『日本文化私観』 (青空文庫)
  29. ^ 石田兼之、「個々の境内が有する得意要素について : 東京の神社を題材に」『法政大学大学院紀要. デザイン工学研究科編』 1巻 p.1-14 2012年, 法政大学大学院デザイン工学研究科。
    注記:書誌情報頁は『得意』、論文本体は『特異』と記述されている。
  30. ^ 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年 p.208 ISBN 9784569616186
  31. ^ 田中重久「稲荷大社拝殿の鉄造十二宮文の吊灯籠」 史迹美術同攷会『史迹と美術』308・309号所収
  32. ^ 丘眞奈美『京都のご利益徹底ガイド』「伏見稲荷大社」、PHP文庫。
  33. ^ 島田裕巳『宗教常識の嘘』朝日新聞社、2005年、97頁。ISBN 978-4023303591 
  34. ^ 伏見稲荷大社 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  35. ^ 伏見稲荷大社御茶屋 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  36. ^ 京都市指定・登録文化財-建造物-伏見区(京都市ホームページ)。
  37. ^ a b 京都市指定・登録文化財-美術工芸品-伏見区(京都市ホームページ)。
  38. ^ 京都市指定・登録文化財-有形民俗文化財-伏見区(京都市ホームページ)。
  39. ^ 京都市指定・登録文化財-名勝-伏見区(京都市ホームページ)。
  40. ^ 口コミで選ぶ 外国人に人気の日本の観光スポット 2014”. トリップアドバイザー (2014年6月4日). 2014年12月17日閲覧。
  41. ^ "お稲荷さんの山-京都・伏見-". NHK. 2023年2月11日. 2023年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月11日閲覧



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