下中座とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 下中座の意味・解説 

下中座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 03:37 UTC 版)

下中座(しもなかざ)は小田原市小竹地区に伝わる、国の重要無形民俗文化財相模人形芝居」を伝承する民俗芸能団体である。


注釈

  1. ^ 伝承の中には小竹や羽根尾界隈に今も残る横穴墓の中で練習したとするものもある。ただし、横穴墓の大きさは天井までの高さが1.2m程度しかないため人形や道具を隠しただけではないかという意見もある。
  2. ^ 当時の小竹村の代官は伊豆韮山代官江川英龍である。
  3. ^ なお、小竹にある東際寺の墓碑過去帳から、文久元年(1861年)頃、竹本美尾太夫、竹本桂太夫などの義太夫節の太夫の在村が確認されているが、人形芝居との関係は明らかにされていない
  4. ^ ただし、相模人形芝居下中座の歩み以前の記録では「『伝七』という人形遣いが来村した」とあるのみで、『豊松伝七』と明言していない
  5. ^ 神奈川新聞昭和26年12月4日号。記事は「義太夫の保存に尽力」としている。この場合の『義太夫』は『小竹の人形』を指すものと考えられる。
  6. ^ かつて4世吉田国五郎と考えられていたが、近年の研究により6世に当たることが判明している。
  7. ^ 『二人禿』自体は相模人形芝居に伝承されている演目ではないが、小田原市立下中小学校下中座クラブにおいて、小学生でも人形を遣うことのできる演目として、後継者育成用に修得したものとされている。
  8. ^ 過去3年間毎年公演している場所、行事。
  9. ^ 岸忠義さん傘寿記念 夢P75。年1回平成16年以降毎年1回後援会の主催により開催している。なお、最初の公演は、小竹地区で下中座が公演したものとしては実に50年ぶりのものであった。
  10. ^ 『下中座の歩み』等下中座の歴史に特筆される公演
  11. ^ 公益財団法人東日本鉄道文化財団主催。東京駅丸の内北口に仮設舞台を建て、主に同財団が支援した東日本旅客鉄道管内の民俗芸能を中心に行われた公演事業。平成15年11月14日・15日開催事業に出演している。
  12. ^ 平成21年度までは『板橋 秋の交流会 夢見遊山いたばし』という行事名であったが、同年実施の小田原市に事業仕分けにより、この行事が廃止とされたことから、規模や名称を変えて行われることになった。
  13. ^ 相模人形芝居史上、初の海外公演とされている。タイ王国チェンマイ市にあるチェンマイ大学のラーンナー民家園で開催された。

出典



「下中座」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」から下中座を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から下中座を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から下中座を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「下中座」の関連用語

下中座のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



下中座のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの下中座 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS