ウラジーミル・ロースキイとは? わかりやすく解説

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ウラジーミル・ロースキイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 09:23 UTC 版)

ウラジーミル・ニコラエヴィチ・ロースキイロシア語: Влади́мир Никола́евич Ло́сскийポーランド語: Władimir Nikołajewicz Łosski[1]チェコ語: Vladimír Losskij1903年5月26日 – 1958年2月7日)は、影響力のある正教会神学者。1903年誕生。1922年ロシアから亡命。2年後パリに落ち着き、1958年に永眠するまでそこで暮らした。パリの聖ディオニシイ神学院(St. Denys Institute)で首席学部長を務め、教義学を講じた。ロースキイはその著書『東方キリスト教の神秘思想』(英語: The Mystical Theology of the Eastern Church、正教用語で訳せば『東方教会の機密神学』)でよく知られている。

パーヴェル・エフドキーモフとほぼ同世代の亡命ロシア人であり、フランス語で著述した事も共通している。

略歴

ウラジーミルは、1903年5月26日に、サンクトペテルブルク大学哲学者教授であったニコライ・オヌーフリエヴィチ・ロースキイ(Никола́й Ону́фриевич Ло́сский)の家庭に生まれた。成長してウラジーミルはサンクトペテルブルク大学で学び始めたが、1922年に父ニコライは家族全員とともにロシアから亡命した。ウラジーミルはチェコスロヴァキアプラハで勉学を続けざるを得なくなったが、やがて家族とともに住んだパリのソルボンヌで勉学を終えた。彼の関心はギリシャ教父と西欧における中世哲学に向けられていた。1928年、ロシア系ユダヤ人のMadeleine Shapiroと結婚し、4人の子を儲けた[2]

パリの聖ディオニシイ神学研究所の首席学部長となり、教義学を講じる。1958年2月7日に54歳で急死するまでその職にあった。

ウラジーミル・ロースキイは、首席学部長を勤める傍ら、自身の著作『東方キリスト教の神秘思想』(英語: The Mystical Theology of the Eastern Church、正教用語で訳せば『東方教会の機密神学』)で最もよく知られることとなった。この著作は初めての教父の教義神学の体系であり、正教会に広く認められるものとなっている。

著作

出典

  • Orthodoxwiki:Vladimir Lossky(18:08, May 1, 2008(UTC)の版)から訳出したものが本記事の初版。

関連項目

外部リンク

脚注





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