丸物
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丸物(まるぶつ)とは、かつて全国的に店舗展開していた百貨店の一つである。本店は京都府京都市下京区で、のちの近鉄百貨店京都店にあたる。法人格は現在の近鉄百貨店に引き継がれている。
注釈
- ^ 株式会社丸物 有価証券報告書(昭和43年2月期)
- ^ a b 『流通会社年鑑』1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 77-78
- ^ a b c d e 渡辺一雄『新風 ある百貨店の挑戦』経営書院 1995年11月30日。ISBN 4-87913-564-X
- ^ a b 「アサヒグラフ」臨時増刊号(1959年11月30日発行)
- ^ 渡辺一雄『そごうの西武 大包囲戦略』光文社 1988年5月31日。ISBN 9-78433-401-221-2 p102-105
- ^ a b c d e f g h i j k l 株式会社京都近鉄百貨店 有価証券報告書(2000年2月期)
- ^ a b 京都近鉄百貨店 1978年2月期 有価証券報告書
- ^ 『株式会社設立五十周年記念社内誌』 P73
- ^ 『株式会社設立五十周年記念社内誌』 P74
- ^ “「丸物さよならバーゲン」の一日拝見”. 京都新聞 (夕刊) (京都新聞社): p. 3. (1977年5月24日)
- ^ 『株式会社設立五十周年記念社内誌』 P56
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- ^ 京都近鉄百貨店社長井上素夫氏――衛星店舗拡充に勝算(エコー)1991/04/28 日本経済新聞 地方経済面 近畿A 9
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- ^ 株式会社近鉄百貨店「~ 地域共創型百貨店をめざして ~ 2020.2.21(金)近鉄百貨店草津店 全館リフレッシュオープン」(2020年2月13日)
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- ^ 岐阜近鉄百貨店閉鎖へ 9月末 売り上げ不振で 1999年04月26日 中日新聞 夕刊 1面 1頁
- ^ 豊橋百科事典編集委員会『豊橋百科事典』豊橋市、2006年、p. 686
- ^ 『30年の歩み』 P364
- ^ 『30年の歩み』 P342
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- ^ 村野藤吾研究会編「村野藤吾建築案内」TOTO出版 2009年
- ^ 『報道写真集 名古屋情熱時代』樹林舎、2009年
- ^ 『丸栄三十年史』 株式会社丸栄
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- ^ “「丸栄」の屋号復活し跡地に新商業施設 3月末に開業 名古屋・中区栄”. 中京テレビ (2022年2月17日). 2022年2月17日閲覧。
- ^ “名古屋・丸栄跡地の商業施設「マルエイ ガレリア」が3月31日開業”. 朝日新聞 (2022年2月17日). 2022年2月17日閲覧。
- ^ “マルエイガレリア - 名古屋市中区栄のショッピングモール”. マルエイガレリア. 2022年4月6日閲覧。
- ^ 沿革 | 同志社校友会静岡県支部 浜松同志社クラブ
- ^ “伸び悩む大塚周辺”. 豊島新聞(豊島新聞社). (1959年12月6日)
- ^ 産経新聞社社会部 『東京風土図』 社会思想社、1993年11月。ISBN 978-4390501927
- ^ 分離派建築博物館 石本喜久治
- ^ “鴻池組で解体 大塚駅前の旧白木屋大塚分店 三井不レジ”. 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2017年7月18日)
- ^ “京都近鉄百貨店、2店目、大津市に衛星店”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 45 地方経済面. (1990年11月23日)
- ^ “京都近鉄百貨店、JR草津駅前の再開発――出店へ方針を転換”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 10(地方経済面 近畿B). (1993年6月2日)
- ^ “滋賀・草津駅前の近鉄百貨店出店難航 市、隣接地を買収し百貨店誘致”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 6. (1994年2月22日)
- ^ “草津近鉄百貨店が開業、予想上回る2万7000人来店”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 45 地方経済面 京都・滋賀. (1997年9月6日)
出典
- ^ 「京都物産館」とは別資本で開業したが、同様に土産物販売を中心とする経営形態をとっていた。
- ^ 出典(後述)には「四条通の百貨店」とあるが、十銭ストアを展開したのは当時烏丸松原に本店があった髙島屋。
- ^ 東京丸物を「パルコ」に転換する際、丸物のイメージに合わせたディスカウントストアにする構想もあった。
- ^ (浜松)松菱に当時存在した分店
- ^ 有楽町の読売会館にあったそごう東京店も同様に小規模で、神戸店やあとから開店した各支店より売り上げが小さかった。ファッションに特化しての存続を検討するも、2000年(平成12年)に閉店した。現・ビックカメラ有楽町店。
- ^ 同様に伊藤忠商事の傘下に入った百貨店として金沢市武蔵ヶ辻の「丸越」があげられる。こちらも電鉄資本(名鉄グループ)の出資を受けたが、伊藤忠商事との共同経営の形を取った。現在の金沢エムザ。
- ^ 出典には「大阪府と奈良県」とあるが、奈良県で最も古い近鉄百貨店奈良店は1972年開業であり、丸物に出資した当時は近鉄百貨店はおろか、百貨店そのものが奈良県には存在しなかった。一方、大阪市の2店舗は戦前に開業していたほか、四日市近鉄百貨店も1960年にすでに開業している。
- ^ 西陣分店や舞鶴支店は、本店や岐阜支店の数分の1の規模であった。
- ^ ただし丸物でも役員を務めていた。
- ^ 条件面で折り合わず、岐阜髙島屋として単独出店している。直営2店舗とも髙島屋がライバルとなる予定だった。
- ^ 会社全体が近鉄グループ入りした当社とは異なるが、こちらも2017年(平成29年)に電鉄資本(阪急阪神東宝グループ)のエイチ・ツー・オー リテイリングに譲渡され、2019年(令和元年)から阪急百貨店の支店・神戸阪急となった。京都店と似たような経過を辿っている。
- ^ 後に枚方出店したものの豊橋がグループ外となった当社に対し、そごうは千葉など多店舗展開を図った。ますます経営規模の縮小した丸物側のメリットが大きくなった。
- ^ 近鉄百貨店(本店・阿倍野)も、1990年代にりんくうタウンでそごうと共同出店(そごうの百貨店+近鉄百貨店の専門店)の構想があった。
- ^ 株式会社丸物フードサービスとして設立された企業で、1977年から1990年代まで「株式会社丸物」を名乗っていた。現在も近鉄グループに残る「ミディ総合管理」とは別会社。
- ^ もともと別資本の企業だったが、#沿革にある通り、当社の株式会社設立総会は蹴上の都ホテルで行われた。
- ^ 京都・岐阜・草津の3店舗でしか使えず、近鉄百貨店阿倍野本店はじめ、他の近鉄百貨店グループ各店では使用できなかった。
- ^ 当時の“京都近鉄百貨店ホームページ(1999年2月21日時点のアーカイブ)”. 2021年10月13日閲覧。ではこの3店舗が並んで表示されているが、枚方近鉄百貨店の合併前(“京都近鉄百貨店ホームページ(1997年8月15日時点のアーカイブ)”. 2021年11月17日閲覧。)のものを閲覧しても枚方近鉄百貨店は表示されていない。
- ^ 後年の京都近鉄百貨店と近鉄百貨店同様、既に存在した丸物工器を逆さ合併する形となっている。
- ^ 『新風 ある百貨店の挑戦』(P110)では、京都本店近くに住み、丸物・京都近鉄百貨店の株主でもある老人が高田多喜男(京都近鉄社長)に「九州・八幡(旧・福岡県八幡市)のご出身やったそうですが」と述べている。
- ^ 約3966m2
- ^ 「新宿三越アルコット」を経て、現在はビックロ。
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