春月 (駆逐艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/31 03:34 UTC 版)
春月(はるつき)は、日本海軍の駆逐艦で[5]、秋月型駆逐艦の9番艦。 艦名は片桐大自の研究によれば「春の月」の意味[6]。
- ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.8
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030076100, pp.11
- ^ a b 機銃数、電探数は『日本駆逐艦物語』281ページの「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」による。調査日は1945年1月20日。
- ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたが、秋月が1943年10月末までに装備していることが確認されているので春月は竣工時から装備済であると推定できる。『秋月型駆逐艦』39ページ・98~99ページ、『日本の軍艦11』158ページによる。
- ^ a b c d 福井1993・日本駆逐艦物語、291頁「日本海軍駆逐艦艦名一覧/春月 Harutuki」
- ^ 片桐, 355ページ
- ^ a b c d e 夕雲型(2015)、82頁「春月(はるつき)」
- ^ a b c #ハンディ判艦艇写真集18p.16『秋月型建造工程一覧表』
- ^ a b 戦史叢書85巻、273-274頁「概観」
- ^ a b c d 福井1993・日本駆逐艦物語、205頁「第6表 秋月型(乙型)一覧表」
- ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集18p.33(駆逐艦『秋月型』行動年表)◇春月◇
- ^ a b 遠藤, 216ページ
- ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.39
- ^ #ハンディ判艦艇写真集18p.27(春月側面写真)
- ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.42,43
- ^ 木俣, 191ページ
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030075600, pp.5
- ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127800, pp.44
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030075600, pp.11
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030075600, pp.6,21,22
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.1
- ^ a b c d e 戦史叢書85巻、424頁「黄海方面部隊」
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.3
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.16
- ^ 『第百三戦隊戦時日誌』C08030075800, pp.19
- ^ a b c 戦史叢書85巻、425-426頁「哨戒線の後退」
- ^ 『日本の軍艦11』173ページ
- ^ a b 遠藤, 217ページ
- ^ #ハンディ判艦艇写真集18p.27(春月雪風写真。1947/1/9撮影)
- ^ 『日本の軍艦11』166ページ
- ^ Long Lancers/CombinedFleet.com - IJN Haruzuki: Tabular Record of Movement (英語)でも「POSPESCHNY」としている。
- ^ 春月がソ連に引き渡された当時、ソ連海軍には「ポスペシュニー」という艦艇は在籍しなかった。1936年に起工し1941年に太平洋艦隊に配備された7号計画型のポスペーシュヌイ(Поспешный)という駆逐艦があり、この艦は1955年まで太平洋艦隊に在籍していたが、竣工前の1940年にレシーテリヌイ(Решительный)と改称されていた。同じ艦隊所属の先代艦の名称が春月に受け継がれた可能性は否定できないが、日本から引き渡された駆逐艦はいずれも「V」で始まる名称を与えられており、春月に限って「R」で始まる名称を与えられたとは考えにくい。大戦中や冷戦期の情報は錯綜していたため、西側ではレシーテリヌイの旧称と春月の改称後の名称を混同した可能性もある
[続きの解説]
「春月 (駆逐艦)」の続きの解説一覧
- 1 春月 (駆逐艦)とは
- 2 春月 (駆逐艦)の概要
- 3 脚注
- 4 関連項目
- 春月 (駆逐艦)のページへのリンク