ルイス・コロン・デ・トレドとは? わかりやすく解説

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ルイス・コロン・デ・トレド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 15:12 UTC 版)

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ルイス・コロン・デ・トレド(Luis Colón de Toledo, 1519?/1520?/1522年? - 1572年1月29日)は、最初のベラグア公爵[1]、初代ラ・ベガ公爵、初代ジャマイカ侯爵、第3代インディアス提督。ディエゴ・コロンとその妻マリア・デ・トレド・イ・ロハス(María de Toledo y Rojas)の長子、すなわち、クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)の孫としてサントドミンゴに生まれた[2]

ルイスの父ディエゴは、その父であるコロンブスに与えられ、後に剥奪された称号や特権の回復をスペイン王室に求め続けていたが、ディエゴの死後、1536年に妥協が成立し、ルイスは第3代インディアス提督に任じられ、他のすべての権利の要求を放棄する代わりに、年1万ダカットの永代収入、ジャマイカ島の領主としての支配権、当時ベラグアと呼ばれていたパナマ地峡における25リーグ(およそ100キロメートル)四方の領地とベラグア公爵の称号、ジャマイカ侯爵の称号、ラ・ベガ公爵の称号を獲得した。

ルイスは1546年に、フアン・デ・モスケラ(Juan de Mosquera)とその妻オフラシナ・デ・パサモンテ(Ofrasina de Pasamonte)の娘、マリア・モスケラ・イ・パサモンテ(María de Mosquera y Pasamonte)と最初の結婚をし、2人の娘をもうけた。マリア・コロン・デ・トレド・イ・モスケラ(María Colón de Toledo y Mosquera)は、バリャドリッド尼僧となり、フェリパ・コロン・デ・トレド(Felipa Colón de Toledo)は、ルイスの後を継いでベラグア公爵(女公爵)となった。

ルイスは1555年に、レモス(Lemos)とサリア(Sárria)の第6代伯爵(女伯爵)ベアトリス・デ・カストロ・オソリオ(Beatriz de Castro Osório)とその2番目の夫アルバロ・オソリオ(Alvaro Osorio)の娘、アナ・デ・カストロ・オソリオと2度目の結婚をしたが、子どもは生まれなかった。

関連項目

出典・脚注

  1. ^ 最初にベラグア公爵となったのはルイスであり、ルイスを初代ベアグラ公爵とする場合もあるが、歴代ベラグア公爵の代を数える場合には、父ディエゴ・コロンを初代と数えることが多い。ベラグア公爵領#歴代ベラグア公爵を参照。
  2. ^ Luis Colón, 3. almirante das Índias”. Geneall.es. 2011年1月21日閲覧。


軍職
先代:
ディエゴ・コロン
インディアス提督
1526–1572
次代:
Diego Colón de Toledo
スペインの爵位
先代:
ディエゴ・コロン
ベラグア公爵
1537–1572
次代:
Felipa Colón de Toledo
ジャマイカ侯爵
1537–1572
新設 ラ・ベガ公爵
1557–1572




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